観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

意外に因縁浅からぬアジアの国ロシア

2019-01-20 14:35:29 | 外交安全保障
北方領土問題ですが、平和条約は第二次大戦後に結んで当然で、特に冷戦終結後も放置されてきたのが問題と言えるだろうと思います。何故結ばないといけないのか?というより何故結ばないのか?です。まぁ、対中で積極的意味も考えられますが。極東ロシアは人口希薄で北方領土に展開するロシアの部隊が日本を占領するリスクはかなり低く、日本とロシアが経済協力を行うことは、日本に大きな危険があるとは言えません。特に東においてはです。中露の協力が無くなる事態は考えにくいですが、これまで(ここまで大きくなるまで)中国と経済協力してきた訳で必ずしもロシアとの経済協力の選択肢を排除する必要も無く、中国の脅威をロシアも感じている部分もあって、北辺西辺で接するのはロシア及びその勢力圏になります。チャンネルがあるに越したことはありません。

これまで戦後日露交渉はずっとあって、それをベースに考えることは重要です。今更積み重ねがゼロなら協議をする意味もありません。北方領土におけるロシア側のメリットに距離が近くこの地域では経済力がある北海道との連携があって、北海道にとっても行き止まりになるより平和条約を結んで大手をふるっての協力した方がいいですから、これがwin-winの関係です。この互いに重要な協力関係を生み出すことが出来るのは日露だけです。ただ、第二次世界大戦中に協力する訳にはいかないというだけの話です。

国後・択捉の開発なら漁業は重要だと思います。北洋漁場はそもそも良い漁場で、根室や釧路といった拠点が日本にあります。ギドロストロイとの競合が残る可能性は否定できませんが、平和条約を結べば、ロシアの領域はロシアに決定権が残ります。その場合、比較的人口稠密な北海道との連携が強まることは、在ロシアの企業にとっても都合がいい訳です。オホーツク海は冬に流氷でいっぱいになりますし、千島は大都市から遠く、例えば北海道の病院の利用なんかも考えられますし、食材の供給も考えられます。鉱山等の資源エネルギーにしても日本企業の選択肢が増えて損はありません。観光も知床世界遺産と(仮にロシア領になるとしても)国後との連携等考えられます。

樺太の開発で言えば、資源エネルギーの他に農業・牧畜の可能性はあると思います。北海道は日本の農業の一大ブランドでノウハウもありますし、気候が厳しいといっても、満州(東北三省)や北欧・カナダの農業だって強いですし、ロシア自身にもノウハウがあります。日本を含むアジアは食料自給率が低い難があって、樺太農業に可能性はあるでしょう。

これは沿海州・極東ロシアも一緒ですし、大陸は特に林業が依然重要です。縄文土器は世界最古級とも言われますが、アムール川下流も相当古いらしく興味深いところです(アムール下流域における土器出現期の研究 (1))。

世界遺産バイカル湖(阪急交通社)の開発はかなりポテンシャルがありそうです。その自然環境は勿論魅力なのですが、どうも黄色人種(新モンゴロイド)が生まれ育った地である気配があります。新モンゴロイドは寒冷地適応を経ていることからシベリアで生まれたと言われますが、シベリアの何処かと言われれば、バイカル湖かなと。そもそもバイカル湖周辺はマンモスと関連して荒屋型彫器を生んだ旧石器時代の中心地とも考えられているようです(北方系の石器・・・ 遥かシベリアにル-ツを持つ石器 加須インターネット博物館)。動物は水を飲まねばならず、大型なら尚更です。マンモスは絶滅していますが、ヘラジカなんかも当然水場を好んでいるようです(ヘラジカ National Geographic >氷が解けると、ヘラジカはよく湖や川、湿地に集まり、水面および水中の水草を食べる。水辺をすみかとしており、巨体にもかかわらず泳ぎが得意で、数キロも泳ぐことができ、約5メートルの深さまで30秒間ほど潜ることができる)。マンモスだったら尚更水を飲む必要はあったはずです。バイカル湖は冬に凍結するようですが、その場合は雪でも食べたのかもしれません。そういう訳でバイカル湖周辺にマンモス(やヘラジカ等)が多かったとすれば、マンモス狩りをする人間も多かったはずで、ここで定着した形質(寒冷地適応)は数が多いことから周辺によく拡散したと考えられます。旧石器時代は先土器時代の狩猟採集社会ですが、大型動物がまだ滅ばず残っていた時期が長いです。人口が集中するところに得てして文化があります。人類は結構長く肉食で育った可能性もあって、少なくとも農業依存はわりに最近の現象だということは、人間を考える時、押さえていいのかもしれません。

バイカル湖周辺にはブリヤート人=モンゴル人が住みます。モンゴル人は相撲でお馴染みですが、典型的な新モンゴロイドです。モンゴル人は現在主にバイカル湖周辺等ロシア、モンゴル、内モンゴル自治区(中国)に分かれて住みますが、内モンゴルのモンゴル人は漢族移民の脅威に晒されているともいいます(既に漢民族が80%以上とも)。これまでの例から、次はモンゴルでその次はロシアといったふうに脅威が拡散していくとも考えられる訳です。ただ、モンゴルという国はソ連の衛星国であり、親中というより親ソ・親露だと思います。中国は明らかに自らを圧迫しますが、ロシアはそうした人口圧による拡張の脅威が事実として少ない訳です。モンゴル人が歴史に登場するのは7世紀であり、大興安嶺山脈の北、アルグン川渓谷に住んでいたという記録があるようですが、必ずしも言語の分布と人種の分布が一致する必要もありませんし、記録が何処まで正確かもわかりませんから、ずっとバイカル湖と関係あった可能性もあると思いますが、それはさておき、とにかくモンゴル高原以北の北方にモンゴル人が住んでいたことは間違いないようです。このようにロシアとモンゴルは深い関係もあるんですよね。モンゴルは親日的とも言いますし、資源も眠っており、シベリア鉄道で搬出することもできるのかもしれません。モンゴル人の宗教はチベット仏教だったりもします。いずれにせよ、周辺諸国は中国の膨張の脅威に晒されているところがあります。

ロシアやロシア圏の遊牧系民族にトルコ系がいて、その一派であるカザフ人はウイグルやキルギスとも話が通じるらしいです(気高きアルタイ山脈に住む誇り高き民族 カザフ民族とバヤンウルギー 風の旅行社)。トルコ系の起源もよく分かりませんが、中央アジアの一大勢力であることは間違いありません。

平和条約を結ぶことで北方領土と北海道の結びつきが強まっていくと考えられる訳ですが、日露が象徴的に関係改善することで、北のアジアとの関係を深め、中国拡張の脅威に対処していくことも可能になってくるんだろうと思います。中央アジアの南にアフガニスタン/パキスタン/イランといったホットな地域も控えてはいる訳です。

NHK日曜討論(雇用:2019年1月20日)→インフレ・AI・ベーシックインカム等、マイナス実施の罠

2019-01-20 10:21:28 | メディア
まず定年延長問題ですが、基本的には少子高齢化社会に対応するためには、定年延長の方向性しかありません。高齢化社会は社会保障の増大を招き、少子化は社会保障を支える税収を減らす要因になります。PBの悪化は政府財政の破綻を招きますから、改革改善なくして日本国の持続的成長なしです。

番組でも指摘されていましたが、60歳から65歳で急激に能力が落ちるということはなく、現行の65歳までの定年延長路線に大きな問題はなさそうです。再延長の話は何歳まで問題なく働けるかという話になるんだろうと思います。これは個人差がありますから、際限なく一律でいけるか異論もあるでしょうから、何処かで引き上げに伴いグレーゾーンを設定することになる可能性はあると思います。現状は再雇用で給与を落とす感じですが、60歳になったら大体子育てを終えているでしょうから、妥当のようにも思えます。

大事なことは定年延長に伴い、それでも人件費を高齢者層に偏らせないことだと考えられます。人件費が高齢者層に偏り、若年者層の労働に依存すると(日本には丁稚奉公という言葉があります)、深刻な少子化が益々進む可能性が否定できません。当たり前ですが、給与が少ない若年層の方が節約しているデータもあるようですし(独身層はともかく、家庭を持つ若年層は確実に節約していると思います)、高齢者の死亡→遺産相続の際に高齢者へというサイクルも既に出現しており、需要と景気を考えても、高齢者層の給与の増大は経済的な詰みに直結しかねません。

ただ、対策が難しい訳です。給与下げの決定は基本的に至難で、下方硬直性があります。ですから、答えは基本的にインフレなんだろうと思います(年金は物価に関連し、問題があれば議論して変えることはできます)。インフレがおきている間は配分が大きいところを据え置き、配分の少ないところを物価にあわせてスライドさせれば、抵抗少なく分配を変えることが出来ます。技術の移り変わりが激しい現代において、同じ仕事をただ続けるという前提はもはや成立せず、日本経済の失敗に流動性の低さが指摘もされています。今言われている副業や兼業の解禁も流動性を高める一方策だと思え、経済の活性化を考える上で、流動性や柔軟性は重要な位置をしめるだろうと思います。賃金の下方硬直性の存在を考えると、インフレは経済の柔軟性を増しますから現代社会の経済活性化の条件とも言えると思いますが(実際低成長の日本はデフレ社会と言われてきました)、インフレにデメリットはあれど、この極めて重要なメリットが十分意識されてこなかったことが、日本経済の苦境に直結しているんじゃないかと思います。物価が上がって給与が上がると同じじゃないかと考えてしまうのが罠な訳で、目的はインフレでなくては実施困難な分配の変更にあって、それをやらない経済活性化の答えはまずなさそうだと筆者は考えています。少なくとも先進国一今でも成長しているアメリカは日本のようなデフレ社会ではなく、最先端企業が揃っています。インフレを実現する手法はいろいろ考えなければなりませんが、総論としてはやるしかなく、0%に近い方が望ましいということもなく、メリットを十分意識しながら、デメリットを踏まえ適切なインフレ率を目指すしかないと思います。デフレは貸出先がない貯蓄の補助金でアウトは半分正解ですが、半分不足していたんじゃないかと筆者は思います。

AIが本格的に機能するのは10年後ぐらいだろうけど、仕事の49%代替可能という指摘も重要だと思います。技術的に可能が即実行という訳でもないとも指摘されていましたが、やはりこうしたことは念頭にあるべきです。ただ、直近の政策に直結する訳ではなく、あくまで労働者の心構えだと思います(番組では指摘されていませんでしたが、難度によるもののブルーカラー労働はロボットで代替難しいものが多いように見え(自動運転はありますが)、ブルーカラー系労働の資格が10年後に無効になる割合は少なそうな気もします)。

関連してベーシックインカムの指摘がありましたが、現状では需要を考え適切な政策として理論を構築したとしても、実施困難の類の政策のように思えます。政府支出を一方的に増やすことはできないからです(PBの厳しい現状を考えると増やした分だけ、実施困難な引き算を実施する必要が出て来ます)。民主党政権の子供手当はそれで失敗したとも考えられます。少子高齢化社会が進行する現状では何もしない=危機が深まるの図式があります。現状を維持するだけでも困難がある訳です。インフレがもっとも現実的な経済活性化策であり、例えば少子高齢化傾向がストップするなど調整が進めば、話が変わってくる可能性もありますが、理由はどうあれ配って調整は現状難しいのではないかということになります。ただ、所得税は累進的ですから、格差が広がって社会不安になった時、低所得者層の所得税を下げられないことを考慮する必要はあるかもしれません。負担を下げられなければ、配る以外の選択肢もないはずです。社会主義的で望ましくありませんが、高所得者層に分配が偏り、高所得者層がお金を使わなければ経済は死ぬしかありません。現状では必要ないと思いますが、49%もAIで仕事なくなりましたのような時代が来た時、話が浮上する可能性はあると思います。今現在の日本におけるベーシックインカム論は生活保護を切れない以上、圧倒的かつ確実に破綻していると思っています(例えば国民全員に5万配って生活保護無しにできるでしょうか?そもそもベーシックインカム論は小さな政府で効率化と関係しますが、生活保護水準にあわせて国民全員に20万配るもありえません。実施するとなれば、生活保護を減額して残した上で(小さな政府は実現できないまま)、低所得者層に厚めに配るのような格差是正策になるような気がしており、それはベーシックインカムと言えないのかもしれません)。

メンタルヘルスの指摘がありましたが、メンタルヘルスに関連する労災申請・支給は年々増大しているのだそうです(メンタルヘルス対策、職場で何から取り組めばいいの? M.STAGE 産業保健サポート)。これも今まであまり注目されなかった現代的課題ですが、放置する訳にはいかないんだろうと思います。事故(怪我)がない職場は現状である程度評価されているでしょうが、メンタルヘルスを含め病気がない職場も評価されていく時代が来たのかもしれません。

しかし、経済を考えれば考えるほど、マイナスにできない、あるいはマイナスが困難だから、理論通りにできないの類の罠が結構あることに気付きますね。結局、通行止めが多くて、現代社会において適度なインフレを狙う以外に道はないのではないかという結論です。健全なインフレ率は、人類の経験則から2-3%といわれているともいうそうですが、多分そんなところなのかもしれません。日本はこの点を理解できず、道を外れ時間をロスしたような気がします。

三線と泡盛の起源と原料に見る東南アジア(~インド)と沖縄(琉球)の関係

2019-01-15 10:57:09 | 日本地理観光
三線(サンシン)(イラスト沖縄)

沖縄の三線に使うヘビの皮は、昔はどのような手段で手に入れてたのですか?(Yahoo知恵袋 2014/8/10)

沖縄と東南アジアの伝統的な貿易関係と三線(三味線)という文化。三線の蛇皮は小さいハブではなく、ニシキヘビ使用。東南アジアのタイ(シャム)等からどうも輸入したという話ですが詳しくありません。三線が福建由来としても福建自体、東南アジアとの交流があったでしょうし、いずれにせよニシキヘビが福建にいないのであれば、沖縄は原材料を大陸以外の何処かから輸入したに違いありません。

泡盛もタイとの関係が深くラオロン(詳しくありませんが老龍と読めなくもありません。ただ、後述しますが蒸留酒自体の起源からそもそもの東南アジアの蒸留酒が中国起源は考え難く、後の時代の用語の可能性もあるかもしれません)起源説が有力だそうでインディカ米使用。泡盛の語源はサンスクリットのアワムリ(酒)とも言われます。福建省の代表的な酒に福建老酒(紹興酒)があります。泡盛ってどう見ても中国系ではないと思いますし、蒸留酒ですから起源が沖縄にあるということも無さそうです。蒸留酒はルーツが中東・西欧にあって、中国より東南アジアの方が蒸留酒を知るのは早かったのではないかと考えられます。ゆえに泡盛は東南アジア起源(更にはインド起源)が濃厚と思いますが、焼酎は中国起源(ただし更に辿ると中東か西欧に行き着くはずです)だと思います。チュウ(日本語で言えばシュ)が中国語の酒だからです。

シャムはサンスクリットに由来するとも言われます。調べてみるとサンスクリットとパーリ語の関係とかややこしいんですが、いずれにせよ、シャムは東南アジアにおいて先行したクメール(カンボジア)から見た他称みたいですね。クメールがどう見てもインド系文化な訳です。タイも南伝仏教ですが。東南アジアの文明化は明らかにベトナム北中部を除き、西方からであったことは疑いありません。

スペイン語・ポルトガル語の大航海時代の文献で琉球(レキオ)人の東南アジアにおける活躍が知られるようです。ゴーレスとも。明との朝貢貿易と琉球王国との深い関係は派手な建造物もあり当然目立ちますが、琉球王国人は直接東南アジアに出かけていたことも当然踏まえるべき歴史です。

余談ですが、沖縄が東南アジアとの関係を取り戻すのであれば、教育を考えるのもいいような気もしますね。ITは人手不足業界ですし、場所のハンディもあまりなく、距離的に東南アジアに近い優位性があります(シンガポールやタイとの直行便あり)。優秀な人材が集まる場になれば面白いと思います。英語立県を目指す沖縄県ですが、会話に特に優位性があるんだろうと思います(英語教育の本筋は読みでしょうか)。多言語対応もいいですがキリがなく、世界共通語が広く使われる環境にしていけば、多様な外国人が訪れやすいのは間違いありません。

沖縄最古のグスク勝連城とグスクの成り立ち

2019-01-13 21:28:12 | 日本地理観光
勝連城跡

勝連城跡で歴史ロマンを垣間見る~沖縄の世界遺産最古の城塞へ(LINEトラベル 2015/11/30)

うるま市の素晴らしい歴史遺産勝連城。最古のグスクとされ、元代の陶磁器(染付)が出土しているとか。恐らく明代に日明貿易が始まるまで、勝連のあたりが沖縄の中心地だったような気もします。日明貿易は政府間の公式の貿易でしたが、元との貿易はそうではありませんでした。また一方で民間の貿易は存在したとは言え、元寇の脅威があったのも事実です。この状況は沖縄においても基本的に変わらなかったと言えると思います。ゆえに元との貿易を中心に政治を考える必要もありませんし(使節を迎え入れるための便を考える必要がない)、また、その脅威を意識した(島の東側での)国造りも有り得るだろうと考えられます。うるま市のあたりにはまとまった土地もあるようで、比較的早く開けたとも考えられます。

グスクの起源ですが、時代的にも元寇防塁との関係を筆者は考えます。本土の石垣ですが、花崗岩を容易に採取・運搬できる瀬戸内海沿岸に多く残り、花崗岩が産出が限られる東日本にはほとんどないようです。つまり城の造形は利用できる資源に規定されるところがあります。沖縄のグスクは琉球石灰岩で築かれており、これが本土には存在しなかった城壁が形成された主因だと思われます。サンゴ礁で形成される琉球石灰岩は勿論大陸にも存在しないでしょうから、その起源はさておき、これは本土の織豊系城郭と同様に、沖縄独自に発展してきた文化と言えるのではないでしょうか。

グスクの語源ですが、諸説あるようですが、古くは具足という字が当てられていたそうで、筆者はそのまま甲冑や鎧・兜の別称である具足が語源ではないかと思います。グスクと御嶽の結びつきが指摘されているようですが、御嶽を中心とした集落を守る具足(=鎧・城壁)がすなわちグスクという訳です。

うるまは沖縄の美称でもありますが、沖縄最古のグスクであるところの勝連城を擁するうるま市こそ本当の(考古学で痕跡が確かめられる)沖縄文化の起源の地と言えるのかもしれません。日本で言えば北九州みたいなものでしょうか。

通州事件と日中戦争、南京事件、その背景

2019-01-08 09:39:44 | 世界史地理観光
燃灯塔(中華人民共和国 北京直轄市 通州区 ウィキペディア「通州区 (北京市)」2019/1/8より)

通州事件って日中戦争の歴史において、保守派がよく取り上げる題材なんですよね。南京事件とあわせて、日中戦争の歴史を簡単に概観しておきます。

通州は北京市付近。殷汝耕を政務長官とする冀東防共自治政府が置かれていました。反乱を起こした冀東防共自治政府保安隊ら中国軍は通州日本軍の留守部隊(主力は南苑攻撃中)を攻撃・壊滅させ、殷汝耕長官を拉致。日本人居留民を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺されました。殷は脱出に成功しましたが、日本軍に反乱の首謀者と疑われ、政務長官は辞任。冀東防共自治政府は日本の華北分離工作の結果ではないかという指摘もあるようです。通州事件を起こした主犯は冀東防共自治政府の保安総隊の指揮官張慶余。

張慶余は通州事件後、南京に召還され、軍政部第6補充訓練処処長に任命された後、第91軍副軍長、国民党軍事委員会中将参議等を歴任したようです。通州事件(7月29日)の少し前7月7日には盧溝橋事件が起きています。どうも国民党政府と日本をぶつける共産党の工作もあるような気もしますが、第二次国共合作が成立する背景に日本の華北分離工作もあるような気もします。通州事件後8月13日に、中華民国軍の上海の日本租界進駐から第二次上海事変が発生。南京戦へ拡大していきます(日中戦争)。所謂南京事件が発生したのはこの時。

蒋介石は第二次上海事変の時には日本軍を追い出す意図で仕掛けたと思われますが、返り討ちにあって南京国民政府(汪兆銘政権)が成立したということのような気がします。南京事件も同害報復の面があったかどうか。蒋介石の側からは華北分離工作等一連の日本の大陸進出に不信感があったかもしれません。

一般に日中戦争の始まりは盧溝橋事件とされますが、松井-秦徳純協定で収拾しており、これを戦争の開始と見ることは出来ません。続く通州事件で拡大派が不拡大派を押し切ったとされますが、8月9日に池宗墨が冀東防共自治政府の第2代行政長官に就任しており、こちらも基本的には事態は収拾していると見ることが出来ます。続く8月13日の中華民国軍の進駐に始まる第二次上海事変が日中戦争の嚆矢に違いなく、これは明快に蒋介石の国民政府の仕掛け(先制攻撃・侵略)です。ただし、蒋介石にしてみれば、先立つ日本の華北分離工作や満州事変といった日本の仕掛けに対する反撃だったのでしょう(停戦を挟んでおり、そうだとしても日本の先制攻撃と見ることはできません)。そういう事情を踏まえた結果、日本も事変だと経緯を誤魔化したように思います。余勢を駆って第10軍が独断で進撃を開始。松井石根中支那方面軍はこれを追認し、南京攻略戦が始まったようです。どうも当時の日本においてはトップダウンの指示が十分機能しなかったようで、流れるままにズルズル拡大していった様子が伺えます。


ベンガル地方とインド文明、天竺・震旦・本朝の歴史比較、北東州と稲作・西南シルクロードの可能性

2019-01-08 09:02:06 | 外交安全保障
ナーランダの遺跡(ナーランダ大学)※ナーランダー僧院(世界史の窓)>5世紀頃、グプタ朝の王の保護のもとに建てられた仏教の教学を学ぶ学院で、7世紀のヴァルダナ朝でも栄え、唐から訪れた玄奘と義浄もこの学院で学んだ。ガンジス川流域のビハール州南部、マガダ国の古都ラージャグリハに創建され、現在は遺跡が残っている。

バングラデシュ総選挙について(外務報道官談話)(外務省)

>1 昨年12月30日,バングラデシュで第11次総選挙が実施され,翌31日にバングラデシュ選挙管理委員会が開票結果を発表しました。
>2 日本はバングラデシュ総選挙が,関係者の努力により主要野党の参加を得て実施されたことを歓迎します。一方で,政党関係者に多くの死傷者が発生したこと等,この選挙プロセスにおいて発生した様々な点について残念に思います。
>3 日本は,バングラデシュ独立以来の伝統的友好国として,バングラデシュが民主的発展の道のりを歩み続けることを望み,今後も発展と繁栄に向けた取組を引き続き支援し,二国間関係を更に発展させていく考えです。

288議席中、アワミ連盟が259議席。中道左派的で親インド的な政党なのだそうです。残念ながら投票日に12人死亡する混乱があり、選挙プロセスに問題あったとも指摘されるようですが、アワミ連盟(のような政党)に圧倒的な支持があったのもまた事実ではあるんでしょう。

さて、インド大陸のベンガル地方はインドとバングラデシュに分断されていますが、インドの母とも言われるガンジス川下流で、バングラデシュとインドとの連携は極めて重要だと考えられます。インドの歴史原初にガンジス川流域で発展した文明がベンガル湾から東南アジアに向かったのではないかと筆者は想像しています(古代にはサンスクリットが東南アジアで使用されていたようです)。

十六大国の時代(前6~前5世紀)ですが、これが中国で言えば春秋戦国時代(前8~前3世紀)にあたるような気もします。民族系統が違うのは大きな違いですが、恐らくインダス文明と殷周が似たポジションなんでしょうね。ヒンドゥー教の聖典ヴェーダが紀元前1000年頃~紀元前500年頃に成立。インドの二大叙事詩マハーバーラタが前4世紀~4世紀。ラーマーヤナも同じくらいのようです。中国文字文明は殷が起源ですが、埋もれてしまった経緯があって、根本テキストが成立したのは諸子百家が現れた春秋戦国時代及び続く秦漢時代です。インドにおいてはマガダ国が秦にあたるのでしょう。このマガダ国がベンガル地方にありました。そして漢にあたるのが二大叙事詩が完成したグプタ朝なんでしょう(クシャーナ朝は匈奴?)。サンスクリットのインド文明は仏教を通じて日本にも影響を与えていますが、東南アジアの文明化にも寄与しており、興味深いテーマだと思います。

特定地域に広がった民族が互いに相争い統一する過程で文明文化が生まれるところがあるように思います。そして続く最初(か次くらいまで)の統一王朝で結構基礎が固まったりもします。最初のテキストってやはり尊重されるものだと思うんですよね。日本においては、文字こそ無かったのですが、十六大国や春秋戦国にあたる騒乱・統一の時代が弥生時代なんだろうと思っています。日本の場合は特異なことに古墳時代の皇室がそのまま現代に続いています。グプタ朝や漢の王家が現代に残っているようなものなのでしょう。中国の正史の第一「史記」は前漢の司馬遷によって編纂されましたが、周代の記録係である司馬氏の子孫だったようです。日本書記の成立は奈良時代ですが、そう考えると、日本の皇室は漢の王家にあたると共に共に周の役割をも兼ねていたと言えると思います。

また、文字がありませんが、殷にあたるのが北九州の倭国(奴国等)なんだろうと思いますが、文字がないだけでに中国の史書の記述を見るより他なく、詳細は永遠の謎になるのかもしれません。インドの場合は、よく分からなくなっている最初の文明は異民族のインダス文明のようですが、これはメソポタミアの状況(最初の文明が異民族のシュメール文明)に似るように思います。インダス文明はドラヴィダ人説も有力のようですが、インダス文字がドラヴィダ語で解読できないなら、これは誤りの可能性が高いのかもしれません。

縄文時代は重要ですが、殷周以前とかインダス以前ぐらいのイメージで、弥生以前のその文化をテキスト・言語で辿ることはほとんど不可能なんだろうと思いますが、北辺の縄文文化に限って言えば、アイヌ文化として残っているとも言えるのですが、アイヌは日本人と言語系統を異にする先住民です。ここに弥生人=渡来人説が入り込む余地があるんでしょうが、これはおかしな話で、弥生人は普通に日本人であり、縄文時代が単一民族で成立していなかったというだけの話なんだろうと思います。朝鮮人もツングースでなく朝鮮人。ツングース(満州人)は、どうもより北より南下したようです。

話が大きく逸れましたが、ベンガル地方は今に続くインド最初の文明を揺籃した地でもあり、東南アジアへの影響も考えられる重要な地だと思います。インドとの友好路線は重要でしょう。また、ブラマプトラ川はチベットに発し、上流は中印国境の割合ホットな地域です。

第10回日印外相間戦略対話の開催(外務省)

>(5)連結性強化
>河野大臣から,日印双方の自由で開かれたインド太平洋に向けたヴィジョンの実現に向け,第三国やインド北東州での協力の重要性について確認し,特にアクト・イースト・フォーラムを通じた協力の具体化を引き続き行っていくことで一致しました。

インド北東州での協力が挙げられていますが、多雨で少数民族が多い低生産性の稲作地域のようです。アッサムの紅茶は有名。日本も島国で多雨で歴史的に稲作主体でしたから、日本の経験が役に立つかもしれません。

低生産性の農業の生産性を上げることは出来るでしょうが、失業者が出たら問題でしょうね。副業をやるとか、出稼ぎに出るとか考えられますが、後者は言葉・習慣の壁もややあるかもしれません。資金の問題は例えばグラミン銀行が挙げられます。

日本では過去のものとなった近代以前の稲作。品種も多く使い分けもいろいろのようですね。何だかいろいろ細かそうなことに近しいものを感じます。稲作の起源と伝播は日本の歴史においても重要な問題です。稲作文化や儀礼なんかの比較も面白いのかもしれません(インド・アッサム州、ブラマプトラ川氾濫原の稲作 浅田晴久 2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会)。

最後に蛇足ですが、個人的には西南シルクロードが気になっています。「西南シルクロードは密林に消える」の高野秀行氏は反政府ゲリラに関連してインド入国禁止になっていますが、筆者に他意がある訳ではありません。単なる好奇心です。というのも四川の三星堆文明の年代が古く、何故四川で早くに文明が生まれ、そして目立たなくなったのかという疑問があるからです。五尺道(『西南シルクロード紀行』 -第4章)は秦の時代のようですが、蜀の桟道は中国古代史で意外に有名です。何ゆえ蜀で早期の古代文明かサッパリ。後の時代の歴史からは考えられません。創作じゃないんでしょうね。

伊勢神宮と記紀神話の史実性

2019-01-08 08:27:36 | 日本地理観光
天照大御神のイラスト(いらすとや)

天武天皇の娘「初代斎王」宮殿か、建物跡を発見(読売新聞 2019年01月05日)

斎王は伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王なのだそうですが、記紀神話(日本神話)の皇祖神天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の二つの正宮があります。共に女神とされます。近代社格制度では、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされ、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている最重要神社と言えます。江戸時代のお蔭参りのブームは大変なものがあったようです。

中国に比べて文字の成立が遅かった日本ですが、中国の正史三国志の魏志倭人伝の邪馬台国を中心とする倭国の女王卑弥呼が天照大御神(+倭迹迹日百襲姫命)、台与が豊受大御神(豊鍬入姫命)だろうなと筆者は思っており、外国史料で裏がとれた形です。こうした説は現状で必ずしも一般的と言えませんが、女王・女神が重要な位置を占めるという状況は割に特殊で記紀と中国史料の一致が偶然と思えません。中国史料が成立が先で記紀編纂時に参照した可能性がありますが、異論が噴出しているように中国史料の全面的引き写しも考えられないところです。

昔のことですし、日本の史料は伝承の制約、中国の史料は外国人の視点の限界があると思いますが、史料批判を踏まえた上で、基本的には事実を伝えていると考えなければ、歴史をやる意味もありません。古代の皇室の女性の役割は大きいものであり、それは日本の基層文化だったと思います。魏志倭人伝には卑弥呼が鬼道をやっていたとあり、それは伊勢神宮の斎王に符合。箸墓伝説ですが、女性の大規模墓は日本においても珍しいですが、巫女というだけでなく王だったと考えれば納得いきます。記紀で王と扱われていないのは、伝承する内に正確に伝わらなかった部分があるのでは?

卑弥呼の代以前の欠史八代(孝霊天皇以前)も基本的には事実を伝える(つまり2~7代まで大和土着で神武天皇の頃に九州から移民か)とは思っていますが、事跡が少なく外国史料で裏もとれません。ただ南方系ビロウを重視する皇室文化が植生から九州起源を裏づけ、朝鮮起源を否定していると思います。

何故伊勢かは詳らかではないと思いますが、一種の日の出信仰かとは思いますね。大和から東で海に面し距離もそう遠くありません。皇祖神も太陽神ですし、太陽神はしばしば農耕神であるようです。大陸から見て東が日本も意識されたかもしれません。

防衛省慰霊碑地区と靖国神社考

2019-01-07 05:37:35 | 外交安全保障
防衛省市ヶ谷台メモリアルゾーン(防衛省)

憲法改正に関連して自衛隊の殉職者の慰霊に関して考え検索していたのですが、自衛隊殉職隊員追悼式があって、平成7年の村山総理以来、平成21年に鳩山総理が代理で官房長官を派遣した以外は、毎年総理が出席されているのを確認しました。

平成30年度自衛隊殉職隊員追悼式(防衛省)

村山総理以前は、昭和32年の岸総理、昭和37年の池田総理、昭和63年の竹下総理の3回で、歴代総理大臣の出席状況にない最新の平成30年度も勿論安倍総理は出席されています。場所は防衛省慰霊碑地区(メモリアルゾーン)です。

解説 メモリアルゾーンの整備(防衛省)

>自衛隊殉職者慰霊碑は、殉職した自衛隊員の功績を永久に顕彰(けんしょう)し、深甚なる敬意と哀悼の意を捧げるため62(昭和37)年に建てられ、その後、風化による老朽化が進んだことにより、80(昭和55)年に建て替えられたもので、平成15年度自衛隊殉職隊員追悼式までに殉職隊員(公務死亡認定者)1,737名の氏名などを記した銘板が納められている。この慰霊碑には、歴代防衛庁長官などの防衛庁幹部が離着任する時には欠かさず、また、外国要人が防衛庁を表敬する際にも献花が行われ、殉職隊員に対して敬意と哀悼の意を表している。
>防衛庁本庁庁舎の市ヶ谷移転に伴い、98(平成10)年、自衛隊員殉職者慰霊碑などを「メモリアルゾーン」として整理したが、地積が狭く儀仗隊を伴った式典などの実施が困難などの問題があり、平成14年度から同地区の整備を開始した。昨年8月の完了の後、同年9月11日には、森前総理、瓦・虎島元防衛庁長官などの出席の下、「メモリアルゾーン」整備完了に伴う披露行事が行われた。
>「メモリアルゾーン」は、市ヶ谷台ツアーでも見学コースになっており、多くの見学者が訪れている。

池田総理が追悼式に出席した昭和37年に慰霊碑が建てられ、外国要人が防衛庁を表敬する際にも献花されてきたようです。防衛庁本庁庁舎の市ヶ谷移転に伴い平成10年にメモリアルゾーンが整理されたそうですが、平成14年度から整備が開始されたようです。市ヶ谷移転以前に防衛庁が存在したのが、港区赤坂の檜町駐屯地(ウィキペディア 2019/1/7)です(※檜町駐屯地の沿革ですが、長州藩毛利氏の麻布下屋敷跡が接収されてつくられた麻布駐屯地(明治7年~)が起源で、昭和35年に霞ヶ関から防衛庁本庁が移転(市ヶ谷駐屯地檜町分屯地を設置)、平成12年に市ヶ谷駐屯地に統合・廃止され、現在は東京ミッドタウンが再開発されているようです)。

防衛省・自衛隊:概要・見学コース|市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)(防衛省)

メモリアルゾーンも見学できるようです。

つまり、戦後の自衛隊の歩み・歴史を考えると、自衛隊の殉職者の慰霊は殉職隊員追悼式と防衛省慰霊碑地区をベースにする以外に考えられないと筆者は思います。

結局、靖国神社との絡みでよくアメリカ合衆国の国立墓地及び戦没者慰霊施設であるアーリントン国立墓地が取りあげられますが、これに当たる施設が日本にあるとすれば、外国要人も献花してきた防衛省慰霊碑地区であり、靖国神社でも千鳥ケ淵戦没者墓苑でもないのでしょう。千鳥ケ淵戦没者墓苑には、日中戦争および太平洋戦争の戦没者の遺骨の内、遺族に引き渡すことができなかった遺骨が安置されています。

さて、ここで靖国神社ですが、靖国公式参拝訴訟(コトバンク)を参照すると、公式参拝は違憲の疑いがあるという大阪高裁の判決が確定しているようです。ただ、戦没者の慰霊施設として公式のものであったのは戦前までで、戦後の公式の施設は防衛省にあることを踏まえると、戦後の公式の慰霊が否定された訳ではないと見ることも出来ます。また実際問題、自衛隊員の慰霊を考えると、神道による慰霊を拒否された時のことを考慮する必要があるのは否定できません。そう考えると、戦後の追悼式や慰霊碑地区での追悼はそうした問題を踏まえて行われてきたのだろうと理解することが出来ます。

ただ、靖国神社は日本の軍人・軍属等を祀り、広く崇敬を集める権威ある神社です。これを総理が参拝できないというのはおかしな話で、私人だ公人だという論争は小手先の誤魔化し、神学論争に過ぎません。総理が総理と記帳しなければOKとかそういう話ではないはずでしょう。所謂戦犯の合祀問題に関して言えば、1953年(昭和28年)の戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議で決着がついているとも言えます。つまり政府の誰であり参拝してよく、どう記帳してもよいと筆者は考えます。しかしながら、靖国神社は戦後の自衛隊の公式慰霊施設ではないことは踏まえねばならず、誤解も広くあるということではないでしょうか。

靖国神社の宗教性は否定できませんが、特定の宗教を滅ぼす必要も無く、現に戦後も認められています。靖国神社という立派な神社を日本人は今後も守っていくべきと筆者は思いますが、公式の慰霊施設は戦後これまでの防衛省・自衛隊の歴史を踏まえるべきで、靖国神社にこれからあえて代替していくことを筆者は考えていません。寧ろ、現状あまり目立っていない防衛省慰霊碑地区や自衛隊殉職隊員追悼式を大切にしていくことが大事だと考えています。

靖国神社は神道の施設であり、神道は皇室との関連も深く日本に根ざした日本の根本とも言える宗教だと思いますが、例えばアメリカにおいてアメリカ合衆国大統領就任式で聖書が使われるように、政教分離を厳格に過ぎるほど守る必要は全くなく、つまり政治(家)と靖国神社を分離する必要は全くありません(政府と靖国神社の結びつきは戦後存在しておらず、その事実は総理の参拝によって揺らぎません)。

神道と政治の関係って、度々例に出しますが、アメリカにおけるキリスト教と政治の関係みたいなもので、アメリカの現副大統領マイク・ペンス氏はキリスト教右派として有名であり、別に隠したり批判されたりするようなことではない訳です。特定アジアや左翼の方々が何を言ってきても関係ありません。靖国神社も例外ではありません。その歴史観に筆者は個人的にやや違和感もあるんですが、それはひとつの神社の見解であり、政府の公式見解でもなく、思想信条の自由は完全に守られます(勿論逆もまた然りです)。

天皇陛下が長く御親拝されていないことに関して言えば、戦後長く靖国神社を巡って争いがありましたから、日本を守る皇室(象徴)として御親拝を避けられたのだろうと推察します。靖国神社や自衛隊を巡る位置づけの問題(憲法9条の問題)が解決したら、何時か御親拝もあるのではないかと筆者は思っています。

また、靖国神社の祭神ですが、祀られることを拒否するしないとかそういう話は有り得ないと考えます。日本人のために祈ると言われて、私は日本人だがおまえは嫌だから除外してほしいのような話が有り得ないと同様です。一宗教の祈りの話に当人や遺族と言えども関与すべきでないと筆者は考えます(ただ、肖像権の侵害とか宗教性以外の視点からの批判は有り得、無論他人を勝手に利用していいうことにはなりません)。これは信教の自由であると共に思想・良心の自由です。