観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

合理性を欠く広島高裁の判断

2020-01-18 10:03:59 | 政策関連メモ
 広島高裁が伊方3号機を差し止め判決を出しています。広島高裁は原発の至近に活断層がないとした四電の調査を不十分とし、中央構造線が断層の可能性を示唆しましたが、全然違うような気がします。中央構造線自体は勿論断層以外の何物でもなく、それを否定する見解はそもそもありません。四電が主張しているのは伊方至近には中央構造線断層帯は存在しないということのはずです。もうちょっと沖にあるんですね。では佐田岬半島は何なんだということですが、もうとっくに活動を終えた古すぎる動かない断層帯だと思われます。この辺は確たるデータに基づく定説のはずで、存在しない活断層をないと立証するのはほとんど不可能のように思えます。断層と言われれば見るからに断層ですが、断層は超長期的に沖に動いていたはずです。この辺は十分調査しての結論であり、これまで認められてきたのであって、何がどう不十分か印象論ではなく具体的に広島高裁が指摘すべき問題だと思われます。筆者にはこれまでのデータが覆るような気はしないのですが、具体的な指摘があれば、四電も対応のしようがあるでしょう。地震とは地下のひび割れで弱いところに集中して起こるようです。その弱いところが活断層で、岩盤のような強いところでは地震は起こらないと考えていいはずですが、地下の構造はプレートテクトニクスはあれど、そう動くものではありません。異例を言われた熊本地震も含めて筆者は基本的な理論の部分で覆ったという話を聞いたことがなく、最初から予想が難しいのをやはり難しかったねというような話しかないと思っています。予想なんてまともな神経の人は誰も期待していないと思うのですが、どうしても細かい部分を誇張して(面白おかしく)報道される傾向があるようです。地震の発生の予想を誰がしているでしょうか?・・・はい政府が東海でしていますね。それはまぁ触れないでおいてほしいのですが、それ以外に予想はないはずですから、予測がつかなかったと鬼の首をとっても仕方ありません。じゃあ可能性あるじゃないかと言われれば、だから活断層を探す時に十分調査してないとなったはずですよね。証明終わってるのに終わってないと言うなら、どこがどうは必須のはずです。活断層ないところでの地震は「陸上の浅い場所で発生するマグニチュード7クラス以上の地震は、ほぼ活断層で発生します。しかし、それより深い場所で発生する地震や、マグニチュード6クラス以下の地震については、活断層以外の場所でも発生します。」が基本理論のようです。深度が深いところで起こる深発地震や規模が小さい地震に関しては、伊方原発は活断層に対する地震対応で十分吸収できると考えていいと思われます。東日本大震災とてこの基本理論を転換する契機になった訳ではなく、今まで可能性が指摘されていた1000年に一度の地震が起こっただけです。これ以上調査と言われても何を調査すべきかハッキリしない印象論感情論を払拭する手立てはありません。印象論感情論は事実や理論を無視した反原発運動によって再生産されるからです。基本的確率ゼロじゃないと言う人もいるのかもしれません。ただ隕石が落ちてくることを計算する防災は有り得ず、それを古代から杞憂といい、物笑いの種です。広島高裁の今回の判決はこの杞憂に基づき通常の経済活動を阻害する笑えない大迷惑判決にしか見えません。地裁の珍判決は司法界でよく言われているように見えますが、広島高裁は高裁にしてはちょっとおかしいのかもしれません。
 火山に関しては地震と別枠にしますが、まず前提としてカルデラ噴火に対応する防災は隕石レベルでないと思われます。これをありにすると九州に人は住めませんが、そんなことは誰も言っていません。筆者はカルデラ噴火のシミュレートに興味がありますが、巨大隕石を動かして地球の危機を救うSF本のレベルで興味あるだけです(事典なんかの該当箇所やその手の本は読んだ記憶があります)。予算がついてもいいとは思っていますが、原発だけに適用されるダブルスタンダードだったら、寧ろやらない方がマシであるというのが基本的考え方です。原発はそれでもカルデラ噴火をシミュレートしているようです。これが結果的に揚げ足をとられているようで残念な限りです。いいですか?地形は変わらないのが前提です(分かっている部分が大きいということです)。だから四電は十分調査済みで調査不足と言うなら、これも具体的な指摘が必要なはずです。大分の地形があるのですから、火砕流の類は流れる方向性が限定されています。しかし大分が滅亡する話を大分で出来ないのに、伊方だけは滅亡する話が出来るのですから、裁判所の頭のおかしさは尋常ではありません。大分県に人が住むことを許可している日本政府は不作為の殺意人鬼でしょうか?
 筆者がこの手のことを書くのは昔からですが、どうも原発反対の感情論が全くやらなくていい事故対策(ポールの設置で済むテロ対策を地下施設に化けさせています)を行わせ、年数兆円の化石燃料費を流出させ、おまけにCO2の排出で化石賞(確かに化石燃料を昔より使っているかもしれない)をもらう原因になっているようです。最後のはどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、とにかくデメリットが大きすぎてメリットがないと思うから書いているのであって誤解なきよう。

共通テストと記述式について

2019-12-18 12:17:16 | 政策関連メモ
 大学入試共通テストで記述式見送りが決ったようですが、筆者は記述式を大学入試共通テスト(旧センター試験)で導入すべきという考え方であり、何故そうなるのか考えたことをここに簡単に纏めておきます。
 まず記述式そのものが重要です。公平不公平いいますが、適当に鉛筆転がしでたまたま点がとれかねない選択式こそ必ずしも公正な試験とは言えません(迷ったから必ず直感になり、迷うことが多いのが当然であって、本当に分かっているかどうかを選択式で問うのは原理的に不可能です。うろ覚えで正解にするのも実力の内で、ある程度理解度は計れると思いますが)。二次試験で論述式をやればいいという考え方もあるかもしれませんが、足切りがあるのであれば、ある程度共通テスト対策をやらねばならず、そこに記述式がない以上、記述式で養成される実力は(共通テストに記述式があるケースより)受験勉強で養われ難いことにどうしてもなってしまいます(時間は有限ですから)。足切りだけならまだしもなのであって、二次試験に合算すればするほど二次試験が記述式に寄らない限り、記述力が問われなくなってしまいます。
 自分も受験生だったから大体分かりますが、楽な道があるとそちらに人間は流れるもので、二次試験も選択式の方が楽なのですから、記述力を問わない大学が有利になる可能性も否定できず、そうでないとしても、受験勉強が安易になる可能性があって、共通テストに記述式という柱があったら、どれだけ大学生になった時の学力が向上しているか分からないと思います。国語で記述力が問われない?読解力や作文力をどう問うのか?数学で記述力が問われない?式とかその人はかけるんでしょうね?英語で記述力が問われないのは国語と同じく大丈夫なんでしょうか?歴史や地理や公民の類だって、どう課題解決能力が養われるのか分からない話です。
 私大は選択式が多いのだそうです(省力だと思いますが、試験日程をずらして膨大な人数が受験しており、これこそ抜本解決が難しいと思います)。私大のために共通テストがある訳ではありませんが、共通テストに記述式があれば、私大生の学力が向上しやすそうです(参加しない選択肢もありますが、受験して欲しい私大こそ足切りの意味があまりないのでは?)。受験生は割合早めに特化した勉強をすると考えられるからです。ハナからやらなくていいということが分かっていれば、やらなくていいやとなるものです。逆に言えば受験生は止めてほしい人が多いのか知りませんが、学力を養わない入学テストなるものは本末転倒も甚だしいのであって、過剰なお客様至上主義の出番ではないと考えます。
 足切りそのものに関して言えば、他の国公立を受験できなくなる足きり制度そのものに問題があると言えます(大人の事情で受験日がズレる私立は足切りをあまりやらないようですが、これは止むを得ないと考えておきます)。大体足切りになるかどうか選択式なら計算しやすいかもしれませんが、実際に足切りにあう人が少なくない訳で(ギリギリと思ったら出願する人は多いでしょうし、ギリギリならば落ちる可能性も大きいものです)、記述式が無くなったところで抜本解決になる訳ではありません(記述式があるかないかは言い訳しやすいか否かに過ぎません)。対策としては①足切りを禁止する。労力は増えるかもしれませんが、共通テストで記述式があるなら、記述式を減らしたり、設問を減らすの対応も考えられます。だからと言って必ずしも学力が落ちる訳でもなく、全体で考える必要があると思います。共通テストの価値は大学間の格差を無くすことにあって、そこで記述式がないことに問題があるということで導入されたはずです。差別化したい学校こそ頭を捻って二次試験すればいいだけで、チャンスは与えた方が、自分の大学に合う特化型が通りやすくなって、没個性対策にならないとも言えません。足切りを廃止したら出願が集中する学校が現れる可能性も否定は出来ませんが、私学が選択式が多いとは言え、対応は出来ています。ある程度合格発表日まで余裕を持った日程を組むことも重要かもしれません。②余裕がある大学が第二志望第三志望を受け入れる想定があってもいいかもしれませんが、現実的に難しいとは思います。入社試験で人気企業は足切りのようなものがあってもいいかもしれませんが(例えば私学と同じで他の企業もあるものでしょう)、入学試験ぐらいはテストの点で勝負する世界(面接や高校の成績も加味するにせよ)であっても良く、チャンスぐらい与えたらどうかと思います。記述で自己採点云々で不公平感は話が小さく、根本的には足切りでチャンスを与えない方に問題があるんじゃないでしょうか?そのイライラは自己採点云々というよりは、本質的に受験に落ちたイライラであり、門前払いされたイライラだと思われます(自分の考えがあって出願するものです)。

改良復旧と復興、国土強靭化と政府強靭化

2019-10-30 18:22:57 | 政策関連メモ
 改良復旧ということですが、技術革新があって、コスト安で強靭な技術が生まれていれば、あえて旧来の技術で現状復旧する必要は無いと思います。ただ、災害が起こる度に政府が全額出して「復旧」するのようなことであれば、誰も防災を行わなくはなってしまう恐れが無いとも言えません。堤防が決壊しないよう対策していくのは今回明らかになった点だと思いますが、越水に対して水防団が組織されていたかどう対応したかの論点が明快になることはなく、補償の問題が先行したのが気になった点です。結局、改良復旧もあまり過剰に改良復旧してしまうと、速やかに復旧するより、改良復旧を待った方がいいとか、改良復旧があるなら、事前に治水しなくていいんじゃないかとかそういう考え方に陥る可能性が否定できないと考えます。システムとしては、現状がどうなっているか知識不足で分かりませんが、復旧にあたる事業者がwin-winの技術があれば、役所に一報して了承の下に新しいというか現状の適切な技術で復旧することが考えられます。火事場泥棒は基本的にいないと思いますが、制度の裏をかく不心得ものが日本全国何処にもいないとは言えないので、わざわざやらなくていい高コストの技術での復旧の申し入れは突っぱねるのが当然ですし、突っぱねなければ担当者・首長の責任が問われる可能性はあった方がいいと思います。イメージとしては、水道工事の業者に工事を頼んだ時に近いでしょうか。直ぐに壊れたら事業者の信用が失われますし、良い技術があったら、提案してくれると思いますが、了承もなしに勝手な工事をする事業者も基本的にいないはずです。行政府の担当者は技術の動向に詳しいと思いますが、予め万一の際に何処が旧来の技術で危険な箇所で、どういう技術で復旧すれば適切なのか事業者と意思疎通しておけば、迅速な対応が可能だと思います。何処まで可能か知りませんが、どれが理想的な防災行政ではないかと。
 天災があったら残念だったねの発想では天災の多い日本はお先真っ暗となりかねません。始めから出来ないのメンタルでは出来るものも出来ませんし、禍を転じて福と為す、転んでもタダは起きないぐらいのたくましさはあった方がいいとも思います。守りに入り過ぎて今の日本社会はデフレマインドの払拭が課題ではあります。ですから災害の多いことを逆手にとって、優れた技術を開発し、海外での発注に繋げる発想も重要ですし(それこそ外郭放水路の技術は世界に売っていける技術なのかもしれません)、特別に組んだ復興予算・補正予算で何か良い提案があれば、新しい技術を試してみるあり方も無いとは思いません。ただやはり天災を期待するようになっては本末転倒なので、何らかの歯止めも必要だと思います。枠組みとしては例えば特区のような感じで手を挙げたところが合意の上で折半で新しい技術を試してみてはどうかと思います。新しい技術は不安なものですが、使ってみないと伸びる技術も伸びないところはあると思います。成功した技術は皆模倣するのでしょうが、技術を成功させるには結局は試行錯誤しかなく、役所が硬直し過ぎた融通の効かない対応に陥っている可能性が無いとも言えず、そうであれば天災が多いことはただのマイナスにしかなりようがありません。成功した技術が評価されるのも当然のことです。技術開発ほど労力がかかるものは無いのですから。(大企業病という硬直性や切羽詰った中小企業などという現実が無いとも言えませんが)理想的な民間のあり方では、優れた技術を開発して一儲けしよう、評価されようということになるはずで、そうあらねばならないのは公共事業にしても同じだと思います。改良復旧というか、天災があって益々盛んになる復興という考え方も日本にとって重要な一面があると思いますが、掛け声だけではそうはならないのは勿論のことで、政治の働きが重要だと思っています。
 以上ですが、勿論防災に関連して政治に必要な制度・慣習を考えてみたまでで、天災が幸いだと狂ったことを喚いている訳ではありません。最近はフェイクニュースなるものも話題になるご時勢で、言ってないことを批判する藁人形叩きなるものが横行し、社会の木鐸がお題目のはずのマ○コ○に切り取って報道する向きがあると言いますので念のため。

※筆者のfacebookコメントより転載。

福島県の復興の検討

2019-04-30 15:03:01 | 政策関連メモ
平成に幕...「天皇陛下」4月30日退位 大震災後福島県6度来県(2019年04月30日 福島民友ニュース)

>震災以降の両陛下の本県訪問は6度に上った。
>避難所で膝をつき、被災者と同じ目線で語り掛けるその姿と、優しいまなざしは復興に歩む県民に大きな希望を与えた。
>在位中、最後の訪問は昨年6月、南相馬市原町区雫(しどけ)の海岸防災林整備地を会場に行われた第69回全国植樹祭。両陛下とともに、約8000人もの参加者が植樹したクロマツなどの苗木は、いまも少しずつ成長を続けている。

マツ(ウィキペディア「マツ」(2019/6/5))

>マツ属の葉は短枝と呼ばれる枝の一種に数枚が束になってつく。その数は個体内での多少の差はあるものの2枚、3枚ないしは5枚が束になって生えていることが多く、種によってその数は決まっている。
>日本では二葉松はアカマツ (P. densiflora)、クロマツ (P. thunbergii)、リュウキュウマツ。
>五葉松はゴヨウマツ、ヒメコマツ、ハイマツ、チョウセンゴヨウ (P. koraiensis)、ヤツタネゴヨウが知られている。
>三葉松は、アメリカ大陸を中心に分布しテーダマツ (P. taeda) やダイオウマツ (P. palustris) などが知られている。日本には3葉のマツは自生していないものの、化石の研究からオオミツバマツ (P. trifolia) と名付けられた種が分布していたことが確認されている。

被災した双葉郡を意識して平成天皇、皇后両陛下(当時)はクロマツやアカマツを植えられたんだろうと思います。クロマツが雄松(オマツ)で、アカマツが雌松(メマツ)になります。松は白砂青松(はくしゃせいしょう)で日本の美しい海岸の風景のたとえですが、この松は主にクロマツのことなのだそうです。松は冬でも緑を絶やさない常緑樹で縁起物とされます。松は古来、和歌で「待つ」という動詞と掛詞として使われてきたそうですが、植樹された松が成長し、福島が復興することが期待されると思います。

福島でフタバと言えば、フタバスズキリュウ(巨大動物図鑑)も想起されます。1968年に福島県の双葉層群という地層から当時高校生だった鈴木氏によって発見された首長竜の化石ですが、2006年5月、エラスモサウルス科の新種としてフタバサウルスFutabasaurus suzukiiと正式に命名されているようです(いわき市石炭・化石館)。フタバスズキリュウは北太平洋では最古の首長竜とされるようですが、北海道道北中川町の国内最大のモレノサウルス(ナカガワクビナガリュウ)のレプリカ標本も結構すごいようです(中川町エコミュージアムセンター)。首長竜は水棲爬虫類の一種で厳密に言えば恐竜とは言わないようですが、筆者の見たところ、じゃあ巨大な水棲爬虫類を爬虫類扱いしてどんな意味があるの?ってことになりますし、翼竜類の扱いもありますから、爬虫類の巨大なもの=恐竜って扱いでいいんじゃないかと思います(ワニが恐竜ってことになってしまいそうですが、アレ滅びてない恐竜なんじゃないですかね。参考:7mを超える世界最大の超巨大ワニ(ランキング&画像) ailovei)。首長竜に胎生か卵生かという議論があるようですが、どう考えても胎生だと思います。爬虫類だから卵生は思い込みじゃないんでしょうか?胎生は魚でもあるようですし、胎生は生物の歴史において何度も独立に進化しているようですから、証明されない限り卵生でなければならないというより、胎生だろうけど卵生と証明されたら驚きって感じじゃないでしょうか。幾らなんでもあの大きいのが陸に上がらないというか、方向転換すら難しそうです。首長竜の首が長いのは柔軟に首を動かして魚を捕らえるためのようです(首長竜は何故、首が長く進化したのですか? yahooo知恵袋)。多いものでは80個近くの首の骨があったようです。プロントサウルス(カミナリリュウ 竜脚類)やキリンのように復元するのは間違いなのかもしれません。海面から大きく首を出してどうするというんでしょう。息継ぎなら頭だけ出せば十分ですし。ネッシー残念!

双葉郡は明治時代に楢葉郡(ならはぐん)と標葉郡(しねはぐん、しめはぐん)を併せて成立。福島からの避難者ら上賀茂神社参拝し復興祈願(産経ニュース 2015.3.12)したことがあって、これは雷と電力を掛けたもののようですが、両賀茂神社のご神紋がこの双葉葵で双葉郡も意識したものではないかと思います。和歌では葵(あふひ)を「逢ふ日」と掛詞にします。双葉葵のフタバは、茎の先に葉を2つ、対生状につけることが由来であり、カンアオイ属で所謂アオイ科の植物とは種が違いますが、葉がアオイ科の植物に似ていることから、共通の名前であるようです。源氏物語の葵の上の葵も葵帖に由来し、葵帖は葵のかんざし(髪挿し)の和歌に由来するようです(草木の枝や花を髪にさすことは「かざす」といい髪挿すの転です)。平安時代、祭といえば両賀茂神社の賀茂祭のことを指しましたが、江戸時代に賀茂祭が再興された後、葵祭というようになったようです。徳川家の葵の御紋は三つ葉葵で架空の存在(鳳凰とか龍とか、植物で言えば扶桑とか世界樹のようなものなのでしょう)ですが、賀茂氏との繋がりが深い三河国の武士団は、葵紋を家紋としてきたのだとか。原発事故で南北に別れてしまった双葉郡が何時か復興することを願っています。

さて、具体的に福島の復興を考えていきます。福島の復興を目指す組織としては、福島復興再生総局があって、復興庁福島復興局、環境省福島地方環境事務所、原子力災害現地対策本部を統括する組織として、福島市の福島復興局内に事務局が置かれているようです。総局の長は復興大臣(福島原発事故再生総括担当大臣)。

筆者は沖縄における産業の振興開発に寄与する事業に必要な長期資金の貸付けなどを行っている沖縄振興開発金融公庫のような福島におけるビジネスを支援する特殊法人・政策金融機関が福島の復興を早めるのではないかというアイディアがありますが、その妥当性は分かりません。事故対策は既存の組織が対応しているはずですが、単なる事故対策を超え、福島が復興したと言える状況を創り出すには福島におけるビジネスを盛んにせねばなりません。それを政策的に誘導する専門機関が政策金融機関だと思います。これが福島に必要なのは事故が起こって処理に長期間かかるというハンディを背負っているからです。日本の原子力政策の失敗・防災政策の失敗は皆で負担するべきでしょう。勿論底なしで支援できるという訳ではありませんが、少し有利な金融機関を設置して福島でやろうという企業や個人を支援するのが妥当のような気がします。既存の機関との競合も考えられはしますが、それは設置ありきで解決できる話だと思います。既に何らかの措置でビジネスが有利になっているかどうかは知識がありません。福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想があるのは承知していますが、イノベーションと浜通りが対象と認識しています。ラベリングは主に福島で行われていると思いますので、浜通り以外に恩恵があってもいいような気がします。

前置きは以上ですが、福島を地域別に分けてどんな産業があってどう復興させればいいか検討していきます。順番は会津→中通り(南→中→北)→浜通りです。あくまで経済の復興の話ですので、重要なのは如何に生産性を高め、労働力と資本を集めるかだと考えます。

まず中通り南部の白河都市圏。ここは古くは奥州の三古関の内のひとつ白河の関があったところで(他にいわき市勿来関、鶴岡市鼠ケ関)、みちのく(奥州・羽州)の玄関口とされてきたところです。白河関跡(白河観光物産協会)によると、>その後律令制の衰退とともにその機能を失いましたが、『歌枕』(和歌の名所)として文学の世界で都人の憧れの地となり、能因や西行、松尾芭蕉など時代を代表する歌人・俳人たちが多くの歌を残しています。和歌・俳句から見るふくしま(福島県立図書館)参照で>『奥の細道』は、「月日は百代の過客にして」という有名な冒頭の少し後に、「春立てる霞の空に、白河の関越えん」との一節が続きます。分水嶺の南が有名な観光地の那須で白河高原としての観光開発もあるようですが、東北観光の始まりとしてのポテンシャルもあるかもしれません。少子高齢化で需要が縮小するのであれば(働き方改革しても抜本的な対策にはならないとも考えられます)、新しい需要開拓のターゲットとしてインバウンドは外せません。外国人にも分かるように何処が風流かを説明できれば面白いんじゃないでしょうか。仙台・松島等とのセットでの売り出しも考えられます。世界で知名度のある日本人ベスト34を発表!(日本を徹底分析して世界でのイメージやランキングを公開)によると、国際的な知名度No.1に松尾芭蕉がいます。これは潜在需要と言えるような気もします。霞(かすみ)は文学的表現でよく使われる主要な和語で、ウィキペディア「霞」(2019/4/30)参照で①霧・靄・煙霧などで遠くの景色がぼやけている(=かすんでいる)様。やや文学的な表現で、気象学用語ではない。春の季語。②朝焼け・夕焼け。(原義)③霞 (修験道) - 修験道特に本山派の地域ごとの支配・管轄地域。④研ぎ仕上げの技法。⑤合わせ鍛えの包丁。・・・という多義的な意味を持つ言葉です。春の山野に立ち込める水蒸気が文学における季語の霞だと思いますが、たまたま霞が発生しておりその情景を切り取ったものか、あるいは霧のようなものを指している訳ではないのかは筆者に分かりませんが、関心のある人にガイドできる人がいたり、ガイドブックがあったりすると面白いのかもしれません。外国のガイドブックは分厚く文字による説明を好む傾向があるようでもあります。修験道(日本の山岳宗教)や研ぎに関係するというのもポイントで、外国人からみた和を感じさせる要素でもあるのかもしれません。忍者で霞の用語は頻出し、修験道と忍者の関係も示唆されます。松尾芭蕉=忍者説も存在しますね。霧とスモッグの区別は必要な気もしますが、幻想的なイメージの霧はスコッチやお茶や山水画なんかで売りにもなっていると思います。白河の関跡(トリップアドバイザー)参照で、関跡はそれほど開発されていないようですが、関が原観光があるなら、白河の関観光があってもいいような気もします。特定の場所に限らず、分水嶺/関東と東北の境というテーマで適地を探す発想があってもいいと思います。図で解説!雨の分かれ道「分水嶺」とは?知れば知るほどおもしろいその秘密(YAMA HACK)参照ですが、同じ東北で山形県山形市堺田の分水嶺なんかは広場が整備されており、松尾芭蕉も泊まったという封人の家(最上町)(国境を守る役人の家)があるようです。分水嶺と言っても同じ太平洋岸ではありますが、東北と関東の境というのが重要だと思います。

東北とは?を考えていて陸奥/東山道の歴史を見る中、やはり現代におけるメインストリートは白河に始まり青森に到達する阿武隈川~北上川~八戸・青森ラインなんだろうと思いました。とにかく人口密度が比較的低いところがポイントですから、勿論渋滞する場所もあるでしょうが、ここをドイツのアウトバーンのように飛ばせるポイントに出来ないかとふと思いました。ドイツのアウトバーンもいろいろ誤解はあるようですが、何処でも無制限という訳ではなく、渋滞する箇所では速度制限もあって速度違反すると捕まることもあるようです。速度を出せるスポーツカーも速度を出せなければ宝の持ち腐れとも考えることが出来ます。あるいはドイツのスポーツカーが強い理由もアウウトバーンにあるのかもしれません。アウトバーンは無料ですが、有料の日本の高速道路で出来ないはずがないんじゃないでしょうか。富裕層消費の拡大も日本の消費拡大の鍵を握っていると思います。あるいは北海道や南九州が対象であってもいいかもしれませんが、特区など検討されてもいいのでは。場所はやはりトンネルが少ない区域が対象になろうかと思います。

次いで東北第二の都市とも言える郡山都市圏。ここは交通の結節点「陸の港」として著しい発展を遂げた勢いのある都市です。郡山の名は古代安積郡の郡役所に由来し清水台遺跡がその跡だとか。当時としては大変珍しい瓦葺きの建物があったようです(郡山の遺跡 文化財調査研究センター)。安積疏水による開拓や水力発電が発展の礎だったとも。コンベンション都市でもあり、新たな産業の振興に勤める産業都市でもあるようです。音楽都市としての売りもあるようですが、コンベンションとのシナジーを考えても、生産と裏腹で需要拡大を考えても(お金を貯めても消費か投資に繋がらなければ意味がありません。守銭奴は後世に埋蔵金を残すぐらいしか役に立たないでしょう)、音楽都市としての消費拡大で文化振興をそのまま推進してもいいんじゃないかと思いました。スポンサーあっての文化です。東北や関東から同好の士も集まるでしょうし、音楽が復興の支えという話もあります。音楽都市・グラスゴーから!|トピックス|創造都市・浜松を参照すると、浜松なんかがそういう発想で音楽都市をやっているようですが、>音楽都市としてのグラスゴーの特徴はスコットランド地方に残るケルト文化をベースとした音楽であり、毎年冬に開催されるケルティック・コネクション音楽祭は市街地のコンサートホール、クラブ、劇場等を舞台に2週間以上街中が音楽一色で染まる一大イベントとなっています。その他にもバグパイプの音楽イベントとして「世界パイプバンドチャンピオンシップ」や「パイピングクラブ」も開催されています。・・・とのこと。東北で音楽と言うと、津軽三味線をイメージしますが、津軽以外がやっちゃいけないってこともないような気もします。伝統楽器と言えば、伝統材料ですが、現代的な材料に変えるって手も考え方もあるような気はするんですよね(あくまで選択肢です)。当地じゃないってことで。意外とその辺が飛躍のネックになっている可能性もあるような気がしないでもありません。それはともかく和楽器で現代的な音楽をやってもいいような気もしますし、東北の音楽の特徴なるものがあるか分かりませんが、音楽都市が新たに特徴をつくってもいいはずです。和楽器で太鼓や三味線など人気集団はありますが、コンサートホールのような場所と結びつかないような気がしており、せっかくですから、和楽器と言えばあの都市みたいな都市があっていいような気がします。京都がそうなのかもしれませんが、あそこはオーバーツーリズムですし、伝統と格式の縛りがあるような気もします。オペラハウスなんかがありますが、演劇と音楽も切っても切り離せません。日本の音楽はリズムがないとも言いますが、不審に思うのは拍子(ひょうし)という言葉は伝統的にあるということで、能楽用語で8拍を一単位とするリズム構造を八拍子(能楽用語辞典)というようです。新しい産業に取り組む郡山ならでは?

県都福島市のシンボル的存在が信夫山(しのぶやま)。福島盆地の中、全国でも珍しい街の真ん中に浮かぶ小山で所謂ランドマークですが、標高が275mあって、愛媛県松山市のランドマークである松山城がある城山(勝山)が131mですから、2倍超の高さがあることになります。登山趣味の入口として親しまれ、山岳信仰の対象として、出羽三山の分社があり、熊野山、羽黒山、羽山の三峰で構成され信夫三山とも言われます。今年は開催が終わっていますが、信夫山公園桜まつり(るるぶモール)は大勢の人でにぎわい、山頂からは福島市内を一望でき、福島市民に親しまれる山のようです。歌枕として詠まれる対象としては福島県随一で伊勢物語でも詠まれているとか(信夫山 - 蝦夷・陸奥・歌枕)。信夫は当て字で本来「忍」「偲」「恩」とも言われ、しのぶという語感の響きは恋しのぶ・しのび逢い・しのび居る・耐えしのぶ・忍び泣き しのび足・しのび音・しのび寄る等王朝・鎌倉時代にかけてもてはやされたそうで、アニメ映画となりのトトロ主題歌のモデルになったり、何かと文学の対象となる山のようです。現在ではガイドセンターがあって、フォトコンテストが開かれたり、シンポジウムが開かれたりします。

江戸時代から300年以上の歴史がある信夫三山暁まいりを参考に1970年から夏祭り「福島わらじまつり」が行われており、開催翌日に日本一の大わらじと絵馬はスタッフ有志により信夫山羽黒神社へ奉納されます。東北6県都の代表的な6つの夏祭りを一同に集めた東北絆まつり(東北六魂祭)の一角。草鞋(わらじ)とは、稲藁で作られる日本の伝統的な履物(サンダル)の一つで、現在では使用されなくなったものの、キーホルダーになるなど日本人に馴染みがあります。由来・語源辞典によると、「わらぐつ」から、「わらうづ」→「わらんづ」→「わらんじ」と転じて、「わらじ」となったものらしいのですが、そう考えると、藁沓(わらぐつ)以外のクツもあったということになります。調べてみると、「烏皮 (くりかわ) の履・浅沓 (あさぐつ) ・糸鞋 (しがい) ・麻沓 (おぐつ) ・錦鞋 (きんかい) など、革・木・絹糸・麻・錦・藁 (わら) などで作った。」(デジタル大辞泉)のだとか。何処かにわらじとか、かかし(鳥獣を避けるため獣肉を焼き焦がして串に通し、地に立てたものもカカシと呼ばれるため、直接の語源は「嗅がし」ではないかとも言われる)やニオ(刈り稲を円錐形に高く積み上げたもの。稲むら。稲にお)、注連縄とか、日本の中心文化である稲作にまつわる民俗や民具・技術や風景に関する博物館があってもいいような気はします(田畑 吟行用語集)。まぁ、「食と農」の博物館 | 東京農業大学岩手県立農業ふれあい公園 農業科学博物館農場博物館 -東京大学生態調和農学機構(わら細工・クラフトのイベントがあるようです)や秋田県立農業科学館があるようですが、農業だと対象範囲が広過ぎるような気もしますし、博物館におけるデジタルアーカイブをどれだけ進展させているのかなと思わないでもありません。紙の資料があってもいいと思いますし、公金投じて博物館をやるのであれば、研究成果を広くアクセスしやすくして、社会に還元してもいいんじゃないかと思います。それで関心を持つ人が増えたところで博物館に訪れる人が増えるみたいな。そうやって知識にアクセスしやすくしておけば、それを利用して生産性を高める人もいるんじゃないでしょうか。靴なんかも同様で日本の伝統衣服で言えば、青梅着物博物館があるようですが、デジタルアーカイブという観点など物足りないところがあるような気がしますし、皇室や江戸時代の貴重な衣装(着物)を展示しているということですが、日本文化と衣服という観点で研究拠点になったり、知識を広めたり、体験観光できたり、何かいろいろ出来るような気はします。予算の問題かもしれませんが。やりだしたらキリはないでしょうが、日本の伝統的衣食住の研究が進み広く公開されるなら、日本ならではの強みに繋がるような気もします。

信夫山は岑越(みねこし)山とも言われたそうですが、これは少し不審です。玄関口の白河方面から見て岑(峰)を越したところに岑越山があるという訳ではないからです。岑は岑越山のことであるというのが一般的な説のようですが(ネットで見かけましたが)、そんな日本語は無さそうです。少しでも楽をするためには山は回避するべきで(新幹線や国道が信夫山を貫いているようで、撮り鉄の対象になったりしているようですが)、わざわざ山を通るとは思いにくいところでもあります。峰を越したところが峰越で峰越にある山が岑越山だと考えるのが自然です。そう考えてみると、東北(陸奥)の中心地である多賀城(宮城県仙台付近)や出羽柵(山形県庄内地方)の両者から見て、峰を越えたところがあるのが峰越ではないかと思えてきます。特に概ね陸奥の国として同一ですし、国衙から見た名前がついて不思議がありません。阿武隈川が福島県ー宮城県を貫き、ピンと来にくいところはあるのですが、古来より奥州街道では(信夫山からやや北にある)国見峠長坂が難所で、道の駅国見「あつかしの郷」と千年のまちくにみ巡り(JR東日本)によると、「松尾芭蕉の「おくのほそ道」でも険しい道のりと記された国見峠の街道跡です。長坂をのぼると、平場には茶屋が2軒あったと伝わり、多くの大名・旅人が行き来した当時の面影を今に伝えています。」とあり、交通の往来があって、印象的な難所だったようです(距離の面で言えば、出羽に向かう峠の方が近いです)。信夫郡一帯は当初は東北の最前線だったようで、そこから峰を越したところに目立つ山があったともとれます。

国見町ですが、福島市都市圏ということで、阿津賀志山防塁なんかも面白いと思います。奥州平泉政権の防塁ですが、(世界遺産に入っていないようですし)もしかしたらちゃんと残っていないのかもしれませんが、山腹を始点に3km余にも達し、延べ40万人を動員し築造されており、それだけのものを造る力があったということで、目立たない印象ですが、東北を代表する文化資産と言えるような気もします(国指定史跡 阿津賀志山防塁 南奥羽歴史散歩)。東軍勝利を聞いた伊達政宗も上杉領に攻め入る際に阿津賀志山に本陣を置いたようですが、より高いところに軍を置くのが有利で東北勢の最前線となりやすい地形なのかもしれません。

以上ですが、全国トップクラスの出荷量を誇る桃は、福島市を代表する果物ですし、吾妻小富士(アズマは東夷(アズマエビス)など、ヒガシ(東)を表しますが、ヒムカシから転じたヒガシと違って、一般的に納得いく由来がないようです。関東・東北を表す言葉のようですが、ズマは褄で端 (つま) でしょうから、アが問題ですが和語としての意味が吾で我のようですから(「ア」の意味が理解できないと日本語の「意味の説明」ができない 「万葉仮名の六十二個」の一音節語の解説コーナー。)、我が端のことだと考えると、関東・東北のことでいいんだろうなと腑に落ちるものがあります(そう考えると、阿蘇は我が襲(ソ)ですし、阿多は我が多(氏)/田で阿部/安倍は我が部(ベ)ということになります。安倍に時々触れるのは古代史(東北や陰陽道)をやると止むを得ないというだけで全く他意はありません)も独立峰の名山と思いますが、この辺として白河に始まるみちのくの始まりであるところの福島県中通りに関する記事をひとまず終わりとします。

くるまの遊園地 エビスサーキット)D1グランプリの開催や年に3回ドリフト祭りが開催されており、外国人旅行者も訪れるなど、注目があるようです。日本の「ドリフト文化」が世界で注目があるとか。

次いで会津。独特の歴史・文化で観光資産がある地域です。観光と言いますと、今は発信より「やるべきことをやる」「整備だ」というデービッド・アトキンソンさんの意見(MSNニュース 2019/05/23)という意見に注目しています。やるべきこととは?という話ではありますが、筆者としては今の「解説」に多々疑問があるので、自分なりの視点で理解を深めることがやるべきことなのかなと思っています。

会津の縄文時代は阿賀野川流域で火焔土器があるようです。どうも会津は北陸と関東の出会う場でもあって、早くから南回り文化圏だった気配があります。越後―会津間は勾配・傾斜がきつくない特徴があって、縄文時代人が住みやすい土地だったんじゃないかと思います。豪雪地帯だとすれば、逆に食料保存の技術や縄文農耕は発達したんじゃないでしょうか。

会津の歴史 旧石器・縄文・弥生・大和(古墳)時代(会津若松観光ビューロー)

>縄文時代:はじめの頃は東北や北海道に近い形の土器が使われていたが、次第に関東や北陸地方の影響を受けた文化が進み、土器の種類も増え美しい文様をつけたものが現れる。

氷河時代の旧石器時代以来、日本が人類の発祥でなければ、日本に人類が辿りつくルートは概ね3つで、その内、ほとんど南は難しいですし(大型動物を追う旧石器時代にも関わらず、島嶼づたいになってしまいます)、概ね西と北の2つの潮流を押さえておけば良いようです。動物もプラキストン線による違いがありますね。縄文時代の東日本と西日本の違いもよく知られますが、やはり気候の違いは生物相の違いで文化を分けるところがあると思います。事実、沖縄方言は日本語のバリエションですが、アイヌ語と日本語に互いの痕跡はあれど、言語学的に系統が違うと言われます。つまり(縄文土器で区分される)縄文文化とは元々異質な2つの潮流の相互作用で生まれたとも言えるのではないでしょうか?どちらも先住民ですが、その来歴は違っていて、にも関わらず、土器という形式ではそのふたつの潮流は必ずしも区別できないという意味です。土器の形式に言語学的痕跡がある訳ではありません。いろいろ誤解があるようですが、縄文時代が単一文化とは思えません(答えを見た回答のようなものですが、アイヌと日本でその来歴が違うからです)。それはともかく会津は縄文時代当初、北方文化圏だったようですが、次第に関東・北陸圏と言える状態になったようです。その象徴が火焔土器という訳ですが、弥生時代は会津にも到来し、古墳時代の比較的早期に大規模前方後円墳が登場しました。

勿論、福島が東北でないという意味ではありません。その逆でもっとも早い東北が福島だったというのが筆者の考え方です。日本は北上し、東北は拡張していきます。東北の2代潮流に出羽(日本海側)と陸奥(中央・太平洋側)がありますが、出羽が新潟の延長線上にあると捉えられれば、会津が阿賀野川流域圏で新潟の影響を強く受けていましたから、わりと同じものとみることも出来そうです。元より山脈を越えれば出羽と陸奥は隣同士です。

新潟の火焔土器が派手は分かりますが、そのバリエーションにも見える王冠型土器も味わい深いものですし(拙稿)、会津は会津で阿賀野川圏として、あるいは関東と出会う場として、違う切り口で、かの有名な火焔型土器/王冠型土器を常設的に研究できれば面白いのかもしれません。それだけの出土があるかは分かりませんが。

前方後円墳で言えば、会津の前方後円墳はかなり早いことで知られます。山形(置賜地方)や宮城も割合早く大きいのですが、会津を経由したかもしれません。関東より早い感じで、北陸/新潟/阿賀野川経由で関東に南下も考えられ、これが北陸に派遣されたという四道将軍の大彦や稲荷山鉄剣銘を想起させるものがあります。

亀ヶ森古墳(4世紀後半/墳丘長:129.4メートル/福島県河沼郡会津坂下町大字青津/東北地方第2位・福島県第1位の規模)
会津大塚山古墳(4世紀末/墳丘長114m/福島県会津若松市一箕町/東北地方第4位・福島県第2位の規模)

やはり年代順で阿賀野川を伝って大和朝廷の勢力圏に入った感じです。これは卑弥呼の100年後で(九州説とは?・・・神武東征を踏まえて東漸説では全然なく、卑弥呼の時に大和が九州に入ってない説です)、被葬者は不明ですが、時期は神功皇后や応神天皇のあたりになります。神功皇后以前に成務天皇の志賀高穴穂宮があって、比較的早期に北陸から新潟に到達する動きがあったとも考えられます。前方後円墳は特に地方においてはポツンと巨大なのがあって、わりあいそれきりになりますから、(特に証拠がない限り)以降はそのまま大和朝廷の勢力圏と見ることも出来ます。

気になるのは青津という地名で、後の時代の飯豊青皇女(飯豊天皇)との奇妙な符合です。会津には山岳信仰で飯豊神社がありますが、修験道と絡めて山岳信仰文化は(土俗というより)わりあい日本的なものです。耶麻郡・山都町の地名もありますが、これは万葉仮名・古い当て字の残存で、やはり日本文化/大和文化との深い関連を感じさせるものです。会津という地名に関して言えば、阿賀川・濁川の合流点付近の津を表すとも考えられます。つまり、福島県河沼郡会津坂下町大字青津あたりが会津地名の発祥の地かもしれません。濁川は置賜方面に向かうルートとして重要で、置賜地方に会津同様、早期の前方後円墳は見られるようです。青は藍に通じるものもありますね。

前方後円墳ひとつでどうなるというものでもないでしょうが、きちんと整備してちゃんとした解説でもしておけば、観光地のひとつになるかもしれませんし、会津・福島の貴重な文化遺産と思っています。神社との関連も十分考えられるでしょう。


飯豊山神社.jpg

飯豊山や神社の由来は諸説あるようですが、筆者は記紀・神道の立場から考えてみたいと思います。

> 陸奥国風土記逸文「この山は豊受比売神の神域であった。(履中天皇の皇女である)飯豊青皇女が物部氏を遣わして豊受比売神に御幣を奉納した。それでこの山を飯豊と呼ぶようになった」

飯豊もそうですが、青津・山都・前方後円墳(亀ヶ森古墳)含めて、偶然の可能性は全くないと思います。(履中天皇の皇女である)飯豊青皇女が物部氏を遣わして豊受比売神に御幣を奉納したのが山名の由来で、イイデサンが通常の読みのようですが、福島県会津地方では「いいとよさん」とも呼ぶようで、こちらが本来の読みだと思います。名前が変った理由は定かではありませんが、イイトヨ=フクロウで舶来の不吉のイメージでトヨに通じるデに変えたのかもしれません。特別フクロウに似ている山でもありませんし、総合的に考えて、飯豊青皇女の由来すると考えるべきで、従ってというなら、フクロウの意味もあるのかもしれません。その前段階として神功皇后や応神天皇の頃に大和朝廷との繋がりが深まっての奉納だったんじゃないかと思います。

神功皇后紀に天照大神などの祭祀の記述はあるのですが、日本書紀に豊受比売神は登場しません。ただ古事記序文に崇神天皇の祭祀は称えられており、それは漢風諡号にも現れていると思いますが、崇神天皇の娘の豊鍬入姫命こそ台与(トヨ)で豊受比売神のモデルのひとつではないかと思っています。


続く時代の会津で際立つのは恵日寺(真言宗豊山派)のようです。磐梯山や猪苗代湖の近くですが、慧日寺は平安時代初め、807年に法相宗の僧・徳一によって開かれ、隆盛を誇っていたようです。平安時代後期になると慧日寺は越後から会津にかけて勢力を張っていた城氏との関係が深くなるようですが、源平合戦で城氏が平家方について、一時衰退するとか。やはり新潟との関係が意外に深くて、地図で一目瞭然ですが、阿賀野川流域の山地の低さが影響していると言えるのかもしれません。

>慧日寺は北東に磐梯山、北に厩岳山、さらに磐梯山の北に吾妻山という山岳信仰の盛んな山を抱えており、その立地的な面から山岳信仰に大きな役割を果たしてきた。

磐梯山慧日寺資料館もあるんだそうです。考えてみれば、福島県は名山が多いような気もしますね。

>慧日寺の開基は806年に磐梯山が噴火した翌年



>元は「いわはしやま」と読み、「天に掛かる岩の梯子」を意味する。

一目見て何が岩の橋かと思いますが、恐らく噴火・噴石が「天に掛かる岩の梯子」なんじゃないかと思います。古くは病悩山(びょうのうざん、やもうさん、わずらわしやま)とも呼ばれたそうですが、山体崩壊も起こした激しい山のようです。裏磐梯からはその跡が見えるとか。日本の伝統的世界観は垂直型構造の世界観と言われ、高天原と黄泉国、根之堅洲国の中間に存在するとされる場所が豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)ですが、地上世界から高天原に向けて「いわはし」をかける山が「いわはしやま」=磐梯山ではないかと思います。

こういうのって観光にあるいはマイナスなのかもしれませんが、やはり噴火する山は噴火するんで、正しく怖がる必要があるんじゃないかと思います。昔の人は分かっていた。やもうさん。わざらわしやま。非常に美しい会津富士ですが、美しい花には棘がある、磐梯山には裏がある。火山と言いますと、世界ではマグマを見よっていう切り口もあるらしいです(火山のパワーを感じる、世界の「マグマスポット」! トリップアドバイザー)。マグマは熱すぎて痛いんだそうですが、危険を前提にした観光という切り口で整備したら面白いような気がしますね。

そもそも磐梯山の噴火がきっかけで会津の古代史・中世を代表する慧日寺が開山したようですし、元々修行の山だと思います。会津富士美しいねだけでは逆にもったいないし、差別化も出来ません。ただ福島県東部の阿武隈高地は逆に穏やかで知られます。火山って(カルデラ火山とか地質学的スケールで噴火するのもありますが)基本的にはそんなに広範囲に影響を及ぼすものではないので、やはり正しく知ることが重要です。噴石を想定したシェルターすら、やりようによっては独特の観光資源になる気もします。

続いて中世・近世史を簡単に概観しておきます。会津は結構歴史的に重要な位置を占めますので、歴史の流れを押さえておけば、観光もより楽しめると思います。

蘆名氏(丸に三引両)

鎌倉時代の有力御家人三浦氏(三浦三つ引)の出で、つまり遡れば平氏で神武天皇の子孫ということになります。室町時代には京都扶持衆として、自らを会津守護と称していたようです。 戦国時代の蘆名盛氏(会津黒川城 (のちの若松城) の時代が最盛期で、その菩提寺は曹洞宗のようですから、鎌倉(関東)と共に北陸と結構関係が深いのが会津という土地のようです。奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原(磐梯山裾野の摺上原(福島県磐梯町・猪苗代町))の戦いで大敗して、蘆名氏の時代は終わりを告げることになります。

蒲生氏(近江国蒲生郡)

蒲生氏郷(がもう うじさと)は、織田信長・豊臣秀吉に仕えて活躍したことで知られる南近江出身の武将で、初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主となっています。キリシタン大名ですが、利休七哲の筆頭にまで数えられた文化人でもあります。妻は織田信長次女ですが、戦国時代としては珍しく側室を置かなかったようです。娘が前田利政正室、南部利直正室になっており、伊達政宗を抑える大将としての会津移封でした。なお現代の南部家は後陽成天皇(1586年~1611年)の男系子孫で旧宮家より系譜上で皇室に近いということになります。近江の武将らしく建築も得意だったようで、黒川城を改築し、氏郷の幼名や蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで鶴ヶ城と名付け、あわせて町の名を黒川から若松へと改めています(伊勢の松坂も同じく蒲生氏郷の命名ですが、ちなみに伊予勝山を豊臣秀吉の子飼いの武将加藤嘉明が松山と改名しており、松地名は当時の流行の吉祥地名です)。政策的には商業を奨励したようですが、今の会津を最初に形作ったのは蒲生氏郷と言えると思います(蒲生家は後に松山に移封されており、その後伊勢桑名の松平家が入ります)。蒲生氏郷の死後、嫡子の蒲生秀行(13歳)が跡を継ぎ、家康の娘振姫(正清院)を正室に迎えたところ、蒲生家中で重臣間の内紛が起こるようになり、秀吉は家中騒動を理由にして秀行を宇都宮12万石へ減封したようです。秀吉が家康に通じることを警戒したのではないかと思います。

上杉氏(越後春日山)~蒲生氏~加藤氏

代わって越後の代表的戦国武将上杉謙信の養子の上杉景勝(長尾顕景)が入部していますが、(越後に通じる)阿賀川畔の神指ヶ原に神指城の築城を開始しています。秀吉の没後に徳川家康の会津征伐が始まり、西軍が呼応した形で関ヶ原の合戦に繋がります。西軍は敗北し、上杉家は米沢藩30万石へ減封されました。景勝に代わって関ヶ原の戦いで東軍に与した蒲生秀行が60万石で入部しましたが、当主が若くして亡くなる事態が続いて、伊予松山で蒲生家は断絶します。代わりに加藤嘉明が入れ替わりで会津に入部しますが、こちらも長く続かず、保科正之が入部し、会津松平藩がここに始まります。

保科正之/会津松平藩

保科正之は徳川秀忠の四男(庶子)で3代将軍徳川家光と4代将軍家綱を輔佐し、幕閣に重きをなしました。保科正之の六男の正容(まさかた)の代に、通字を保科家の「正」から「容」に改めることになり、松平姓と三つ葉葵の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門(御家門)となります。幕末の京都守護職を務めた佐幕派のキーマン9代松平容保(かたもり)は水戸藩主徳川治保の男系子孫で、現在の徳川宗家は容保の男系子孫になります(徳川家は宗家→紀伊家→水戸家と移り変わります)。鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、桑名藩や旧幕府軍とともに薩長を中心とする新政府軍と戦ったが敗北、その後の東北戦線において、会津藩は奥羽越列藩同盟の一角で重きをなし新政府軍に抵抗しましたが、結局会津戦争に敗れて戊辰戦争は集結に向かいます。

不思議な二重構造のらせん階段を体験!国の重要文化財(会津若松観光ナビ)

高さ16.5m、六角三層の会津さざえ堂は、寛政8年(1796年)、福島県会津若松市の飯盛山に正宗寺の住職であった僧郁堂(いくどう)の考案で建立されました。簡易八十八か所巡りみたいなのは結構各所にあると思いますが、2重螺旋のスロープに西国三十三観音像が安置されるその特異な構造が評価されて、平成8年に国重要文化財に指定されています。

蔵の町)喜多方市は飯豊連峰の良質な伏流水を使った味噌・醤油・清酒の醸造業が盛んで(喜多方市の蔵めぐり観光|喜多方 蔵の里(くらのさと)【喜多方市】(喜多方観光物産協会))、周辺農村の物資の集散地でもあった喜多方は、人口4万人に満たない町ですが蔵の数が約2,600棟とも4200棟とも言われ、全国的に稀にみる「蔵の町」になります。日本は木造建築でしたから、火事に強い蔵が重要だったようです。

宮古地区の蕎麦)喜多方市はラーメンで知られますが、旧山都町宮古地区の蕎麦も有名なようです。標高が高く稲作に不向きだったからだそうです(山都そばについて いいでとそばの里 -喜多方市ふるさと振興株式会社)

猪苗代湖)琵琶湖、霞ケ浦、サロマ湖に次ぐ日本第4位の面積を誇る湖で、標高514mの高所に位置します。猪苗代湖はアウトドアも盛んで、猪苗代町には野口英世記念館があることでも知られます。

奥会津)奥会津に押し寄せる外国人、只見線はラッシュ状態(JBpress 2018.12.5)。霧幻峡の渡しも有名ですね。

南会津大内宿)今に残る江戸の家並み。のどかな景色に癒やされる福島県南会津「大内宿」(MATCHA)。会津若松市と日光今市を結ぶ会津西街道に大内宿があります。

尾瀬)尾瀬ナビ(Yama-kei)。2000m級の山に囲まれた標高1400mの盆地で日本離れした雄大な自然を誇ります。

最後に浜通り。これは福島イノベーションコースト構想です。まず廃炉ですが、これは原子力発電所の延長に限界があると考えれば、これから廃炉産業が浜通りに来るなら、地元の大きな産業になるでしょうし、廃炉に関連してイノベーションを起こすことはかなり重要なテーマになってくると考えられます。廃炉作業をするため、安全な原発を延長しないのようなことでは本末転倒で亡国の道と言わざるを得ませんが、それはともかく、廃炉がこれから重要な産業になるだろうことは間違いないところだと思います。新設が難しいとしても海外の原子力発電所もある訳で、限られた資源エネルギーですから、原子力に一定の期待があるのも当然だと考えています。建設当時の設計図が無く解体作業用ロボットが作成できない、そもそも廃炉を前提とした造りではない等で作業に大きな支障が出てきているケースもあるようで、そうしたことに関して研究と対策が必要なことは言うまでもありません。新しい原子炉にせよ、廃炉を前提としたシステムに研究の余地はあるはずです。放射性物質の処理に関しての研究も考えられますが(言いにくいことをあえて言えば、無論十分対策を施した上で、一時保管の場を原発か原発付近の安全な場所としておけば、様々な問題がクリアされます)、放射線からの防護や放射線と健康に関しても、研究の余地はあるかもしれません。

次いでロボットです。>物流やインフラ点検、大規模災害などに対応する陸・海・空のロボット一大研究開発拠点である「福島ロボットテストフィールド」を整備し、ロボット産業の集積を図ります。・・・日本の発展に欠かせない今後有望な領域だと思います。物流に関して言えば、陸路で言えば郡山の現場との繋がりが成果を生むかもしれませんし、空路で言えば、いわき市なら日本最大のハブ空港(成田・羽田)との距離がそう遠くありません。港は浜通りに重要港湾が相馬港・小名浜港とありますが、国際拠点港湾は仙台塩釜港・千葉港・新潟港が近隣で、やはりイノベーションを意識するのであれば、国際戦略港湾の京浜(東京港・横浜港・川崎港)が重要かもしれません。インフラ点検のイノベーションが今後重要は当然ですが、浜通り特有の環境を考えるとヤマセでしょうか。これがインフラにどういう影響を与えるかよく分かりませんが、対策と原因追求は一体であり、対策が出来るなら長寿命化も可能になってくるんじゃないかと考えます。話はやや逸れますが、これは東北の農業なんかにも関係ない話ではないのかもしれません。大規模災害と言えば、震災・津波、あるいは火山です。ロボットは元来日本の得意分野であり、原子炉作業との関係で浜通りに必要なものではあって、IotやAIの活用も視野に入れながら、イノベーションが生まれることが期待されると思います。遠隔操作というテーマに関して言えば、防犯カメラの時代ですし、広がりはいろいろありそうです。PCの世界では相談窓口で遠隔操作が行われるなどの活用がありますが、ロボットというフロンティアでそれを行うことに可能性がありそうです。

次いでエネルギーですが、原子力災害にあった福島だからこそ、新エネルギーが重要という発想だと思います。テーマは再生可能エネルギー・水素エネルギー(天然ガス)の研究と復興に関連してスマートコミュニティが研究されているようです。いずれも有望かつ必要と思いますが、後者にやや関連して気になっているのが、空き家問題です。これは日本の課題でもありますが、戻らない選択をした方も少なくないという話で考えておかねばならない課題です。マイナスの話題を考えるのは気が重いものですが、だからこそ開拓の余地があると考えることが出来そうです。再生可能エネルギーに関して言えば、津波に関連して山で風力や太陽光・バイオマスを考えるべきなんでしょう。阿武隈高地はなだらかな山稜、緩斜面がひろがっており、研究の適地かもしれません。

農業はICT(情報通信技術)を活用した温度・湿度の管理や新たな水産業・見せる農業だそうです。温度・湿度に関して言えば、インフラ点検(長寿命化)にも関係すると思いますが、個人的には水産業は逆手にとって漁業しないこと(あるいは減漁業)による回復をテーマにすれば面白いんじゃないかと思います。あるいは海底の除染を研究テーマにしても面白いかもしれません。他には通常食用としない魚の研究や新しい漁法の研究です。あるいは漁業法改正を意識したテーマかもしれませんが、とにかく防災や事故の観点から福島での漁獲を増やすという発想からは少し距離が置かれるべきです。見せる農業に関して言えば、体験農業だったり伝統農業だったりするんでしょう。福島の農産物が問題ないというアピールに繋がる意味があると思いますが、イノベーションとの絡みで言えば、ロボットを観光にも利用する動きが面白いかもしれません(さがみロボット産業特区で農業と観光産業用のロボットをやるそうです)。テーマとやや外れるにせよ、環境、教育と絡めることも考えられるでしょうか。

環境・リサイクルに関して言えば、火力発電所から発生するフライアッシュ(石炭灰)を用いた土木資材の製造をするようです。いわき市が火力発電所で知られますね。地質的に(比較的安定な地盤で従来地震による被害の少ない地域である)阿武隈高地で都市鉱山が出来ないかという発想も有り得ると思います。

産業集積は>福島ロボットテストフィールドや福島浜通りロボット実証区域で様々な実証実験を実施。産業集積を促進するため、企業立地セミナーや農林業等の先端技術を体験できるフェアを実施。・・・浜通りだからこそ出来る集積も有り得るのかも知れません(それをするためにはいろいろ区切りをつける必要もあると思います)。ロボットは日本の有望な技術であり、技術者あるいは関連業者が集まり意見交換することで飛躍的な発展が見込める可能性もあります。福島の放射線の問題は既にほとんど無いと言え、福島浜通りにチャンスありだと思います。

教育は「浜通り地域等の高等学校におけるイノベーション・人材育成」「全国の大学等が有する福島県の復興に資する知を誘導・集積」「最先端技術を使った教育活動イノベーション人材の裾野拡大」「ふたば未来学園高等学校開校」ということで福島浜通りで生活し教育を受けることがひとつの売りになるかもしれません。大学の復興に関する知の集積に関して言えば、既に実績が積みあがってきているようです。イノベーション人材を集めるにあたって、一緒に教育をやるというのは大事な発想なのでしょう。教育とイノベーションに関して言えば、「新しいことを考える」ということに過剰に拘るのではなく、普通に資料やデータへのアクセスをよくすることが重要のようにも思います。基本的に学問は同じことを考えるのが仕事ではなく、息をするように新しいことを付け加えるのが習い性であるはずだと個人的には思っており、恐らく特別何かするということではないように思います。また、問題設定(発見)や問題解決が重要であり、比較し差異を見つけることや実践が重要なところもあると思います(分担なくして大きなプロジェクトなく団結は重要ですが(猪突猛進の巨艦大砲主義は必敗というのもあります)、同質性・同調性はイノベーションからはやや遠いところがあるはずです)。

交流人口の拡大は>視察及び研修の需要開拓及び地域住民と来訪者との交流機会の創出のため、視察ツアー等を実施。また、15市町村を始めとした県内外の各種イベントでのブース出展、セミナー等の開催により、福島イノベーション・コースト構想の取り組みを発信・・・せっかく立派なプロジェクトをするのですから、交流の場とすることも大切なことです。イノベ見える化計画・拠点施設等を巡る視察ツアー・Pepper(ロボット)が訪問者に向けた情報発信もあってここでしか体験できないイベントもあるようです。復興に関連して震災の資料館のような話がありますが、忘れないと前に進めないのような話もありますし、イメージの問題もあるかもしれませんが、第一発電所の問題が直ちに解決する訳ではなく、過酷事故を免れた第二の方の見学なんかがやることが考えられてもいいような気がします(既に行われているかは知りません)。

以上です。時間がかかり雑多でまとまりのない感じにはなりましたが、自分の考えること、知ることを詰め込んだつもりです。機会がありましたら、付け足し改訂していくかもしれません。

水害の実態と対策

2018-07-16 11:12:40 | 政策関連メモ
今度の水害でちょっと勉強してみようと思い、先日、本屋で見繕って「事例からみた水害リスクの減災力」(末次忠司/鹿島出版会)を購入。今しがた読了。自分の印象に残った箇所をメモして簡単に考察します。

①災害時、行政は災害対応に忙殺され、住民・マスメディア対応もあるので、中々平常時のような冷静な対応をすることは難しいので、事前に災害対応のシナリオをたて、訓練しておくことが必要(64p)。

マスメディアの(地元住民に対するインタビューの)話題をネットで見かけましたが、現場で対応にあたる行政の足を引っ張っていないかという観点も有り得るでしょう。筆者はマスメディアの取材も重要と思いますが(一次ソースをマスコミに拠らないSNSで知るというのはデマを知ることとほぼ同義であり(噂話ほど事実から遠い危険な情報はありません。面白可笑しいだけです)、行政対応のチェックを考えると、情報源を全て行政に頼る訳にはいきません。無論個人的なツテで安否確認することの重要性を否定している訳ではありません)、被災者を傷つけたり、災害対応の足を引っ張ったりすると本末転倒になると思います。

②アンケートで「必ずしも当たらなくても避難勧告・指示を出した方が良い」が88%で、「当たらないのであれば避難勧告・指示を出さない方が良い」が9%(65p)。

行政が狼少年になってしまうぐらい、「とりあえず出しとけ」は、防災の実効性の観点から逆効果だと筆者は思いますが(勧告や指示を出す時は従ってほしい時で、アンケートがどうであれ空振りが続くと特に実態を知らない層の行政に対する信用を失わせると思います。アンケートは出すのは出しとけば?を含んでいるのではないでしょうか?実際に避難が実行されて空振りが続いたとして88%が良い、これからも続けると言えるかに疑問があります)、迷うぐらいだったら、避難勧告・指示は出すべきだとなります。この本の他の箇所を見る限りでは、ある程度の確度で避難勧告・指示は出せるだろうと思います。いずれにせよ、対応の空振りより見逃しの方が厳しい見方をされるという指摘はその通りでしょうし、(費用対効果の観点は無視できませんが)災害の兆候を見逃さずに事前に勧告や指示を出していく体制を整備していくということが、行政の仕事なんじゃないかと思います。多分主軸になるべきは、総務省消防庁か国土交通省/気象庁/水防団なのでしょう。これに防衛省が要請を受けてサポートし、最終責任は政治家(地方自治体行政の長/職員や水防団を指揮できます)ということになるのではないかと思います。

③予測降雨は1時間先であれば、ある程度の予測制度を有しているが、3時間以上先だと予測の精度が落ちてしまう。当時の実績水位等の洪水状況から求めたパラメータを用いた予測計算を行うと、精度よく予測することができる(73p)。

別の箇所(13p)から総雨量ではなく、時間雨量の影響が大きいそうです。予測の精度は観測体制を整備すれば上がって行きそうですが、一日前に予測するという訳にはいかないのかもしれません。地元の首長ならまだしも、首相を精度の低い予測で振り回す訳にはいかないだろうと思います。災害の規模にもよりますが、東日本大震災クラスでもなければ、責任者/指揮官が首相ということにはなりそうにもありません。一時間は自宅待機していれば、避難に十分の時間かとは思いますが、あまり直前だと渋滞の危険性もところによってはあるかもしれません。後は豪雨の中避難指示が伝わるかの問題もあります。国がこうした問題に対応しなくていいとは全く思っていませんが、実際的に考えると、チェックすべきは地元行政の対応がシッカリしていたかになろうと思います。こういう微妙なバランスの問題を地元対応しないのであれば、地元の行政の存在意義すら問われることになると思います。そしてチェックのため働くべきは地方議員であるはずです。例えば24時間前に対応できる準備だけしておいて、いよいよ確度が高いことが分かれば、避難指示・勧告をキッチリ行い、人命財産を守っていく、あるいは道路等の危険箇所は事前に分かっているんじゃないかと思いますが、危険箇所を記載したマップを公開し近づかないよう呼びかける等考えられ、そうしたことが行われたか、これからどう体制整備していくかという話を議会でして住民に伝えていくというような仕事があると思います。ノウハウは国にあるでしょうから、国の(体制整備等による)サポートも重要でしょう。

④第5章「災害の前兆現象、河道の弱点箇所の着眼点」(79p~87p)

プロが点検したら、事前に被災しそうな箇所も分かりそうですし、補修もできると思うんですよね。何時災害が来るか分かりませんし、点検や補修も時間や費用がかかる訳で、神ならぬ人間が完璧な対応はできないでしょうが、やはり堤防決壊という結果が出ている以上、点検・補修体制が整っていたかは反省点になると思います。

⑤「減災に活用できる新技術」(100p~103p)

潜水ドローン・水陸両用バギー・救助用ネット・救助活動用伸縮棒が使えるそうです。ネットでは水上バイクによるボランティアの救助が話題になり、それはそれで良いことだと思いますが、行政に必要な設備が整っていることも重要でしょう。設備を眠らせておくは有り得ませんから、海自や海保等に設備があると良いかもしれません。

沖縄での海自の主導的役割に期待したい

2018-07-08 23:30:15 | 政策関連メモ
陸自や空自は勿論ですが、特に海自に沖縄で頑張ってほしいんですよね。前にも離島奪還の話で書きましたが。

陸自は最大規模の人員を抱えますし、国際貢献の要でもあり、本土防衛・災害対応の主軸でもあると思います。海洋国家といえど人間は陸の生き物です。

空自は航空機が強い現代で宇宙関連の話も絡んできます。最新鋭兵器がらみは空自多いですよね。

海自は潜水艦は重要ですが国情で打撃力がなく、艦隊戦は元々滅多に起こらず、ミサイル迎撃は陸上からの方がコスト面で有利でしょう。イージス艦は重要だと思いますが、前線に出て強力なレーダーを使うとか、電磁波の放出に配慮するとかいう使い方になるんだろうと思います。正直今ひとつパッとしない感じが、代表を国会議員に送ることに繋がっていないのかもしれません。

まぁ米国と戦った主軸が海軍だったというのはあるかもしれませんが。アメリカが気にしているとか、海自が気にしているとかあるんでしょうか?

米軍ではアジアにおいてもっとも前面に出ているのは海軍だと思います。アメリカインド太平洋軍には代々海軍大将が就いているというじゃないですか。南シナ海にも出張りますよね。米大陸の国が太平洋を渡って活躍しようとなれば、海軍になるのでしょうが、太平洋には島も多く、陸上に実際に上がって戦争までは中々考えにくいところもあろうかと思います。逆も然りが少しややこしいですが、日本の立場でも太平洋関連は海自が本来やるべきでしょうし、旧軍(海軍)は島嶼部も含めてやはり太平洋での戦いを担当していました(東南アジアは陸軍)。

沖縄は陸軍だったかもしれませんが、太平洋方面を東に向かう可能性は考えられない今、沖縄を海自がやらずしてどんな仕事があるのかとは思いますね。南シナ海も出張ってきている勢力が核武装勢力なので、日本が何処まで主戦力でやれるかビジョンが見えません。陸軍は沖縄戦で正直良いイメージもありません。佐藤議員も最初は離島防衛に懸念を示していたような記憶があります。離島に立て籠もり、鉄壁で撃退は中々難しいでしょうし(そこまで行ったら航空優勢がとられています)、やっぱり海は渡っての作戦主体だと思います。揚陸艦は重要で陸自に需要は大きいでしょうが、潜水艦を考えずに揚陸艦は使えません。潜水艦はヘリでも対応できるかもしれませんが、やはり餅屋は餅でプロは海自になります。海自も陸上兵力や航空機は持てます。

空自の航空優勢は極めて重要でしょうが、あまり陸上の作戦を含んで空軍主体は聞きません。専門に特化のイメージがあります。

アメリカでは離島奪還は海兵隊で海兵隊が鍛えたのが陸自らしく、どうもややこしい感じがありますが、やっぱり海を渡っての作戦の中心は海軍関連じゃないでしょうか?特に島嶼関連ではです。東南アジアは小さな島嶼部も多いですが、日本本土もそうですが、それなりの大きさの島が結構あって、陸上部隊は極めて重要です。沖縄本島はそれなりの大きさの島ですが、まさか沖縄本島に立て籠もって戦うことを想定している訳じゃないと思います。

米軍は米軍でバランスはとれているんでしょうが、日本は三軍がいい感じにしのぎを削っているように見えません。バランスがとれてこその統合運用で、上手く行ってないのだとしたら、海自に焦りもあるのかもしれません。自分のところに手一杯で余裕がなければ、協力しようと中々ならないのではないでしょうか?

海自は海保の影に隠れているようにも見えるんですよね。実際の戦力は比較にならないでしょうが、活躍の場、露出度が違うような気がします。

陸自は現実的な話として半島有事も考えるべきかもしれません(米朝対話はありますが、備えをしない訳にはいきません)。国民の命を守る上でミサイル関係も重要です(大陸間弾道弾は空軍かもしれませんが、それはまずありません)。天災が多い日本で本来の任務外ですが、露出も多い。幾らでも仕事はあるんじゃないでしょうか。

財産とは?(知的財産権)

2018-06-28 08:17:26 | 政策関連メモ
知的財産権の財産って何だと思います?普通は著作権料などお金だと思うでしょう。それは勿論正しいです。しかし、今回指摘するのはそこではありません。

一般に財産には繋がり・人脈も含まれるのではないでしょうか?少なくとも日本では、知的財産権の文脈でそこはほとんど意識されないと思います。

参考にしたら、参考にしたことを正直に言うことが大切でしょう。「インスパイアされた」と言えばいい訳です。それが言えないのはインスパイアされたと称して丸パクリする奴がいたり、勝手に名前を使ったと大御所の側がキレ始めたりするからなのかもしれません。必要なのは本当のことを言うことなのであって、丸パクリはインスパイアではありませんし、インスパイアされるのは盗作ではありません。知的刺激を受けて創作するのは通常のことであって(寧ろそれを促すのが良い創作な訳です)、恥ずべきことでは全くありませんし、影響を与えたからお金を請求できるというような性質のものでもありません。巨人の肩の上に立つという言葉は、勿論インスパイアを否定する文脈で言われるのではなく、インスパイアの重要性を指摘する文脈で言われるのだと思います。筆者の見るところ、日本人は盗作の奨励か何かと勘違いしているようにも思えます。自分で努力もせずに他人の意見を収集して自分の意見として発表する、確かにカスの所業です。カスは勿論ゴミ箱に棄てた方が良い。しかしながら、面白い話に刺激を受けて新たなる話を創るのは、寧ろ創作活動そのものなのであって、厳密な線引きは難しいにせよ、それを盗作と混同することが間違いである訳です。また、影響を受けたからどうとか言ってその量は測れませんし、使うな金払えと言って商売できるものではありませんし、影響を与えることを拒否できるものではありません。重ね重ね盗作は勿論駄目ですが、インスパイアは盗作では全くないのであって、インスパイアされたくないなら、アイディアを有している側が発表しないとか、自分が望ましいと思う人にしか伝えないようにするしかありません。メールマガジンでもmixiでも如何様にでもすればいい訳です。一般に公開しておきながら、誰それはOKで誰それは駄目とかいう考え方そのものが、誤りなのであって、それを強く意識している人こそ自分の考えとは真逆にカスそのものだと筆者は思います。

問題なのは人が思いついたことを自分が思いついたように言うことであり、引用・出典等が無くても構わないと思っていることです。引用や出典があることで、これはあれの影響なのだなと一般に分かるようになり、引用元・出典にメリットが出てくる訳です。インスパイアも同じで、それまで知らなかった人にも、こんな凄い人がいるんだと分かってきます。ここのところをキチンとしないと、アイディアマンは報われず、発明家にでもなって特許をとるとか、漫画家になって漫画を描くとか、学者になって論文を書くとか(ゴーストライターとかいるみたいですけど(笑))決まりきった職業にしかなれないということになります。でも、本来そんな狭い枠で考える必要は無く、アイディアというものは何処でも出せる訳ですし、それが良いアイディアであるならば、認めて(←ここが重要です。コッソリ盗むのはカスの所業です)ドンドン使えば、日本の低い生産性もドンドン上がって来るのではないでしょうか?こと日本においてはアイディアマンは認められず、口先だけと勘違いされているような気がします。アイディアを出すことだって立派な仕事であり、勿論使えないアイディアは必要ありませんが、アイディアそのものを否定しているようでは、何の反省も改善もなく、その結果が低生産性ではないだろうかと思いますね。理系はともかく(?)、日本の文系は筆者の見るところ、全く分かっていないような気がしています。認められないことをしようとする人はよほど変わっていますし、そんな人がそうそういるはずも無く、いても使い物にならないとか、自分でやりたいからやってるだけなので、他人の思うがままにならないということになるのではないでしょうか?「言うことを聞かない奴だ」と勘違いする前に、自分の態度を反省すべきだと思います。必要ないなら必要ないで、そんなものに関わっている暇はないはずですし、一々粘着する理由がないはずなんですよね。放置が合理的なはずですし、放置ができないということは何らかの思いがあるということになります。筆者は既読スルーを必ずしも悪いものとは思っていませんし、過剰に配慮する必要は無いと思っています。回答があれば嬉しいは嬉しいでしょうが、相手にも事情があります。そうしたことに耐えられないなら、知り合い同志の狭い世界で満足するしかありません。

自分が好きでない人に参考にされたというのが不快だと思う人がいるのかもしれませんが、どうでしょうか?盗作されている訳でもなし、影響を与える側にマイナスってないはずなんですけどね。まぁ犯罪者の所有物に自分の著作などがあったら、マイナスかもしれませんが、滅多にない事態でしょうし、それはそれで事実でもあります。いずれにせよ、好ましからざる人物と言えども盗作をしていなければ、法によって行動を規制することはできませんし、影響を与えたは与えた側が優位に立っているのが通常ですから、肯定的に捉えておくことが精神衛生上もいいんじゃないかと思います(相手は悪いことをしているのではなく、寧ろ良いことをしているのだと少なくとも筆者は思っています)。時には後進が育つこともあるかもしれませんが、嫉妬は醜いと考えるべきだと思います。まぁ日本はキリスト教(嫉妬は七つの大罪のひとつです)世界じゃありませんし、そこのところがどう考えられているのか今ひとつ分かりませんけれども。横並びを是として突出したものを叩くのを是とする限りは突出したものは生まれないのは確実なはずです。そうした社会を維持するのもひとつの考え方ですが、これからは知的財産権が重要な世界になるかもしれません。SNSのfacebookは世界で5本の指に入る会社ですし、伸び続けるアメリカに対して日本の停滞は否めません。日本社会は曲がり角に来ているような気もしますね。直接お金がとれるような種類のことでなくとも、つながりや影響を正確に明示して、アイディアを膨らませていき(皆が皆ゼロを発見する訳にはいきませんし、完全なオリジナルに見えるようなものでも、何らかのアイディアは元にあるものです。つまりインスパイアは創造の核心のひとつだと思います)、アイディアを当人に還元するような動きが強まれば、日本もポテンシャルはありますから、広くアイディアマンが生まれて力強い発展が再びあるのかもしれません。

オープン・イノベーションという言葉がありますが、筆者の見立てでは成功の鍵は決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で利益が還元されるか否かに成功はかかっていると思います。決定的なアイディアを出しても皆の手柄になるなら、決定的なアイディアを出せる人がいるとして、そういう人は独立を目指したりするなどして、まずサボタージュ始めるのではないかと思います。皆が平等にアイディアを出せるユートピアなど存在しないのであって、往々にして能力に決定的な違いがあることがあります。与えるだけ搾取されるだけが分かっていて努力する人がいるとは筆者には信じられません。人間はそんなに馬鹿じゃありません。泥棒とは知的世界においても社会の癌なのであって、能力に応じて取り分の違いがあるのが当然です。筆者は共産主義など笑止で話にもならないと思っています。現実の共産主義も試験秀才優遇でエリート官僚天国でした。ユートピアは地球上何処にも存在せず、これからも生まれることはないと確信しています。ともあれ、オープン・イノベーションにおいても決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で還元されれば発展するし、そうでなければそんなものは淘汰されると筆者は考えています。

以下話は逸れますが、共産主義者がファッションでか知りませんが保守を名乗りたがる世の中のようですが、結果の平等がある理想社会を築きたければ、革命でも志すしかありますまい。先人に倣うべきですよね。南米のジャングルにでも逃げ込んで米帝とやらを挑発するのが関の山でしょうが。理想社会を目指す理想主義者が現実を良くする訳では必ずしもありません。往々にして理想主義者が現実をブッ壊し、自分や他人を不幸のどん底に叩き落します。それが明らかになったのが、共産主義の敗北という歴史的事件だったと思いますが、人は自分の考えに固執するものです。誤りを認めないところから言い訳が量産されると思います。間違いを糾そうとしている人間が自分の間違いを認めることって、まずありません。理想主義者ほど(本人が気付かない)言い訳が多くなるような気がします。いずれにせよ、革命を志してきた系譜の人間が保守を名乗る茶番は止めにしてほしいものです。ゾンビが自分が死んでいることに気付いてないようなものなのでしょう。

百田尚樹氏の小説にフォルトゥナの瞳という本があって、先日読み面白いは面白かったのですが、正直決定的に間違っているんじゃないかって気がしますね。ネタバレになりますので、興味がある人はご自身でお読みください。人間の本質・挺身の本質まで考えが及べば、著者冥利に尽きるのかも???ツイッターを見ましたけど、当人は打たれ弱く絶賛を求めているらしいので(創作者によくいるタイプのように思います。漫画家なんかも編集が守らなければ、ネットで自分や作品の悪評を見て心が折れる人もいるとか。筆者など心が折れるなら自分の悪評が書かれているところに行かなければいいし、悪口を聞きたくないと言っている人に悪口を聞かせるようなサイテーの行為(ツイートなどで粘着)をしなければいいと思うんですけどね。チクる奴は本人に配慮して聞かせないようにしているネタ元が悪いのでは1ミリもなく、100%ワザワザ耳に入れに行っているチクり元が悪いのだと筆者は思います。北鮮や某人民の大国では密告が奨励され、ネタ元が罰されるのかもしれませんが、ここは日本です)、そこのところは配慮するべきだと考えていますし、筆者は絶賛できなかったのでリプライは諦めました。

以上です。知的財産権を書くと予告しましたから、米中対決を書くと思ったそこのあなた!・・・申し訳ありません(笑)。書きたいは書きたいですが、知識が足りんのです。良く分からないことに言及している場合じゃありませんしね。予告がネタバレになったら面白くないのでワザとやっていると思ってください。予想される程度のことをワザワザブログ記事にしようとは思っていませんが、成功したでしょうか?(笑)その辺はツイートとは違いますね。まぁ何時も書いている持ちネタが理解されてないと感じる時に書くのはアリだと思っていますが、できるだけ今まで言ってないことを書こうとは思っています。つまらないと思った方も読むのは自由ですが、自分の時間を大切にされることを推奨します。何故か怒りが湧いてきた人は、ほとんど180度真逆に間違っていると思います。こんなことを書く奴が悪いのではなく、そんなものをワザワザ見ている自分が悪いのであり、そんなものに影響される連中が悪いのだと考え、自分の道を邁進してください。ネットでの犯罪推奨を筆者は否定しますが、筆者は犯罪に関わり無く自分の考えを開陳しているだけであり、犯罪を推奨しているのでは全くありません(寧ろどう見ても犯罪を否定する内容になっています)。

※追記:昔は特にそうだったと思いますが、個人主義のイメージが一般的な欧米の方が著書で協力してくれた人の名前を出して謝意を示すことが多いです。集団主義のイメージが強い日本ですが、少なくとも物書きは他人の影響を感じさせずあたかも全て自分で考えたかのような人が多いです。出典・引用も欧米文化ですし、大学は民主主義政府より古いとも言われるようで、日本が単に分かってない、勘違いしているところがあるような気がしています。日本は良い国と思いますが、勿論無謬ではありません。日本が無謬と思い込み夜郎自大になった時が盛大に道を誤る時なのでしょう。

1928年朝鮮地図に存在しない島

2018-06-27 09:46:32 | 政策関連メモ
少し前のニュースになりますが、関心のある話題ですので、取り上げておきます。

「朝鮮地図」竹島記載なし 童謡書籍や辞典扱う出版社(山陰中央新報 2018年6月9日)

>朝鮮の出版社が1928年に刊行した「朝鮮地図」に竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))が描かれていないことが分かった。出版社代表は、朝鮮の伝統的な童謡をまとめた書籍を出版していた。専門家は「朝鮮の文化や歴史を守る意識が強い人物が竹島を描かないのはおかしい。もともと竹島に関する認識がなかった証拠だ」とする。

>地図は島根大法文学部の舩杉力修(りきのぶ)准教授(47)=歴史地理学=が、東京都内の古書店で入手した。

半島人や中国人は自身に都合が悪い地図を購入して証拠隠滅を図っているとも言われますが、まだ残っていたというより、多分何処かに保存されていた地図が出てきたのではないかと推測します。

日本は竹島を竹島と呼んでいませんでしたが(松島と呼んでいました。鬱陵島が竹島と呼ばれています。それだけ認識が曖昧だったということです)、韓国が竹島を古い時代に独島と呼んでいた証拠は一切出てこず、于山島は竹嶼か鬱陵島そのものあるいは存在しない島(古い時代の地図はしばしば重大な誤りが含まれます。于山国が朝鮮の史書に見えますが、竹嶼にも竹島にも国が存在したはずがありません)、石島は観音島/鼠項島であるはずです。参照:実事求是 第34回 事実無根。韓国の「独島の日」について(島根県 Web竹島問題研究所)

韓国は日本が竹島を奪ったと主張していますが、韓国が竹島(韓国名独島)を領有していたという事実が存在せず、ゆえに奪ったという事実も存在していないと考えています。韓国が幾ら声高に主張しようとも、無かったものが有ったことにはなりません。

度々指摘してきましたが、韓国には前科もあります。

波浪島(ウィキペディア)

>今なお所在不明だが、韓国政府は現在も公式にその存在を否定していない。東シナ海の蘇岩礁(実際は暗礁)が波浪島だと主張されることもある。

北朝鮮も同じですよ?(拉致問題は「ありもしない」 北朝鮮が日本を牽制 産経ニュース 2018.6.26 19:45)

ないものはない、あるものはある。証拠に従ってしか話は出来ません。中国も同じです。

日韓基本条約と日朝交渉

2018-06-24 11:43:39 | 政策関連メモ
半島問題ですが、日本の立場で日韓基本条約と日朝交渉をベースに考察してみようと思います。

とかく韓国人・朝鮮人は被害者意識が強く、それは止むを得ない歴史的事情があるのかもしれませんが、日本人の立場からはしばしば違和感を感じ、過剰な被害者意識を問題にしたいと思うことがあります。

日韓基本条約は韓国人の中で悪い条約の極地として挙げられていると思いますが、全然違うと思います。いろいろな論点はありますが、ここは半島問題(北朝鮮問題)に絞って論じることとします。

日韓基本条約で「日韓両国は日韓基本条約第三条にて韓国政府の法的地位を「国際連合総会決議第百九十五号(III)に明らかに示されているとおりの」として朝鮮にある唯一の合法的な政府とすることで合意した」とされており、北朝鮮は自分を認めないこの条約を当然、「日本・南朝鮮「協定」とよび、日本からの「強盗さながらの要求」によってむすばれた無効なものであると主張する。」ことになっています。(ウィキペディア参照)

韓国人の被害妄想は激しい印象ですが、日韓基本条約は韓国の国益に大きく資する条約であって、廃棄当然の悪の権化のような条約ではありません。日本政府は日韓基本条約ベースで日朝交渉を進めようとしています。

韓国人には日韓基本条約を蔑ろにするイメージしかありません。最終的かつ完全な解決を無視して、しばしば新しい問題を生み出そうとします。慰安婦合意も同じで、何遍最後だと約束させても不屈の闘志で言い訳捏ね捏ね同じ話を蒸し返してきます。ネット上では日韓基本条約を破棄しよう!などと煽る書き込みがしばしば見られ、完全に悪い条約扱いになっています。しまいにしゃ、有事の際に北朝鮮が味方で日本が敵などとのたまう馬鹿野郎も出てくる始末です。

38度線が対馬まで下がるのは困りますが、日本に他にやりようがない訳ではありません。

北朝鮮は最近まで最大の支援国中国とも喧嘩していた主体思想の誇り高い国です。韓国が寝返るなら、同じ民族の北朝鮮の寝返りもありで、日本の国益上、遠交近攻で北朝鮮と結ぶことも考えられないとも言えません。その方が経済上のライバルも減りますし、もっともイチャモンをつけてくる隣国と晴れて敵対できるとも考えられます。日米同盟でアメリカの都合も重要ですが、アメリカは在韓米軍撤退を言いがちですし、説得が不可能だとも思えません。

こうした考え方を防いでいるのが日韓基本条約な訳です。お分かりでしょうか?

~以降6月27日追記~

客観情勢として北朝鮮が日本の悪口を連呼しているようです。北朝鮮が如何に悪口を連呼しようとも、日本は日韓基本条約がある限り、北朝鮮を正統政府として認めることなど有り得ないと知るべきでしょう。安倍首相はプラグマティストなので、誘拐犯相手に賠償金請求するような愚は犯さないと思いますが、金正恩氏は親父さんの時代の共同宣言並びに日本を信じることは出来ます。朝鮮人は嘘吐きしかいないかもしれませんが、日本政府はブレませんから、これほど信用できる相手はいません。

国交正常化と言えば日中国交正常化が想起されますが、台湾との関係がない訳ではありません。話が逆ですが、多分順当に行けば、韓国を正統政府と認めつつも、北朝鮮との関係を有するような感じになるのでしょう。いずれにせよ、その辺の話は安倍首相でなければ分かりません。

北朝鮮が興味ないアピールは結構ですが(笑)(アピールをしている時点で興味津々がモロバレです。嘘吐きの平壌運転です)、アメリカも金を出さない日本と話もしないなら、北朝鮮は宗主国様の靴を舐めるか、文在寅氏とお手手つなぐぐらいしかやれることはありません。

日朝平壌宣言(外務省)

>日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。

反省の気持ちは表明しています。北朝鮮が共同宣言を無視し、これを無かったことにしているのも承知しています。

>日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。

北朝鮮はせっかくの約束を無効だと宣言しても良いのでしょうか?嘘吐きが嘘を吐くことに驚きはありませんが、日本は全くブレていません。戻ってくる決心ができれば、戻ってくればいいのでしょう。

>国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。

日韓基本条約を考えれば、正常化したからと言って、北朝鮮が半島の合法政府になることはないのでしょう。ですが、基本原則に従い日韓基本条約に準じて、相互に請求権を放棄することになるはずです。北朝鮮が日本に対する請求権を手放したくなければそうすることもできますが、そうしていただければ、北朝鮮の支援などという、犯罪国家の支援などという不道徳で政治的負債とも言える任務から解放され、その意味では万々歳ということになります。拉致問題が進まないとすれば非常に残念ですが、(北朝鮮は日本の政治状況を全く知らないでしょうが)日本人誰しもあんなとんでもない連中に金を渡すなんて!(しかしながら、犯罪者は実力行使(逮捕)できないなら、交渉して相手の要求はある程度呑むより他ありません)(韓国は日本は体制さえ整えれば(安倍政権はその準備中です)、少なくとも韓国よりは遥かに北朝鮮などに配慮しなくても構わないということを知るべきでしょう)と思っていることに気付くべきだと思います。

多くの韓国人と恐らく違って?多くの日本人は北朝鮮と関係が良くなることを望んでいません(日本は民主主義国です)。関係改善の動きが政府にあるのは、そうしないと話(核問題・拉致問題その他諸々北朝鮮は悪行の限りを尽くしました)が全く進まないからに過ぎないはずです。国政において常にリアリズムが重要だと思います。

北朝鮮はさっさと非核化を進め国際社会に作業の進展をアピールすることもできます。韓国や中国・ロシアその他諸々好きなところと話をすることもできるでしょう。核開発を再開して総スカンをくらうこともできます。

ただ、日本政府はブレないと筆者は思います。北朝鮮はそこのところを理解せねば、何一つ日本に対する影響力を持たないままになるでしょう。

>在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

在日朝鮮人は本国に見捨てられていますね。影響力の無いカードは不要な気がしないでもありません。

復興学考

2018-06-24 10:36:25 | 政策関連メモ
日本災害復興学界が存在しており、趣旨のページに「災害復興学という学問領域は、まだ存在しません。私たちは簡単に「災害からの復旧・復興」と口にしますが、「復興」についての定義すら定かでないのです。」とあります。

言葉の定義すら定められていないのですから、学問として未発達は明らかだと思いますが、復旧と復興の定義を考えることは重要だと思い、考えてみました。

まずは復旧とは何かを考えます。復興は復旧に対する言葉だと考えられるからです(復興学は始まったばかりです)。

復旧とは「元通りに戻すこと」でしょう。旧が旧い(旧い)で復が復る(かえる/返る)の意味があります。天災などでインフラ等がダメージを負った場合に復旧という言葉を使います。被災地においても復旧は勿論大切です。

復興とは「元通りにした上で更に発展させる」だと思います。興すには「盛んな状態にする」という意味があり、例えば新興国という使われ方があります。復という字もありますし、復旧を包摂しているとも言えますが(一般に復興と言われるときにインフラの復旧が包摂させれていないということはないと思います。言葉の定義はしばしば複数あります)、あえて区別するなら、復旧という概念に収まらず更に上を目指す考え方が復興だと思います。これは焼け野原になった後で高度経済成長した歴史を意識しているのではないかとも考えられます。天災が来て良いということはないと思いますが、旧い設備が壊れて新しい設備を新築した方が急速に伸びるというケースがないとは言えません。日本には「災い転じて福となす」という言葉があります。返す返す言っておきますが、天災を歓迎することは有り得ず、来てしまってからの態度に関して、あまりくよくよし過ぎない方がいいんじゃないかと示唆したい訳です。

学問的には復旧と区別し(隣接・対立する概念がないと学問としては分かり難くなると思います)、例えば旧に復することがスタンダードなものを復旧と定義し、新しいものをつくることを復興、(瓦礫など)放置、(更地にするなど)整理の4つに分類して計測してみると学問として成立するような気がします。文系学問で計測がない学問はありますが、復興を考える上で金勘定をしないということは考えられず、計測は必須の条件と言えると思います。言葉の定義が明らかになれば、計測以外でも議論は成立します。復旧・復興・放置・整理の率を面積や金額(地価・建物価格)ベースで数字を出せば、復興の状態や進捗度が理解しやすくなり、事例間の比較がやりやすく議論も発展しそうですよね。

復旧は既にある技術・ノウハウを元に重要な部分を素早く元に戻す意味があって、本来はポジティブなものだと思います。その際新しい技術が出ていれば多少はバージョンアップするかもしれませんが、誤差の範囲内だと思います。電力会社や水道工事の業者はそうした技術を持っており、訓練されているのでしょう。

しかし家が倒壊したとして、同じ家を建てようとする人がそうそういるとは思えません。企業等が入るビルの倒壊があったとして、それも復旧はまず考えにくいところです。放置・整理しないなら、復興というかその時点で新しい土地の使い方を考えるはずです。新しい家を再建するか、そこは例えば駐車場にして別のところに住むかは分かりません(同様で新しい建物を建てる復興と、別の種類の建物を建てる転用(復興)の区別も重要でしょう)。いずれにせよ、復旧/復興はもう大体その建築物の性格次第で既に決まっており、選択の余地はあまりないのではないかとも考えられます(復興内(新造と転用)では選択の余地が大きそうです)。

こう考えると、復旧が極めて重要で助け合いや援助が重要だと大体分かってきます。復興も重要ですし、助け合いや援助も必要ですが、新しい建物を建てるポジティブな行動を全面援助しようと考える人はあまりいそうにありません。例えば半分援助で半分は自己資金でやるみたいな発想が大切ではないでしょうか?また、復旧は極めて重要ですが、プロの領域で素人がやること・やれることはあまりないとも考えられます(被災地ボランティアやケアは極めて重要ですが、復興の枠組みで語られることはあまりないと思いますし、復旧でボランティアが重要という発想も成立していないと思います)。自衛隊の災害対応は基本的に復旧に属し、復興はならしをする意味があるのではないかと思います。いずれにせよ、復興は復旧が落ち着いた後に、国がアシストしながらも、地域主体で行われるものではないかと考えられます。地域の事情を知らず必ずしも責任を持てない中央政府が箸の上げ下げまで指示して復興をやり遂げるのいうのは誤りなんじゃないかと思うんですよね。復旧は定型的ですし力のある国がビシッとアシストし、復興の領域は国のアシストは控えめに地域主体・共同体主体・個人主体で進めていくべきではないでしょうか?

言葉の定義が重要と意識したのは最近で、多分ディベート文化とその意識は切り離せないような気がしています。違う考えの人と対話せずに言葉の定義が気になることってないと思いますし、それでも別に大体やっていけると思うんですよね。