久々に慰安婦問題。少しネタ(尹美香「イ・ヨンス氏”慰安婦被害者は私ではなく友達…”と電話」2020.05.08|9:20|朝鮮日報)は古いのですが、面白いネタだと思ったので。
李容洙(イ・ヨンス)が慰安婦でないと仄めかした尹美香(ユン・ミヒャン)が、尹美香に腰砕け的に謝っているようであり、韓国は李容洙が慰安婦で知らぬ存ぜぬで押し通すみたいですね。日本は李容洙が尹美香に申告の電話で「私ではなく友達が」と言ったとする尹美香の発言を殊更取り上げるべきだろうと思います。韓国の右派左派どうでもいいことです。日本は韓国側の描く韓国が正義を追及しているのに日本が逃げているとするストーリーを壊して、手打ちは韓国にとっても良かったと持っていかねば、何時までも有りもしない「罪」を追及されることになってしまいます。韓国の歴史観は韓国のものだとして、元になる歴史的事実は厳密に追及しなければ、日本の弁護になりません。勿論終わった話に付き合わないのが前提ではありますが、執拗に継続される運動にダメージを与えるチャンスを逃すべきではないと考えます。李容洙の日本でのイメージは例えば「尹美香に私ではなく友達が慰安婦と電話で申告してきた自称慰安婦」です。元々証言の矛盾をつかれてきた人のようですが、申告の時に慰安婦じゃないと言ったのは致命的だと思います。尹美香も自分が攻撃されてボロッと本当のことを言ってしまったものと考えられます。韓国は偽証罪大国と言い、まさに悪い面が出たと言わざるを得ません。日本がここで追及すべきは尹美香氏の証言であり、左派を攻撃する右派の構造に乗っかるべきではありませんが、尹美香氏が証言を翻す可能性も勿論あると思います。ただ吐いた唾は飲めません。慰安婦問題の有名人であるところの李容洙が出てくる度に「友達が慰安婦」ぐらいは言うべきでしょう。韓国は激しく反発するかもしれませんが、被害者と主張すれば証言の信ぴょう性が問われない裁判なんてものはありません。李容洙とは韓国のマスメディアによって創られた虚像なのでしょう。韓国のマスメディアとしたのは他に責任が無いと主張しているのではなく、イメージを広げているのが主にマスメディアと指摘したまでです。韓国マスメディアが韓国政府の御用メディアか知りませんが、あくまで建前を攻撃するのが重要だと考えます。
※筆者のツイッターからの再録。
李容洙(イ・ヨンス)が慰安婦でないと仄めかした尹美香(ユン・ミヒャン)が、尹美香に腰砕け的に謝っているようであり、韓国は李容洙が慰安婦で知らぬ存ぜぬで押し通すみたいですね。日本は李容洙が尹美香に申告の電話で「私ではなく友達が」と言ったとする尹美香の発言を殊更取り上げるべきだろうと思います。韓国の右派左派どうでもいいことです。日本は韓国側の描く韓国が正義を追及しているのに日本が逃げているとするストーリーを壊して、手打ちは韓国にとっても良かったと持っていかねば、何時までも有りもしない「罪」を追及されることになってしまいます。韓国の歴史観は韓国のものだとして、元になる歴史的事実は厳密に追及しなければ、日本の弁護になりません。勿論終わった話に付き合わないのが前提ではありますが、執拗に継続される運動にダメージを与えるチャンスを逃すべきではないと考えます。李容洙の日本でのイメージは例えば「尹美香に私ではなく友達が慰安婦と電話で申告してきた自称慰安婦」です。元々証言の矛盾をつかれてきた人のようですが、申告の時に慰安婦じゃないと言ったのは致命的だと思います。尹美香も自分が攻撃されてボロッと本当のことを言ってしまったものと考えられます。韓国は偽証罪大国と言い、まさに悪い面が出たと言わざるを得ません。日本がここで追及すべきは尹美香氏の証言であり、左派を攻撃する右派の構造に乗っかるべきではありませんが、尹美香氏が証言を翻す可能性も勿論あると思います。ただ吐いた唾は飲めません。慰安婦問題の有名人であるところの李容洙が出てくる度に「友達が慰安婦」ぐらいは言うべきでしょう。韓国は激しく反発するかもしれませんが、被害者と主張すれば証言の信ぴょう性が問われない裁判なんてものはありません。李容洙とは韓国のマスメディアによって創られた虚像なのでしょう。韓国のマスメディアとしたのは他に責任が無いと主張しているのではなく、イメージを広げているのが主にマスメディアと指摘したまでです。韓国マスメディアが韓国政府の御用メディアか知りませんが、あくまで建前を攻撃するのが重要だと考えます。
※筆者のツイッターからの再録。