昔はそんなことも無かったのですが、最近は何か新しい政策をやろうとすると、保守じゃないと言われるようになったようです。これはおかしなことです。
そもそも保守派とは、革命派の登場に対抗するための名乗りで、新しい政策をやらないという意味は含まれていないと思います。エドマンド・バークは保守主義の父と言われ、『フランス革命の省察』は保守主義のバイブルとされるようですが、これはフランス革命を否定する本です(参考:エドマンド・バーク(ウィキペディア))。この本を読んだことがある人は皆分かりますが、何もしないことが正義などと書かれてはいません。これまでやってきたことには知恵があるから、革命を起こしてガラっと変えるべきではないというようなことが書かれています。つまり急進改革派に対する漸進改革派の名乗りが保守だと思います。事実、エドマンド・バークは絶対王政を批判し、議会政治を擁護したとのことで別段守旧的なところは感じられません。バークはトーリー党(保守党)ではなく、ホイッグ党(自由党)の幹部だったようです。自由党幹部が保守主義の父と言われるのも面白い話ですが、世界的にも自由を政党名につける政党は右より(保守より)のケースが多いと思います。現在左と言われる勢力は大体マルクス・レーニン主義の影響を強く受けており、イギリスでは労働党がこれに当たると思います。大体が政権をずっと運営してきている人達って、わざわざ保守を名乗る必要性はない訳です。変えるぞと主張し行動する勢力(革命派)が現れて初めて、いや守るからと主張する必要性が生まれてくる訳です。これまで政権を運営してきた人達が何もしなかったなんて馬鹿なことはないでしょう?
筆者が知る限りでは、少なくとも先進国において何もしない文字通りの保守派が大きな政治勢力であることはありません。欧州のどの保守に分類される政治勢力も、アメリカ共和党も新しい政策をやらないのが正義みたいなことは絶対に言わないはずです。右派左派それぞれ得意な政策はありますが、新しい政策をするしないなんて論争をすること自体おかしな話です。日本においてこういう議論で何時までも足をひっぱられるのは残念なことですが、そうも言ってられないので、日本がこうした特殊状況に陥っている状況を考えてみました。ひとつは日本人は日本だけで生きていけ概ね生活が完結するので、普通の国民の感覚はガラパゴス化しやすいということがあるのかもしれませんが、今回あるいは重要かもしれないと思ったのが、文字の問題です。
日本は漢字を使っています。これは現代では少数派の表意文字で、漢字それぞれに意味・イメージがつくことが特徴です。保守の保は保つで同じままにするという意味があり、保守の守は守るで今あるものを守るという意味があります。これでは今の若い人達が何も変えないと言う朝日や共産党を保守だと勘違いしてしまうのも止むを得ないかもしれません(【阿比留瑠比の極言御免】左派のどこが「リベラル」か(産経ニュース2018.2.22 01:00)>読売新聞と早大の昨年夏の共同調査によると、18~29歳の若者は日本維新の会と自民党のほうがリベラルで、共産党や公明党は保守だと考えているのだという)。共産党が保守だなんて何言ってるの?大丈夫なの?という話ですが、実際に結構な数の若者がそうした勘違いをするようなんですよね。これは問題です。仮に日本において共産党政権が成立したら、誰がどう考えてもそんな事態は革命のはずではないですか?定期的に政権交代が起こる国は兎も角、政権交代が稀な国では、如何なる政権交代も革命的だと考えざるを得ず、保守派が政権交代を目指すということ自体、矛盾しています。今まで政権運営をしたことない人達って、守るべきものもない訳で、捨て身で、ガラッと変える理由を考え説得していくしかないと思うんですけどね。政権交代という現象を軸に考えた左右対立の構造において、世界的に右が保守を名乗ってきており、政権交代こそが多くの人の生活がかかるので、もっともホットになり易いテーマな訳ですすから、結局のところ、朝日や共産党が保守を名乗るのは諦めるべきだと思います。世界的に多数派の表音文字の国では、例えば英語で保守主義はconservatismと言い守旧的なイメージがあるのかないのか知りませんが、何も変えないというイメージはないはずです。新保守主義はネオコンとレッテルを貼られましたが、誰も何もしない人達だと思っていません。保守が何をやりたい人達かは保守の人が集まるところに行けば分かる訳で、日本だと保守論壇が戦後ずっと存在してきました。その保守論壇で言われてきたようなことが、日本の典型的な保守派がやりたいことです。そしてそれは憲法9条改正に象徴されると思います。筆者もそれをやりたいですが、政策が後退するならどうかなというのが前回の記事の趣旨です。
ずっと戦後日本で左と言われてきた朝日や毎日、共産党や社会党の系譜が保守を名乗ってそれが通用し始めるとどんな混乱があるかも分かりません。マルクス・レーニン主義の影響を強く受け、共産主義や社会主義に共感を示してきた人達が保守を名乗り始めるというのも、率直に言って失笑モノですが、若者の間に誤解が広まり始めたというなら、これは捨て置けません。古文なんかを勉強すると言葉をたくさん暗記せねばならず、外国語かよと思う訳ですが、言葉というものは移り変わります。若い人達が誤用し始め、それがスタンダードになって、結局変わっていく訳です。だから、明らかな誤用でも、野放しにしない方が良いと考えます。何もしないのが正義というような人達が多数派になって政権を運営し始めたら、日本は100%停滞し、相対的に急速に衰退し、国際的な激しい競争の中で日本は滅びに向かうと思います。
社会党右派~民主党の系譜の立憲民主党の枝野代表が俺達こそ保守と言い張っているのを見ると、正直イラっとする訳ですが、近頃の若い人達が朝日や共産を保守と思い始めているのであれば、ちょっと邪魔してやらねばなるまいと思った次第です(これまでもそういうことは言ってきましたが)。
立憲民主党は野党的な立場や手法を是非保守していただきたい。選挙に協力してもらっているらしいですが、日本共産党の独裁者志位委員長の名言「たしかな野党」を枝野氏には贈りたいと思います。何かの間違いで民主党政権ができましたが、戦後長らく続いてきた55年体制(ウィキペディア)をシッカリ保守することが、社会党の流れをくみ、野党生活が長い政治家の皆さんが保守すべき立場のはずです。間違ってもまた新しいことをやりたいなんて思わないでほしいですね。
表意文字の表音文字に対する劣位を訴えたい訳ではありません。漢字には漢字の面白みもありますし、何より長年使用してきた言葉です。変えてしまうと古い文献に広くアクセスできなくなりますしね。ただ、そもそもの意味を離れて、字面のイメージに捉われては、本質を掴み損ねる危険性があるなと思った次第です。
以上ですが、以前に課題としていた「保守」記事はこれで終わりとします。保守だ、保守じゃない論争の本質は、漢字の字面のイメージにあるのではないかと考え、そこを指摘したつもりですから、大体満足しました。その手の論争が下火になれば、一々指摘するつもりもありませんが(必要性が薄い議論は当然後回しになります)、いずれは保守を名乗ってきた以上、より深くこうした話をもっと考えてみたいとは思っています。ただ、政権交代を目指す革新派が強くなってこないと、その必要性が高まらないでしょうから、しばらくは後回しになると考えられます。一々有り得ない話を吹聴している場合じゃないと思うんですけどね。
そもそも保守派とは、革命派の登場に対抗するための名乗りで、新しい政策をやらないという意味は含まれていないと思います。エドマンド・バークは保守主義の父と言われ、『フランス革命の省察』は保守主義のバイブルとされるようですが、これはフランス革命を否定する本です(参考:エドマンド・バーク(ウィキペディア))。この本を読んだことがある人は皆分かりますが、何もしないことが正義などと書かれてはいません。これまでやってきたことには知恵があるから、革命を起こしてガラっと変えるべきではないというようなことが書かれています。つまり急進改革派に対する漸進改革派の名乗りが保守だと思います。事実、エドマンド・バークは絶対王政を批判し、議会政治を擁護したとのことで別段守旧的なところは感じられません。バークはトーリー党(保守党)ではなく、ホイッグ党(自由党)の幹部だったようです。自由党幹部が保守主義の父と言われるのも面白い話ですが、世界的にも自由を政党名につける政党は右より(保守より)のケースが多いと思います。現在左と言われる勢力は大体マルクス・レーニン主義の影響を強く受けており、イギリスでは労働党がこれに当たると思います。大体が政権をずっと運営してきている人達って、わざわざ保守を名乗る必要性はない訳です。変えるぞと主張し行動する勢力(革命派)が現れて初めて、いや守るからと主張する必要性が生まれてくる訳です。これまで政権を運営してきた人達が何もしなかったなんて馬鹿なことはないでしょう?
筆者が知る限りでは、少なくとも先進国において何もしない文字通りの保守派が大きな政治勢力であることはありません。欧州のどの保守に分類される政治勢力も、アメリカ共和党も新しい政策をやらないのが正義みたいなことは絶対に言わないはずです。右派左派それぞれ得意な政策はありますが、新しい政策をするしないなんて論争をすること自体おかしな話です。日本においてこういう議論で何時までも足をひっぱられるのは残念なことですが、そうも言ってられないので、日本がこうした特殊状況に陥っている状況を考えてみました。ひとつは日本人は日本だけで生きていけ概ね生活が完結するので、普通の国民の感覚はガラパゴス化しやすいということがあるのかもしれませんが、今回あるいは重要かもしれないと思ったのが、文字の問題です。
日本は漢字を使っています。これは現代では少数派の表意文字で、漢字それぞれに意味・イメージがつくことが特徴です。保守の保は保つで同じままにするという意味があり、保守の守は守るで今あるものを守るという意味があります。これでは今の若い人達が何も変えないと言う朝日や共産党を保守だと勘違いしてしまうのも止むを得ないかもしれません(【阿比留瑠比の極言御免】左派のどこが「リベラル」か(産経ニュース2018.2.22 01:00)>読売新聞と早大の昨年夏の共同調査によると、18~29歳の若者は日本維新の会と自民党のほうがリベラルで、共産党や公明党は保守だと考えているのだという)。共産党が保守だなんて何言ってるの?大丈夫なの?という話ですが、実際に結構な数の若者がそうした勘違いをするようなんですよね。これは問題です。仮に日本において共産党政権が成立したら、誰がどう考えてもそんな事態は革命のはずではないですか?定期的に政権交代が起こる国は兎も角、政権交代が稀な国では、如何なる政権交代も革命的だと考えざるを得ず、保守派が政権交代を目指すということ自体、矛盾しています。今まで政権運営をしたことない人達って、守るべきものもない訳で、捨て身で、ガラッと変える理由を考え説得していくしかないと思うんですけどね。政権交代という現象を軸に考えた左右対立の構造において、世界的に右が保守を名乗ってきており、政権交代こそが多くの人の生活がかかるので、もっともホットになり易いテーマな訳ですすから、結局のところ、朝日や共産党が保守を名乗るのは諦めるべきだと思います。世界的に多数派の表音文字の国では、例えば英語で保守主義はconservatismと言い守旧的なイメージがあるのかないのか知りませんが、何も変えないというイメージはないはずです。新保守主義はネオコンとレッテルを貼られましたが、誰も何もしない人達だと思っていません。保守が何をやりたい人達かは保守の人が集まるところに行けば分かる訳で、日本だと保守論壇が戦後ずっと存在してきました。その保守論壇で言われてきたようなことが、日本の典型的な保守派がやりたいことです。そしてそれは憲法9条改正に象徴されると思います。筆者もそれをやりたいですが、政策が後退するならどうかなというのが前回の記事の趣旨です。
ずっと戦後日本で左と言われてきた朝日や毎日、共産党や社会党の系譜が保守を名乗ってそれが通用し始めるとどんな混乱があるかも分かりません。マルクス・レーニン主義の影響を強く受け、共産主義や社会主義に共感を示してきた人達が保守を名乗り始めるというのも、率直に言って失笑モノですが、若者の間に誤解が広まり始めたというなら、これは捨て置けません。古文なんかを勉強すると言葉をたくさん暗記せねばならず、外国語かよと思う訳ですが、言葉というものは移り変わります。若い人達が誤用し始め、それがスタンダードになって、結局変わっていく訳です。だから、明らかな誤用でも、野放しにしない方が良いと考えます。何もしないのが正義というような人達が多数派になって政権を運営し始めたら、日本は100%停滞し、相対的に急速に衰退し、国際的な激しい競争の中で日本は滅びに向かうと思います。
社会党右派~民主党の系譜の立憲民主党の枝野代表が俺達こそ保守と言い張っているのを見ると、正直イラっとする訳ですが、近頃の若い人達が朝日や共産を保守と思い始めているのであれば、ちょっと邪魔してやらねばなるまいと思った次第です(これまでもそういうことは言ってきましたが)。
立憲民主党は野党的な立場や手法を是非保守していただきたい。選挙に協力してもらっているらしいですが、日本共産党の独裁者志位委員長の名言「たしかな野党」を枝野氏には贈りたいと思います。何かの間違いで民主党政権ができましたが、戦後長らく続いてきた55年体制(ウィキペディア)をシッカリ保守することが、社会党の流れをくみ、野党生活が長い政治家の皆さんが保守すべき立場のはずです。間違ってもまた新しいことをやりたいなんて思わないでほしいですね。
表意文字の表音文字に対する劣位を訴えたい訳ではありません。漢字には漢字の面白みもありますし、何より長年使用してきた言葉です。変えてしまうと古い文献に広くアクセスできなくなりますしね。ただ、そもそもの意味を離れて、字面のイメージに捉われては、本質を掴み損ねる危険性があるなと思った次第です。
以上ですが、以前に課題としていた「保守」記事はこれで終わりとします。保守だ、保守じゃない論争の本質は、漢字の字面のイメージにあるのではないかと考え、そこを指摘したつもりですから、大体満足しました。その手の論争が下火になれば、一々指摘するつもりもありませんが(必要性が薄い議論は当然後回しになります)、いずれは保守を名乗ってきた以上、より深くこうした話をもっと考えてみたいとは思っています。ただ、政権交代を目指す革新派が強くなってこないと、その必要性が高まらないでしょうから、しばらくは後回しになると考えられます。一々有り得ない話を吹聴している場合じゃないと思うんですけどね。