あ~あ、言っちゃった。
後悔はしていないけれど、一言失敗。
しかし・・・後味悪い。
笑顔で言えばよかったのに、日頃のおもいからつい、つくり笑顔になっちゃったようです。
でも伝えなければならない大事なこと。
10人いたら10人レッスンの仕方があると思うのね。
目的だって、性格だって違うわけだし。
だから教材や個人の課題だって仕上がり具合だってみんな違うわけで、伝える言葉だって違ってくるわけです。
レッスンはます自立を目指し、そこからスタート。
その過程で出来るアドバイスのひとつだと思うのだけれど。
「彼女に自分で考えたり、判断する時間をあげてください」
注意するたびに、母親の顔をのぞき込むのね。
オドオドしてるし。
熱心なあまりなんだけれど、黙って見守るのは歯がゆいかもしれないけれど、何かを「わかる」にはひとりで闘う静かな時間は必要だと思う。
ひとりより、そこに居ることが大事な時期や場面はあると思うよ。
教室でそう判断したらそのように伝えてますが、その逆は言いづらい。
でも、大事なんだ。
家でもいつも横について練習されているらしい。
レッスンにもいつも入られる。
「でも、先生の言ったことすぐ忘れちゃうし・・・。」
その子の力が覚えている事だけ、持ってかえればいいと思うよ。
それをくり返し、くり返しやっと身についてくのものだと。
「出来るようになるのを待ってあげる」
その過程は放任でも管理でもない。
今は長い道のりの通過地点であること。
ありのままを認めてあげることかなぁ。
先日リンの家庭訪問があって、リンにあえて言ってみました。「先生はおばかさん(親だから言える生活上の)のリンを知らないけれど、学校ではママの知らない素敵なリンがいっぱいいるんだね」
・・・まんざらでもないようでした。
他人や集団生活の関わりから教わること、親からはなれてこそ身につく事は生きていくうえで欠かせない。
育てていただいているんだなぁとつくづく思うわけ。
「・・・のため」
大人は時にして子どもにたいし傲慢だと思う。
ブログに書くには時間も言葉も足りないなぁ・・・。
誤解が生じませんように。
失敗は他の子のレッスン事例を出した事。
能力の事を言ってると誤解されやすいしね。
モヤモヤした気持ちのまま布団に入り、子どもの前にたつ、リンの前にたつ自分をもっともっと磨いてきたいと思った。
試練をありがとうと思う事にした。
あ~ぁ・・・。