安倍首相、旧宮家の皇籍復帰に言及=安定的な皇位継承めぐり(
時事 2019年03月20日)
>安倍晋三首相は20日の参院財政金融委員会で、安定的な皇位継承を実現する方策について「旧宮家の皇籍復帰も含めたさまざまな議論があることは承知している」
>「国民のコンセンサスを得ることも必要だ」と述べ、他の選択肢も含めて慎重に検討を進める考えを示した。
>「皇籍を離脱した方々は、今は民間人としての生活を営んでいる。私自身がGHQの決定を覆すことは全く考えていない」
>政府は5月1日の皇太子さまの新天皇即位後、間を置かずに皇位継承に関する議論を始める方針を示している。
現在皇室は、新しく何かをしなければ、断絶の危険性が非常に大きくある状況だと言えます(何も変えなければ「保守」できないのは明らかですから、何も変えない=保守という論理は元より破綻していると言えます。元々conservativeは保守的な・伝統的な・控えめなといった意味ですが、日本語では的が抜けがちで漢字の字義通りに一切変えないを保守だと誤解する方々が結構いらっしゃる状況です)。
一切変えずに皇室を護持するために、GHQの指示無効論を考える方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも安倍総理は明快にそのような論理を考えていないようです。また、仮にGHQの指示が無効と仮定しても、旧宮家の今の世代(次代に繋がる子育てが終わってない現役世代)は既に生まれた時から皇籍はなく、復帰は原理的に出来ず、新たに皇族に列するしかないと考えられます(臣籍の身分として生まれた唯一の天皇が醍醐天皇ですが、父の皇籍復帰と即位(宇多天皇)に伴い、皇族に列することになりました)。復帰が出来るのは生まれた時に皇籍があった方だけは明らかでしょう。仮に無効論で旧皇族(=旧宮家ではない)を皇族に復帰させたとしても、皇族として生まれなかった宮家の方は一種の「無戸籍」状態だと言えます。旧宮家の「復帰」を考えるのは既に時遅しで、完全にタイムアウトになっていると思います。結局、
「旧宮家の皇籍復帰」という言い方は皇籍を持ったことのない旧宮家の方が皇籍に復帰できると誤解を生じさせる言い方で、要は嘘ですし、既に皇位継承問題に関連して実質的な意味がない言い方なんですよね。未だマスコミにおいてもいろいろと誤解がある報道が行われているようであり、一般的にもそういう言説が普通ですが、筆者は残念な話と思っています。
旧宮家に関連して皇室の存続を考えている方々の意を汲むなら、「旧宮家を皇族に復帰させる・列する」というような言い方でなくてはならないはずです。旧皇族に皇籍を持ったことがない旧宮家の方々は含まれないのも無論のことです。
無効論そのものに関して言えば、日本はアメリカに負けたのであって、じゃあアメリカの指示でやったことは無効かと言えば、筆者はそれもそうではないと思います(1947年(昭和22年)10月13日の皇室会議の議により、皇室と秩父・高松・三笠の直宮家を除く傍系11宮家が皇籍を離脱したのが、昭和22年10月14日の皇籍離脱です)。日本国憲法もこれと似た状況で、アメリカは原案を出したり指示をしたりしているかもしれませんが、あくまで日本がやったという手続きはしており、少なくとも憲法に関して言えば実質的な議論もしていると考えられ、無効だと判断する要素は筆者はないと思っています。戦争に負けてやらされたことは無効だという論法を許すなら、戦争をしていませんが日本の韓国統治は無効だという暴論も真面目に取り合わなければなくなります。
いずれにせよ、現在の皇室典範を含む法律では旧皇族の方の皇籍を復帰させることも、旧宮家の方を皇族に列することも出来ません。憲法改正は必要ありませんが、その意味で(法的には)女系天皇論と全く同格であるということにも注意するべきでしょう。つまり法改正せねば皇室の存続が危機的であるという意味において、法的に旧宮家を皇族に列することによる方法と女系による方法は全く同格であると言え、ゆえに保守的か保守的でないかという意味でどちらも法的には全く同じですし、旧宮家を皇族に列したい人は、それを素直に目指すか、(旧皇族の皇籍復帰という)「嘘をつく」しか(嘘をついているあるいは誤解しているあるいは一般的な言い方に合わせていると見られるしか)ありません。
旧宮家を皇族に列することを考えますと、通常これは男系による皇位継承の歴史を守ることを意味します。すなわち仮に皇統が新たに皇族に列した方に移る場合、その時点で皇統は北朝第3代天皇(1348年~1351年)まで遡ることになります。その頃には少なくとも2050年は余裕で過ぎているでしょうから、800年以上遡った世界に類を見ない超超超超超傍系継承だと言えます。また、現在では北朝の天皇は公式に代の内に含まれていません。現在の天皇は北朝の系統なんですが、1911年(明治44年)、南北朝正閏論を収拾するため、明治天皇の勅裁により南朝が正統とされたことにより(それまでは北朝の天皇を正式な天皇として数えていたはずです)、そうなったようです。ともあれ、正式な数え方で代を遡るならば、皇統が新たに皇族に列した方に移る場合、第93代後伏見天皇(1288年~1336年)まで遡ることになります。30代以上前の代まで遡らないと正式な天皇に行き着かない訳ですから、やはり空前絶後の超傍系継承と言えます。旧皇族の方というのは全て北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする伏見宮家の出で、現在の皇室も伏見宮家から出ていますが、血統で繋がる共通の皇族は伏見宮貞成親王(1372年~1456年)になります。少なくとも皇室の男系継承の歴史を守るという発想では、空前絶後の超傍系継承を避けられないということがお分かりいただけたでしょうか?これは皇室典範第9条を改正して養子という手法を用いても同じです(皇室の家系図は血統原理によるのであって、養子で書き換えられたりはしません)(現在の皇室は伏見宮家から出た閑院宮家の系統でもありますが、閑院宮家の直系は断絶後に伏見宮家の載仁親王が継いでおり、現在の皇室と旧皇族11宮家の最後の共通の男系祖先は第3代伏見宮貞成親王で間違いないようです)。
これを踏まえた上で女系による継承を仮に認めると(認めない場合は男系原理ですから100%の純度、1ミリの曇りもなく、少なくとも前述の伏見宮貞成親王まで遡ります)、東久邇宮稔彦王第一男子の盛厚王(1917年~1969年)が昭和天皇第一皇女照宮成子内親王と結婚しており、ご夫妻の子孫(盛厚王は再婚しており二子あります)がもっとも血統的に近い旧宮家になるようです(ただし盛厚王は皇族でしたが東久邇宮家を継承する前に皇籍離脱となったようです)。また、明治天皇の皇女である4人の内親王が、竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮の各家に嫁いでおり、女系継承を認めるのであれば、明治天皇に遡る旧宮家の方は他にもいらっしゃるようです。結局、女系継承を認めると全ての旧宮家は霊元天皇(1654年~1732年)の第五皇女である福子内親王には繋がるようではあります。
現在の皇位継承の危機を考える際、男系原理の歴史に拘るか女系を容認するかは大きなポイントで、女系を認めない場合は空前絶後の超傍系継承に必ずなるということを確認しましたが、女系を認める場合は旧宮家に現在の皇室とそう遠くない方もいることも確認できました。ただ、女系を認めるのであれば、現在の皇室にもより相応しい適格者がいるという話は避けられません。旧宮家による皇位継承を考えている方は女系を認めるのか認めないのかここのところをシッカリ踏まえておく必要があります(
筆者は旧宮家を皇族に列するのであれば、女系を容認した上で、明治天皇以来に限った方が良いと考えます。また旧皇族の皇籍復帰は次代に継承されないこと確実ですから、二次的な問題に止まると考えます。更には皇族がそのまま民間の仕事をすることも視野に入れた方がいいかもしれませんし、数が増えすぎた場合の臣籍降下のルールも考えておくべきです)。
さて、ここで女系による王位継承の例を海外で考えると、西欧では女系継承はとくに珍しくはないようです。現在のイギリス王室はドイツ人の子孫という言い方がネット上で散見されますが、これはよく考えてみれば(当人の名乗り・考え方・歴史を否定しているのですから)極めて失礼な話で、イギリス王室の初代はウィリアム1世 (イングランド王)(1027年~1087年)とされます。ウィリアム一世はノルマン人の支配するノルマンディー地方の君主であるノルマンディー公ロベール1世の庶子として、フランスのファレーズで生まれ、ノルマンディー公を継承した後、イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となりました。ハノーヴァー朝の開祖ジョージ1世は神聖ローマ帝国のハノーファーのドイツ貴族の家系に生まれていますが、その母ゾフィー・フォン・デア・プファルツ、その母エリザベス・ステュアートを通じてジェームズ1世 (イングランド王)に連なり、王位継承しています。現在のイギリス王はエリザベス2世ですが、女系継承で次代はチャールズ王太子(皇太子)になります。アジアは中国が男系原理の宗族制度で男系継承が基調ですが、世界の王家(少なくとも西欧の王家)は必ずしもそうではないということになります。
女系を容認すると王朝交代と言われかねないという指摘もあって、そういう議論は尊重されるべきですが、~朝という言い方は日本においても天武朝・天智朝という言い方もありますし、継体朝は事実上の王朝交代という言い方もあることなども留意されるべきだと思います(数代遡る程度の傍系継承は日本においてもそれほど珍しい訳ではありません)。
神武天皇以来の男系原理を守ることも大切ですが(筆者は悠仁親王(ひさひとしんのう)の系統が続くに越したことはないと思っていますが)、女系継承の考え方を排除すると、伏見宮貞成親王まで遡ることは必ず意識されねばなりません。それが男系原理を貫くということです。これは明治時代に皇室典範をつくる時にも当然意識され、
伊藤博文は女系継承を認める考えだったようですが、井上馨に反対され男系継承に限ることにしたようです(
皇室典範 国史大辞典 ジャパンナレッジ 吉川弘文館)。
元より皇祖神天照大御神は女性で、伊勢神宮外宮の豊受大神も女神です。現在の皇室が神話に連なることが意識されるならば(皇位継承に必要な三種の神器も神話に由来します)、そもそも女系は排除してはなりません。歴史は重要ですが、ある意味恐ろしいもので、学問的考察の対象になってしまいます(怨霊の話が正史に載っているからと言って、それがそのまま事実と考えて良いでしょうか?)(神武天皇とは最初の正史日本書紀記載の初代天皇で、突き詰めて考えると歴史上の天皇ということになり、神武天皇は男神として生まれてはいますが、神話を重視するということは神武天皇を重視することを意味しません)。他に資料もあるじゃないか、その読みはどうなのか、考古学の資料との矛盾は?という訳です。歴史が歴史である以上、歴史学の通常の手法の洗礼から逃れることは出来ません。皇室の権威は歴史の長さもありますが、日本創生の神話まで連なるところに大きく依拠します。神話をアウトにしてしまうと、例えば出雲神話も意味がなくなってしまいます。神話を重視すると、女系を全否定していいのかということにならざるを得ません。
日本は庶民文化では歴史的に女系継承・養子継承もありました。古代日本の妻問婚も母系社会でよく見られる風習で、古代日本に女性天皇の歴史もあって、神功皇后の活躍もありましたし、飯豊青皇女も飯豊天皇とも呼ばれます。明治以来、女性天皇の可能性を封じたことに理はあったでしょうが、女系天皇を認めることにより歴史的に重要な役割を果たした女性天皇の可能性を残すという選択肢もあったはずですし、実際あったのですが、その道は選ばれなかったということになります。
さて、皇位継承の順位の決め方ですが、筆者は必ずしも機械的に決めなくてもいいのではないかと考えています。例えば長子継承と決めてしまうと、長子が公務に耐えられない可能性(具体例はあえて書きませんが、いろいろ想定できるはずです)も排除できません。摂政で対応できるかもしれませんが、素直に考えれば、機械的な皇位継承を否定して、適格者を選ぶという形にすればいい訳です。勿論皇位を人為的に選ぶというシステムは争いを生む原因にもなりかねないので、否定されることも多いのですが、元々歴史的には機械的に選んではいないのですから、ここでキチンと検討しておく必要はあると思います。
それはともかく、そういった議論をする人に筆者は皇族を含めるべきではないかとも考えています。憲法上、天皇は国事行為を行い国政に関する権能を有しないとされますが、権能とは「その事柄をすることが認められている資格。権利を主張・行使し得る能力」のことで、意見を言うことまで封じられているとは思えません。決定権がなければ構わない訳で、皇室の意見を聞かずに皇位継承の話を決めてしまうということこそ、不届き千万だと筆者は考えます。何処の国民が自分の家のことを何ひとつ意見も聞かれずに決められてしまうことを認めるでしょうか?無論憲法を尊重し擁護する必要があるにせよです。また国事行為を行う規定があるのは天皇であって(日本の象徴であるのは天皇であって)、従って天皇以外の皇族は比較すれば自由だとも考えられます(少なくとも天皇陛下その人よりは自由があるはずです)。現皇太子殿下は女系天皇との絡みで関与するのは問題もあるかもしれませんが、今上陛下が上皇陛下になった後に議論に参加することさえ、筆者は認められて妥当だと考えています。皇室が皇室のことを考えなくて誰が考えるというのでしょうか?権限がないのはいいとして、意見も聞かないというのは現代的でも歴史的でもなく論外だと筆者は考えますし、憲法的にも問題がないと思います。
そして結局決定するのは代議制の日本において、国民が選んだ政治家ということになります。コンセンサスを得るのに無論議論は否定されてはなりません(何故か憲法改正の議論自体を否定したり、条件をつけたりする意味不明の「護憲」勢力がいますが、そういった方々が論外であるのと同様、議論を否定して皇位継承の問題を決めてしまうことは出来ないと考えます)。