観測にまつわる問題

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災害対応の実働部隊考

2018-12-31 22:02:17 | 治安・警察・海事
レッドサラマンダー(パブリックドメイン)

災害の実働部隊を以前何処かで(ツイッターか)書いたと思うのですが、改めて記事にしておきます。

FEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)のような省庁をという議論が筆者の知る範囲では石破さんがしたのですが、筆者に言わせれば、何でも屋の実働部隊を新たに創設する必要は無く、既存の組織を使うべきということになります。その中で大きな役割を果たすのが消防庁です。

火事が消防庁というのは分かりやすいのですが、水害はどうでしょうか?現在は水防団が担っています。それであるいは問題ないのかもしれません。しかしよくよく考えてみると、水防が必要な事態において火事というのはそれほどは起こりそうにないというか、起こるとしても水害を目の前にして火事が起こるまで待機するのか?ということになります。

東京消防庁<防災館・博物館><本所防災館><施設案内> - 東京都を見ると、どうも東京では消防庁が火事だけでなく、地震・水害も想定しているらしいことが分かります。地震なんかは火事が起こるイメージもあって、火事が起きていれば火事に対処すべきでしょうが、火事が起きていないのに待機するというのも違うような気はします。いずれも滅多に起きない非常時ですので、それぞれ個別に部隊を組織するのは無駄とも言えます。最大限の機能がベストに思えるかもしれませんが、コストを天井なしにかけられる訳ではありません。

ですから、消防庁がFEMAに類似した機能を担って防災のプロになってくれれば話が早いように筆者には思えます。

まぁダム操作なんかは一義的には国土交通省の領域かもしれませんが、普段から連携をとって、非常時には消防庁が指揮するのようなことも考えられるかもしれません。ダムは水瓶でもあるんですが、やはり被害を考えると防災第一の操作は考えられると思います。また、国土交通省が操作するにしても、連絡はシッカリとれていないと、放流もありますし、非常時の対応はできないということにもなります。

大規模災害になればなるほど行政の職員の対応も必要かもしれません。ですから、ダム操作等と同じく平時から消防庁と連絡をとり何をするかを決めておくということは有り得ると思います。ただ、基本的な考え方としては、非常時の素人の行政があまり全面に出る話ではないように思います。土嚢を積むといった作業やガレキを除去するというような作業の訓練を普段から行政がやるのに限界があると考えられます。住民への呼びかけ等が仕事でしょうが、想定や訓練を普段からしている部隊が総合的に見て指示を出すのがスムーズなはずです。形の上でというか総合的なリーダーは首長や大きな災害だと総理になるんでしょうが、実働に関しては普段からの想定と訓練が必要と思われ、実際の非常時にはそのままプロに活躍してもらうという考え方です。

ただ、大地震や津波・堤防決壊・土砂崩れのようなマンパワー・マシーンパワーが必要な大きな事態においては自衛隊が出動(サポート)を(首長や総理が)要請するべきとも思います。災害と激甚災害の区別は他県の応援が必要な広域的事態で判断できるかもしれませんが(境界線上の小規模な事態は?のような問いは有り得るかもしれませんが)、ここでは詳しく考察しません。陸上自衛隊は施設課(工兵)を持ちブルドーザー・ショベルカーなんかも保持しています。これは一義的には戦時に塹壕を掘ったりするため(装甲つきだったりするようです)だったりするのでしょうが、ともあれ自衛隊は有事に備えて土木もできますから、非常活躍できるのに戦争に過剰に備えて待機するのはどうなの?と考えられます。仮に災害に乗じて戦争を企む不心得な悪徳国家が存在するとしても、日本は島国ですから、然るべき地域の空自や海自が十分待機しており、時間稼ぎできれば、直ぐに有事対応に戻ることは出来ます。まぁその然るべき地域の空自や海自が災害でダメージを受けることは想定しておくべきかもしれませんが。

大雪なんかは除雪車が国道などの工事事務所やネクスコに所属しており、道路の問題ですから、国土交通省の領域になるんでしょう。ただ、対応しきれないような(非常事態と言える)大雪は発生するようで、その時は地元の消防庁や自衛隊のアシストがあってもいいのかもしれません。大雪で道路が使えないなら、消防業務も何もありません。万一家が潰れたら、マンパワーやマシーンパワーが必要になるでしょう。

どうもこうしたことは当然に筋であると言えるのか、東日本大震災記録集(総務省消防庁)や南海トラフ地震における緊急消防援助隊アクションプラン(総務省消防庁)もあって、防災が消防の役割ということにはなっているようですが、消防庁の中の防災課といった感じで、消防>防災が現状のように思えます。最近の災害で消防が指揮・活躍した印象がなく、縁の下の力持ちに止まっている気がしますが、筆者としては訓練されたプロにより活躍してほしい訳です。FEMAにおいては消防極が下部組織です。そしてそれが寧ろ筋に思えるんですよね。

防災の一部としての消防が意識されるようになった時、地域の災害や激甚災害において「消防庁」はより活躍できるのかもしれません。その場で選挙で選ばれた首長等にはりきられてもチョット・・・。訓練されたプロに防災の実際は任せて、その他の業務や救援要請をするのが災害本部のトップのあるべき役割なのかもしれません。

ただ、救急車は待機せねばならないかもしれず、そこはまぁ・・・ここでは詳しく考察しないものとします。下部組織にでもすればいいのかな。

見出し画像のレッドサラマンダーですが、津波や地震といった災害時に、一般の消防車両が進入困難な場所での救助活動などに従事する消防車両らしいですが、全国にたった一台。岡崎市消防本部所属ですが、まぁ消防庁は消防庁であって、災害対応庁ではないんだなとつくづく思います。しかしながら、統合すべき実働部隊が他にあるような気もしません。国土交通省は防災に大きく関わりますが、防災だけじゃないですし、砂防等の防災系を災害庁に持っていくとしても建設じゃんと見ることも出来ます。非常時の部隊ではないというか。

緊急事態条項試案(2018年12月31日)

2018-12-31 16:12:00 | 憲法・法務・司法・立法
米海兵隊との実動訓練(フォレストライト01)(陸上自衛隊第4師団)(陸上自衛隊facebook 12月17日)

自民党の憲法改正案で国家緊急権は災害対応に関連する改正でこれまでも検討してきましたが、思うところあって(西修教授のほとんどの憲法では国家緊急権があるという指摘を踏まえ)、これまでの考察を見直した後、一度全て取っ払って一から考察したいと思います。

国家緊急権(ウィキペディア 2018/12/31)

>戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限のことをいい、当該権限の根拠となる法令の規定を緊急事態条項という。

要は憲法秩序を停止するための憲法に埋め込まれた根拠規定が緊急事態条項なのでしょう。それが必要になる事態とは「戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態」です。自民党案では災害に関連して議論されてきた訳ですが、1000年に一度の東日本大震災を例にとって、こうだからこうという議論が盛り上がらなかったような気がしており、憲法改正案の中ではかなり厳しい部類のような現状ではしています。時期が(憲法に任期が規定されている)選挙にかぶったらどうするのかという議論はもっともだったと思いますが、ややインパクトに欠ける感じだったと思います。多分、南海トラフ地震も東日本大震災に近い感じになるはずで、首都直下地震だけ憲法秩序が足枷になるかもしれないと考察したのが前回の記事になります。

防災でフルスペックの人権を認められないケースはあります。分かりやすい極論で江戸時代ですが、火事の延焼を防ぐために関係ない人の家をブッ壊すのような。現代において例えば、がれきを片付け交通を回復しようとした時、所有権を主張する○チ○イがいたらどうするのかという問題が無いとも言えません。ただ、この場合も冷静に考えると、ガレキを片付ける時に、例えば貴金属のようなものを一緒に捨ててしまったらどうする?みたいな問いをたてることも出来ます。所有者にしてみれば、絶対に家にあったはずで、幾ら探してもないということは、片付けた時だとなるでしょう。ガレキを片付けることに因縁をつけられることをあまり心配する必要はないかもしれませんが、あらゆる事態を想定してみれば、何処まで憲法秩序を停止していいかという問題は残るのでしょう。いずれにせよ、防災は憲法秩序の下でずっと行われてきており、東日本大震災で具体例を元に必要性を示せないなら、緊急事態条項の創設の意図を勘ぐられて仕方がないところはあるだろうと思います。選挙の延長の必要性があるとしても、緊急事態条項を創設してしまえば、他の法令の根拠になりますから、創設の時に効果が大きい理由を示さないと改正自体危ない気がしてなりません。

東日本大震災と緊急事態条項に関連してひとつ押さえておくべきことがあって、それは原子力災害に関してです。原子力災害対策特別措置法(e-Gov)(1999年制定施行)が現在あるようですが、それでいいのか、現行憲法秩序で問題なかったのかという問いは有り得るでしょう。結論から言えば憲法的観点からは問題なさそうです。原子力災害対策特別措置法において原子力災害時に既に原子力事業者の上に総理大臣が立っているからです。工場における事故は第一に現場をよく知り圧倒的に近場にいる責任者や労働者が対処すべきと思いますが、それと同じく本来的には原子力災害は原子力事業者が対処せねばならないはずで、素人の総理大臣が出る幕はないように思えます。消防庁や自衛隊のような組織もサポートに止まるはずです(あまりに危険な仕事を事前に想定する可能性は考えましたが、やはり事故の拡大を防ぐには現場の人間が対処せねばなりません)。本当は(イラ)菅のような人の指示に従うべきのような法律が問題視されて良かったと思いますが、悪者になったのは東電で実際的な議論はなかったように思います。勿論、東電の人がヤバイから現行憲法下の罰を受けてもいいから、トンズラするわのような議論は許されることではなく、現行憲法下、あるいは緊急事態下で東電の人が対処するように法を定める必要はあると思いますが、それは総理が一々指揮指示するを意味しないと思います。具体的には、名目上事業者を指揮下において、三条「原子力事業者の責務」違反の罰を重くすることは考えられると思います。とにかく、事故はスピード第一で現場で対応し、行政は監視監督(監督というと野球を思い浮かべ指示をイメージするかもしれませんが、督戦(「督戦隊」ウィキペディア 2018/12/31)というのは逃げ出さないように見張って武力で逃げ出したものを処分することを意味し、監督の督は督戦の督だと筆者はここで定義しておきます)すると共に(指示指揮は必要ないというか基本的にはすべきでありません)、消防庁や自衛隊を援護に向わせるという形になるんじゃないかと思います(勿論予め何を援護するかは想定しておくべきです)。

以上ですが、ここまで(寧ろやり過ぎに思えるぐらい)現行憲法で出来るとなると、新たに緊急事態条項を創設して何をするの?と言われてしまうことになるんだろうと思います。ただ、緊急事態条項は通常の憲法において当然あるべきものですから、提起することに大きな意味があるとは筆者は思っています。

結局、「公共の福祉」万能論みたいな感じで、柔軟にやり過ぎて良く分からなくなっているような気がしないでもありません。そういう部分も議論できたら面白いのかもしれませんが、それはさておき、現状で権利(人権)が(当然に)(場合によっては)制限できることは確認できてしまいました。だとするならば、緊急事態条項の扱いは微妙なものになります。憲法の文言上有り得なそうな私学助成ですら罷り通るのですから(筆者は今回改正するべきだろうと思っています)、有り得ることは何をかいわんや。

ここで本来の緊急事態条項を考えてみましょう。ウィキペディアの記述を眺めてみると、どうも戦争や内乱・クーデターといった非常事態に対応して緊急事態条項があるような気がします。前提として戦争とは本質的に味方の人権も制限するものだと筆者は思っています。例えば本土決戦でここに塹壕を掘ると決めた時に、おらが土地に~などと言われても困ってしまう訳です。物資も徴発して軍票という形に成らざるを得ません。そうせずに人権を守っていると、戦争に負けてしまって、敵軍にそれどころではない人権侵害されてしまう訳です。また、自衛隊が敵軍を撃って、警察に殺人罪と言われては適いません。ですから、そうした軍事的な非常時に憲法秩序を停止するというのは有り得る発想です。これは憲法秩序が危ない(決定的に損なわれると想定される)時に一時的に憲法秩序を停止するものと表現することが出来るように思います。戦争に負けて日本国が無くなれば、日本国憲法も何もありませんし、選挙に拠らず、内乱・クーデターで政権が変わった時も同様と言えます。こうした事態を起こす連中はそもそも日本国憲法の秩序を尊重していない訳ですから、それなりの対処も必要になると言えます。まぁ外国に支配される戦争より、内乱・クーデターの方がマシと言えなくもありませんが、現行秩序から見れば、似たようなものと言えば似たようなものと言えます。

日本は英米法(慣習法)の国ではありませんから、大陸法における緊急事態条項を以下見ていきます。これはどちらがどうとかいう問題ではなく、実際的な議論をする必要性から来るものだと思ってください。

歴史を見ると、ナチスが緊急事態条項を乱発したのようなことが起こったようです。その反省の元に現行の国家緊急権があるとも。具体的には(ボン基本法において)職業の自由等(12a条)、移転の自由や住居の不可侵(17a条2項)、通信の秘密(10条2項)、移動の自由(11条2項)などを規定しているようですが、緊急事態における人権の制限に対する歯止めについて規定もあって、労働条件及び経済条件の維持、向上のための労働争議に対して、軍の投入などの措置をとることができないこととなっており(9条3項)、併せて憲法的秩序の除去に対する抵抗権を明文で規定している(20条4項)ようです。

確かに徴兵・徴用を考えると、職業選択の自由はありません。住居に入るなと兵士に言われても困るでしょう。スパイがいるかもしれませんから、怪しいと思ったら心証で通信を覗きみします。勝手に移動されても困りますし、また避難しろと指示して居座られても困ります。自衛隊は存在しており、こうしたことは現行憲法下で出来るのかもしれませんが、明快に議論しておいた方がどう考えても安心だと筆者は思います。戦争準備ガーと言われるかもしれませんが、戦争する準備がないから、「敵国」に冒険されてしまうとも言えます。明快に議論しておけば、緊急事態下においてもこれはやるなということまで事前に決めておける訳です。

戦争はそういう訳ですが、今回特に考察してみたいのは内乱・クーデター等に関してです。要は国内における憲法秩序の破壊についてですね。

事前に言っておきますが、立憲主義を盾にとって違憲を叫ぶのような立憲民主党的立場こそ危険極まりないというのが筆者の考えです。実際のところ安倍政権は憲法秩序に従い、やりたくもない合区を実施しており、自民党は憲法改正を提起することになりました。心証で憲法秩序が破壊されたと叫ぶことから、憲法秩序が破壊されていくような気すらしています。そういう大きな話は明快でなくてはなりません。

内乱やクーデターの防止を考える時、事後の対処は有り得ないというのが前提です。例えば、内乱やクーデターが成功しても認めないのような規定は、制圧されてしまえば全く意味がありません。つまり、内乱やクーデターは防止するより他ありませんが、防止するために憲法秩序を停止する必要があるのかという議論になります。怪しい団体や個人は平時において監視されるべきで、またそうでなくては内乱・クーデター等防げない訳です。ですから、緊急事態条項で対処すべきは実際の武力攻撃事態に対する対処ということになります。平時の監視は通信の秘密を侵すにしても裁判所を通してのように歯止めをかける流れになります。だとすれば、戦争に準じる規定で大体良いのではないかと考えられ、大は小を兼ねそうです(一端制圧されてしまったら、何を規定しても無意味と既に指摘しました)。逆に言えば、戦争の規定が無ければ、内乱にも対処できないということになりますし、内乱に対処できるなら、戦争にも対処できそうだということになります(外国との戦争は敵国の扱いを考えねばなりませんが)。この違いは敵が外国か国内かに過ぎません。クーデターだって例えば野党諸君が壇上に上がって乗っ取ったと叫んでもお笑い種。警察の皆さんに排除されるだけで、軍隊やそれに準じる組織が動かなければ成功するものではありません。

憲法と内乱・クーデターの防止を考えるなら、緊急事態条項と共にシビリアンコントロール(文民統制)を考えた方が良いはずで、今回の自民党の憲法改正案の目玉は9条改正だと筆者は思っています。シビリアンコントロールと言っても、戦略戦術を事細かに政治家が指示を出しても寧ろ戦争に負けるだけと筆者は思っています。大体が専門的なことはプロがやらねばなりません。ただ、上に立つ国民から選ばれた政治の側にしてみれば、軍が裏切ってはならないし、それを防ぐための措置はとるということになります。面倒だから軍が指揮した方が早いと思うかもしれませんが、政治が統括するのは軍事だけでは勿論ありません。政治家は全てのプロではありませんが、誰かが全ての責任者になる必要があります。まぁ文民統制条項の実効性云々の議論は聞いたことなく(寧ろ共産党政権の軍隊が党の軍隊で政治将校(ウィキペディア 2018/12/31)がいるということになります)、恐らく信頼関係のようなものでやっているのでしょう(ここで原子力災害を再び考えましたが、それこそ正に起こってはならない緊急事態ですから、一応そのままにしておきます。軍事は非常時に平時から備える組織であり、原子力発電所は発電が本業ですから、性質が大きく異なるんだろうと思います)。独裁政権は裏切りに徹底的に備えねばなりませんが、民主国家は合法的な政権交代が有り得るので、裏切りに備える必要が少ないと言えます。実際に戦後日本で非合法な政権交代が実現しそうになったことはなく、合法的な政権交代が民主党政権において実現しました。ですから、内乱やクーデターが起こる可能性が独裁国家に比して少ないと言え、具体的な措置があまりとられていないのだろうと思います。

ここで考えるべきは民主国家においてもクーデターが起こる国と起こらない国があるということです。個別の事情に深く立ち入らない方が良さそうですが、日本と比較されることが多いドイツの事例だけ考察しておくことにします。

まず日本ですが、有名な統帥権(ウィキペディア 2018/12/31)干犯問題があります。大日本帝国憲法下では陸軍や海軍への統帥の権能は天皇にあったのですが、実際のところは天皇陛下が政治の実際を指揮していたということは無いと考えられます(仮にそうであれば、戦争で負けた時に皇室は断絶していたでしょう)。日本の歴史において天皇陛下が親政していた時期は短期間に止まっています。憲法の文言上は天皇の権限が大きかったようですが、慣習法的に政治の実際は首相にあったと考えられます。曖昧だった規定をつき統帥権干犯問題が発生し、1930年に表面化した後、またたくまに満州事変(1931年~)が発生し、国際連盟において総スカンをこらい脱退し、ドイツが続いて、大きな構図が決まり、ほぼ運命が決定したようにも思えます。満州事変は関東軍の独走でしたが、時の政府は全く制御できませんでした。統帥権干犯問題に関連して時の総理(浜口雄幸総理)は狙撃され総辞職しており、満州事変を制御できなかったのも、その辺の問題と関係がありそうです。

つまり大日本帝国憲法の規定が曖昧であり欠陥があったことが日本の失敗に繋がったとも言えるのではないでしょうか?仮に主権が国民にあると規定され、文民統制が規定されていれば、統帥権干犯問題なる問題は起こる余地はほぼ無かったのかもしれません。

では何故曖昧だったかと言えば、実際のところ明治維新の時点で完全なる民主主義をやる訳にはいかなかったと考えられます。江戸時代は武士の世で、明治政府の樹立も地方武士の反乱が成功しただけの話で、四民平等は明治維新において規定され、普通選挙は段階的に実施されました。そもそも明治維新は外来の脅威に臨んで発生しており(攘夷がスローガンでした)、西洋に対抗して西洋を模すにしても、引き続き武士が主導権を握る必要があって、要するに元老(ウィキペディア 2018/12/31)(薩長土肥)支配だったと考えられます。元老は憲法の規定外の存在だったようですが、天皇を輔弼することで重要国事に関与したようです。最初はそれで良かったというか、良くなかったのかもしれませんが、それしかなかったんだろうと思います。元老は明治政府の樹立に功があったことでやはり権威があったようです。つまり時が経るに従い(少なくとも力ある)元老の数は減っていったようです。最後の元老が西園寺公望(ウィキペディア 2018/12/31)ですが、原敬が1921年に暗殺され、1922年に病気療養中の山縣有朋が没する流れの中で、元老一人体制になっていったようです。西園寺は戊辰戦争に参加した元勲ですが、名前から分かる通り公家出身でどうも力が足りなかったようなフシが感じられます。西園寺は1940年に90歳で没しますが、統帥権干犯問題も満州事変もどうすることも出来なかったようです。年で衰えた可能性もあるかもしれませんが、詳しくなくこれ以上は触れないものとします。

第一次世界大戦(1914年~1918年)は日本は勝ち組でした。この辺まで後世から粗を探せばキリがないとは思いますが、国際協調から外れず概ね大過なくやっていたように思います。結局、第一次大戦が終結した後、原や山縣といった力ある元勲が退場してしまいコントロールが上手くいかなくなったことが日本の失敗だったのかもしれません。元は元老支配するつもりで元老支配の体制をつくったに関わらず、状況の変化にあわせて体制を変えられなかったことが失敗だったとも言えます。原や山縣退場して大丈夫?みたいなことを考え準備することが出来なかったということでしょうか。原は暗殺ですが。

日本の普通選挙は1928年ですから、普通選挙が実施されて間もなく統帥権干犯問題が起こったと見ることも出来ます。普通選挙が実施されてみると、西園寺一人元老体制に違和感があったでしょうか。犬養毅総理が殺害された五・一五事件が1932年、クーデター未遂事件二・二六事件が1936年、第二次上海事変で日中戦争の泥沼に入ってしまったのが1937年、北部仏印進駐が1940年、マレー作戦・真珠湾攻撃が1941年になります。こうして見ると統帥権干犯問題→満州事変以降日本はまるで為す術なかったことが分かりますが(五・一五事件~二・二六事件は小康状態?)、そもそも満州事変然り第二次上海事変然りですが、その時もトップの意志が効いていた様子は窺えず、日本が迷走していたことは確実のように筆者には思えます。

普通選挙の実施にあわせて憲法改正していればどうだったかという問いは有り得るかもしれませんが、現状では筆者には何とも言えません。とにかく、元老支配前提の体制そのままで元老の力が弱くなり、その実態にあわせて体制を変えられなかったことが問題だったように思えます。まぁ何時の世も支配者が自分がいなくなった時の体制を磐石にしようなんてあまり思わないのかもしれませんが(磐石にしたからこそ寝首をかかれるかもしれません(笑)。道場で師匠は秘伝だけは教えないのような)。

さて以上を踏まえて日本国憲法に戻ると、日本国憲法において日本政府のリーダーは国民から選ばれた国会議員が選ぶ総理で、戦前のような問題が起こるとは考えにくいところがあります。文民統制を明記すれば、まぁ理論的には大丈夫のような気もします。この明記がなければ、国民が選ぶ政治家が軍人でという可能性も無いとは言えないですよね。理論上は。現状ではそのような気配はありませんが。軍人が(文民になって)政治家になってはいけないとは思いませんが(プロの意見は必要でしょう)、軍人支配は駄目ですよとハッキリさせておく必要はあるんだろうと思います。その辺を曖昧にしておくと(建前が守られないと)、歯止めがありませんから、軍人そのものでいいじゃない、クーデターでいいじゃない、内乱でいいじゃないということになっていくんだろうと思います。

ついでドイツを考えてみます。ナチスがヴァイマル憲法下で台頭したことは知られますが、どうも緊急事態条項を利用したこともあったようです(ですから自民党は緊急事態条項を防災関連に絞ったのでしょう)。第一次大戦まではドイツ帝国でした。明治維新で日本が参考にした国のひとつがこのドイツ帝国です。第一次大戦でドイツが負けてヴァイマル体制になった訳ですが、賠償が重かったこともあるのでしょう。結局、ナチスが台頭し第二次大戦で再戦という流れになります。ドイツ帝国で活躍したのが彼の有名なビスマルク。第一次世界大戦時のトップはヴィルヘルム2世だったようです。第一次世界大戦の原因はここで考察しませんが、ヴァイマル体制以前にドイツは帝国だったことは踏まえられていいんだろうと思います。日本と似ているとも言われるドイツですが、どうも苦しい状況で慣れない民主主義が上手くいかなかったと見ることが出来るのかもしれません。

ナチスと緊急事態条項を見ると、治安で軍が出ることがあまり良くないようにも思えます。軍だけが活躍すると、どうしても軍国みたいになるのかもしれません。戒厳(ウィキペディア 2018/12/31)を見ると、第二次世界大戦後の復興期のドイツと日本 、そして米国南北戦争後の南部復興の時代に戒厳令がしかれたようです。戦争後のホットな時期に反乱を警戒する必要は実際問題あるんでしょう。そう考えると、何らかの理由で騒乱が起きやすい状態の時は緊急事態条項のようなものが必要と言えるのかもしれません。そう考えると、現代の日本でそれを想定する必要があるだろうかということにもなります。どう考えても警察が治安を守れば事足りそうです。また、ナチスに関して指摘すれば、武装親衛隊のようなものを組織し、党の軍隊を持っていたことは指摘せねばなりません。ただ、帝国から民主主義国に変わった訳ですから、特有の事情があった可能性はありますが、少なくともここではこれ以上触れません。いずれにせよ、警察が治安を守れている状況で軍(自衛隊)の出動を想定する必要があるようには思えません。寧ろそれを準備することで、些細なことで軍が出ていってしまうことが考えられる訳です。

ここで現代における緊急事態条項を考えてみると、防災の他には結局戦争なのかなと筆者は思います。公共の福祉で何でも対応するよりは、緊急事態条項で対応した方がスマートで機能的なような気が筆者はします(どう考えても公共の福祉なる概念で対応するのは奇妙で、戦争というのは緊急事態そのもののように思えます)。戦争するための戦争準備ではなく、戦争に応じられる体制を整備することで戦争を抑止するという考え方です。治安は平時から通常の手続きに則って対応できそうですし、そうすべきのように思えます。まぁ現代は戦争のハードルが上がっている核時代ですし、絶対不可欠と強く主張する気はありませんが、普通にやったらどうかなという気がします。また、防災での自衛隊の出動は基本的に問題ないと思います。言っても火事の度に出動する訳ではありませんし、実際のところ騒乱→戒厳令のような事態はあまり想定する必要もなさそうです。つまり濫用につながりそうにありませんし、滅多に起こらない天災に最大限の準備をする(防災関連部隊で全て対応する)のは非効率であり(デメリットが大きく)、なおかつ非常時に非常時の組織である自衛隊に手伝ってもらう効果は非常に高そうです(メリットが大きい)。

最後に試案(のようなもの)を提示すると、緊急事態条項をとりあえず創設。何故かという理由は、ボン基本法のように実力組織が活躍する時に職業の事由や移動の自由を制限する根拠にするため。これは現状公共の福祉で対応しているのですが、主権者に分かりにくいので改正した方が良く、あわせて歯止めも設定するという説明になります。自衛隊の役割が明快になり国民の理解が深まることで、これまで曖昧だったところがあると思うのですが、攻撃されたら自衛隊が反撃するということに賛成意見が集まるような気もします。あわせて歯止めで攻撃しても退却して占領継続しないということになります。この辺は前回の記事で9条を考察したのをご確認ください。前回の記事における首都機能の喪失の想定等、憲法の抜け穴探しを今回進める気はありません。

厳原(対馬)地名考

2018-12-30 21:02:19 | 日本地理観光
対馬島 厳原湾 Saigen Jiro

対馬の中心地というと、厳原なんですが、この地名ってイズ+ハラですよね。ハラはいいとして、イズって何だろうと考えました。静岡県の伊豆や出雲と関係あるでしょうか。

いろいろ考えましたが、イ+津だろうなと直感的に思いました。津のつく地名は内陸部も若干含めて日本全国に広がっていますし、対馬の港湾都市なら津絡みだろうとあたりがつきます。伊豆も山がちで海にグルリと囲まれている感じ似ているところがあります。グーグルブックス「地名 イズ 由来 イ津」の「静岡「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない静岡県の歴史を読み解く!」(小和田哲男 2014)を参照すると、熱海に井津という地名があって、温泉のある港でないかという指摘です。厳原にも温泉はあるようです。【名字】井津(名字由来net)

そうなのかもしれませんが、あえて筆者は伊+津説にしたいと思います。というのも中国の史書によると大和が中心になる以前の倭国の中心地は北九州(奴国)ですが、大和と同時代の記述ではあるようですが、伊都国(糸島半島)も古い歴史があり、遺跡もあるようです。この都(ト)がミヤコ(中国語でトと読んだ可能性があるかもしれません)か場所(ヤマトのトと同じ)を意味するとすれば、問題はやはりイです。考えてみれば伊勢もありますし、伊がつく地名は多くその意味が気になるところです。

伊の意味は?名付けのポイントを徹底解説!(一期一名)を参照すると、「伊」はもともと神様を呼び寄せる聖職者を表す漢字なのだそうです。国産み神話のイザナギとイザナミもいますし、伊勢を考えても腑に落ちるところがあります。他に伊都や出雲も何やら宗教と関係ありそうな雰囲気です。伊豆と対馬の関係ですが壱岐(このお隣の島もイ+キでイ絡みです)もあわせて、亀卜を行う卜部は、対馬か壱岐か伊豆出身者だとする史料もあるようです(神坐(いま)す島 対馬・壱岐へ② 島全体が日本神話の世界そのまま 延喜臨時祭式による 個人ホームページ参照)(【連載】天晴れ!開運旅行「第2回 日本中の龍が集まるという壱岐の巻」 延喜式による ゆこたび参照)。

これで大体繋がってきた感じですが、伊=イは音読みで、殷初期の伝説の宰相伊尹(いいん)に因む嘉字のようですが、音読みの漢字の意味をそのまま受け取っていいんだろうかという問題はあります。地名のイが訓で伊が当て字だとすると、漢字の意味をそのまま受け取ってはならない訳です。ただ、あまりに伊という地名が宗教っぽいので、音読みでも伊を宗教的なものと受け取るべきではないかと思ってしまいます。平安京(ヘイアンキョウ)は音読みですが、漢字の意味をそのまま受け取るべきだというのと同じ意味です。トウキョウ・キョウトもそうですね。 亀卜の起源は明らかに殷にありそうだという相場観もあります。

伊津(日本姓氏語源辞典)という地名・人名も実際に存在しているようですが、兵庫県たつの市御津町岩見(旧:伊津(イツ))は奈良時代に「伊都」の表記で記録のある地名だとも。

ですから、厳原は伊+津+原だろうなと。厳がイズというのもよく分かりませんが、古代の当て字って物凄い適当というかよく分からないのが事実だと思います。

対馬は津島でしょうね。魏志倭人伝の倭国の一部ですが、船に乗りて南北に市てき(交易)すとあり、当時から日本の最前線として交易を担っていたようです。これは後の宗氏と同じ図式です。当て字が謎なのは考えても仕方がないんだろうと思います。

ウィキペディア「海神神社」(2018/12/30)を参照すると、「集落の北側にあって神社の鎮座する山を伊豆山と呼ぶが、伊豆はイツク(厳く)の意味で、神がよりつく神聖な山の意味である。」ということですが、検索すると厳くはイカクで荒々しい、勇猛だ、恐ろしいという意味になり、ちょっと違うような気がしないでもありませんが、地元の方言を知る訳ではないので、参考までに。

ちなみに海神神社 [対馬國一宮] (みっこ巫女祐気取り.com)を参考にしましたが、全国の一宮巡りの難所の一つが対馬の海神神社なのだそうです。「ツシマヤマネコ」飛び出し注意の看板も独特ですし、日本人の対馬観光も可能性あるんじゃないかと思います。

インフラツーリズムの勘所と間口の広げ方

2018-12-30 13:49:31 | 日本地理観光
四ツ木「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」東京スカイツリー #01(【無料】写真・壁紙・素材フリーダウンロードサイト)

12月9日の前回の記事に続き、インフラツーリズムの記事。

モデル地区選定し社会実験 19年度着手 訪日需要に対応へ インフラツーリズム有識者会議(旬刊旅行新聞)2018年12月25日

>年度内には手引きをとりまとめる。「誘客」「受入環境整備」「持続的な展開」を念頭に、各インフラツーリズムの「勘所(好事例のポイント)」を整理する。勘所を踏まえ、プロジェクトの推進をはかる。国交省の総合政策局栗田卓也氏は冒頭、「現実的に『なにをどう動かせるのか』を議論していきたい」と述べ、実効性の担保を重要視した。

>現状報告として、事務局からインフラ施設のランク分けについて説明があった。年間来訪者数が1万人以上はAランク(構成比3%)とし、巨大地下神殿と称される埼玉県の首都圏外郭放水路などを例に挙げた。1千人以上1万人未満がBランク(同11%)、1千人未満がCランク(同86%)となる。

>実際の来場者数をみると、Aが約28万人(同60%)、Bが10万3千人(同22%)、Cが8万5千人(同18%)となった。

>Aランクだけで来場者数全体の約6割(28万人)を占め、ほとんどが大都市圏近郊に集中している。ツアーが平日に偏っているといった傾向も浮き彫りになった。施設公開の約8割が施設管理者の主催となり、管理者・自治体の約7割が平日のみしか開催していない。旅行会社のツアーは1割程度にとどまる。

インフラツーリズムの拡大に向けて(国土交通省)

>Aランクの施設 来訪者数 特徴等
宮ヶ瀬ダム 101千人 観光放流の予定の周知 ◯ ◯ ◯ 東京近傍
八ツ場ダム 29千人 建設中の多彩な見学ツアー ◯ ◯ ◯ 草津温泉の近傍
利根導水路 28千人 地域の小学校の社会科見学を受入◯ 東京近傍
天ヶ瀬ダム 26千人 駅から近いダム ◯ ◯ ◯ 京阪宇治駅から約3km 世界遺産平等院近傍
湯西川ダム 22千人 水陸両用バスツアー ◯ ◯ ◯ 東京近郊の温泉地(湯西川・川治・鬼怒川温泉等)
首都圏外郭放水路 20千人 インスタ映えする防災地下 神殿 ◯ ◯ ◯ 東京の近傍
中部国際空港 18千人 空港見学ツアー ◯ ◯ ◯ 名古屋の近傍
関西国際空港 14千人 空港見学ツアー ◯ ◯ ◯ 大阪の近傍
明石海峡大橋 12千人 巨大つり橋の主塔登頂ツアー ◯ ◯ ◯ 神戸の近傍
津軽ダム 10千人 水陸両用バスツアー ◯ ◯ 世界遺産の白神山地への入口

>○ ダムカード・マンホールカード等のインフラカードがコレクターを中心に高い人気。
>○ ダムをモチーフにしたダムカレーを提供するお店が全国で増えている。

インフラツーリズムの勘所は、ビジュアルだとかインスタ映えとか見た目のインパクトではないかと筆者は感じています。やはり首都圏外郭放水路なんかが典型なんですよね。古代の王様は巨大な墓を建設し威信財としましたが(ピラミッド等)、それは現代においても観光の主力だったりします。観光の何が魅力かと考えた時、凄いものを見たいという感情は確かにありますし、観光という字義からして、素晴らしい風景(ビジュアル)を見たいというのが基本とも言えると思います。土木は古代より権力と結びつき、権威的なものであったように思います。

観光の間口を広げることを考えた時、インフラへの理解は重要でしょうが、あえて言い切れば二の次でいいとも思えます。マニアックな知識の収集も楽しいとも思いますが、さすがに裾野は狭くならざるを得ません。それでは観光の柱に成り得るはずもありません。解説なんかは関心のある人への質問に答えられれば、要所を押さえたもの・軽いもの・導入的なもの・フレーバー(味・風味)的なものでいい。

そう考えると、インフラツーリズムの概念が国土交通省の枠組みに収まるか疑問もあります。電波塔(東京スカイツリー・東京タワー)なんかも立派なインフラではないかと。東京都庁なんかもインフラと言えるかもしれません。つまり公共の建築物は全てインフラツーリズムの対象に成り得ると筆者は思います。こうして間口を広げた方が旅行者が楽しめるツアーが組め、民間での普及も進むと思うんですよね。やはり商売は顧客本位でなくてはなりません。別に国土交通省とかダムとか縦割りを否定しませんが、セクション横断も最初から同時に進めるべきなんだろうと思います。インフラへの深い理解にはならないかもしれませんが、それはそれで興味がある人を対象にやれば良いのであって、軽い解説で雰囲気を味わえればいいと考えれば、民間の旅行会社に任せて十分だと思います。

また、ダムカードの配布なんかがコレクターに受けているというのは個人旅行の潮流の気配を感じます。多分好きなマニアが時間のある時に収集しているのでしょう。神社で言えば御朱印集めがそうと言えるかもしれません。国内旅行者が主たるターゲットでしょうが、コレクター意識を刺激し、旅行する理由をつくってあげるのも、インフラツーリズムに限らず、観光促進には有効なんだろうと思います。コレクションするものは、カードや印に限らず、メダルや模型(3Dプリンタで簡単につくれるものでもいい)なんかでもいいし、対象は橋・トンネル(青函トンネル・関門トンネル・東京湾アクアライン・山手トンネル・関越トンネル・飛騨トンネル・恵那山トンネル)・城・寺・塔・産業遺産(鉱山採石場・砲台等軍事遺産等)・近現代建築・古民家等幾らでも考えられると思います。環境整備して興味がある人が観光して関心を深めることで結果的に理解が進み更なる発展に繋がる部分もあるだろうと思います。

ダムカレーとはダムをモチーフにしたカレーらしく、やはり見た目で興味を引く感じになっていると思います。誰が考えたか知りませんが(笑)。



場が盛り上がると思わぬ派生物もあるのかもしれませんね。

ところで一番人気とされる宮ヶ瀬ダムなんかはインフラツーリズムというより、自然を楽しむというかエコツーリズム・公園に近いのかなと思います。インフラツーリズムは人工物が対象ですが、元より人工と自然を明快に分けられる訳ではありません。ため池なんかも人工物でもあり自然でもあり、里山は自然に見えますが人の手が入らない自然は原生林ぐらいのものです。宮ヶ瀬ダムは素晴らしいとは思いますが、インフラツーリズムの角度で断トツトップと捉えるには違和感があります。ダムだからインフラで観光客が多いから素晴らしいではなく、インフラの価値そのものに着目した切り口が必要だと筆者は思います。首都圏に近いから客が多いとか、自然に癒されるために来ているのであってダムを見に来た訳ではないとかそんな感じであるようにも見えます。ダムカードはその点、スペックが記載されているところが面白いんだろうと思います。

利根導水路なんかは逆にインフラツーリズムの視点を掘り下げてストーリーで売り出すこともできるかもしれません。利根導水路は「利根川上流のダム群により開発した都市用水を武蔵水路及び荒川を経由して東京・埼玉に導水する」ものですが、元々利根川は東京湾に注いでおり、江戸時代の利根川東遷事業で流れを変えて太平洋に直接注ぐようにした訳です。関東には渡良瀬遊水地や首都圏外郭放水路もあって、それぞれの影響等のシミュレーションなんかをCGで見られれば面白いかもしれませんよね。インフラとは人工物ですが、環境の改変に着目したら面白そうです。

東海道は元々三浦半島→上総ルートだったというネタもあります。東京湾の沼沢地が開拓されてルートが変わったはずなんですよね。縄文海進の地図を見れば、東京湾沿いのルートこそ有り得ないことが直感的に分かるだろうと思います。道路は主要インフラであるものの、道路を見る観光というのは中々想像しにくいところがありますが、関東の古代ルートというのは現代的視点でちょっと面白いんじゃないかと思います。エコツーリズムなんかもあわせて、環境の変化を巡る旅というのも有り得るかもしれません。

ややインフラの概念から外れますが、他に江戸のBefore Afterという切り口もあるでしょう。

江戸幕府以前の江戸(江戸東京探訪シリーズ)

日本の歴史においてこれほど劇的な「首都」移転効果は他に見られるものではありません。人間活動と建築・自然への影響を調べ学ぶのも楽しいものではないでしょうか。

空港なんかは空港を見る目的というよりは、ショッピング(免税店・レストラン・土産)かなという気もしますが、ハブ空港なんかの路線図なんかのCGとかちょっと面白いかもしれませんよね。鉄道オタクがいるのですから、それに倣ってみることもできそうです。空港ランキングと言えば、満足度であることが多いように思いますが、鉄道のように「乗降客数」や路線数に着目し、どのパイプが太いかみたいなことをビジュアルで表現してみると、空港パワーが一目瞭然である訳です。これは道路や港にも言えることであり、鉄道もあわせて全てを総合すれば、物流の一大マップが完成します。(電気の使用に関連して)北朝鮮が暗い地図とかありますが、ああいう感じで人の流れ・物の流れを地図で表現した上で、交通インフラの力を感覚的に理解できれば、インフラを見る目も変ってくるのかもしれません。

城だったら、攻略難度を考えてみるとか、軍事遺産も同様に攻撃力や防御力で換算すると面白いのかもしれません。インフラツーリズムとは機能美でもあると思う訳です。城はまぁ威信財でもありますから、装飾の要素もあって、ちょっとインフラの概念には馴染まないところもあるかもしれませんが。

近現代建築や古民家も同様に機能の視点と装飾(デザイン)の視点がありそうですが、インフラツーリズムの観点で評価するなら、やはり機能に着目したいところです。インフラストラクチャーとは下部構造で経済・福祉を下支えするものであり、本来的に機能的なものだと思います。例えば、耐震性の変遷・耐火性の変遷・耐風性・耐雪性等々、防災の観点から見ることもできますし、密閉度(室温に着目)や広さと世帯人数の関係等住環境の視点で見ることも出来ると思います。機能を知れば、何が凄いか分かってくる訳で、目立たないが凄いものに着目するというのは、日本人に合っているところもあるような気がします。

鉱山採石場なんかは雰囲気あって、ある意味観光に適していると思うんですよね。鍾乳洞とか主要観光地だったりするじゃないですか。安全確保が重要で下手に産業遺産になったらいじれない部分もあるのかもしれませんが、洞窟探検に自然も人工もないと思う訳です。松代大本営・人吉海軍航空隊なんかもそうですが、建築とは結局工事ですし、国土交通省とセクションは違うかもしれませんが、かなり親和性があるんじゃないかと思います。土木技術の変遷を踏まえれば、歴史の深い理解に繋がるのかもしれません。スマホって暗いところで写真も撮れるようで、開拓すればポテンシャルはありそうです。海外からの注目を軸にした逆輸入型もいいんですが、国内需要の創出→インバウンドの流れが本来的な筋とも言えるのかもしれません。

先日、富士山の観光を含む記事を書きましたが、ビジュアル重視を踏まえると、富士山観光サイト・団体でそうしているように、写真コンテストやビューポイントの紹介なんかがあっていいのかもしれません。富士山は日本を代表する定番ですが、新しい定番をつくるのような。

最後に国交省ではないと思いますが、東京スカイツリーを。高い電波塔は観光施設でもありますが、電波塔自体、典型的なインフラであるとも言えます。ですが、機能にあまり着目が無かったように思います。そもそも東京タワーがあったところに世界一の高さの電波塔を建てた理由は、既存の電波塔の東京タワーが位置する都心部では、超高層建築物が林立して影となる部分に電波が届きにくくなっていたほか、ワンセグやマルチメディア放送といった携帯機器向けの放送を快適に視聴できるようにすることにあったようです(ウィキペディア「東京スカイツリー」2018/12/30参照)。

要は高層化の対応と、送信データの大規模化に対する対応だったのでしょう。検索してみると、スマホでワンセグも見られるようなんですよね。ならば、既存インフラを活かさない手はない訳で、東京はスマホでワンセグを活かした街づくりを志向すればその大規模性とあわせて他の追随を許さない文化を生み出せるのかもしれません。一度文化が形成されてしまえば、旅行者にワンセグチューナーを貸し出す展開にも繋がるかもしれません。そうして東京スカイツリーが最大限活かされた街づくりが出来れば、東京スカイツリーを見る目もまた違ったものになるのかもしれません。

広島×インバウンド

2018-12-29 15:27:08 | 日本地理観光
小原古邨 「安芸の宮島」パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集

延び延びにして申し訳ありませんでしたが、ようやく広島×インバウンドを書くこととします。まぁ、自分で納得いく感じにならなかったのが、延期した主たる理由です。自分のポジション的に(安全保障よりの関心)広島の象徴とも言える原爆ドームをどう料理していいか全然分からなかったんですよね。最初は厳島神社とかその他あるしいいやと思っていたのですが。正直に書いておきますが、筆者ははだしのゲンのような漫画を何処か小馬鹿にするところがある子供でした(親が買ってきて家にあって、読むは読んでるけど、別に好きでないというか。ガチガチの左派の家庭とは思いませんが、筆者の子供の頃の愛媛(松山)は結構対岸の広島のテレビの方が映りが良いチャンネルもあって、広島の情報で育っている部分があるというか、広島ローカルのCMも知っていたりするところがあって、親にしてみればはだしのゲンのような漫画も買いやすいところがあったのでしょう)。そういうナチュラルボーンで何故か平和より(左より・リベラルより)の見方を吸収せずに育った筆者だということを踏まえて、原爆ドームを核とした広島のインバウンド記事を見ていただければ幸いです。

「世界が驚愕 外国人観光客を呼ぶ日本の勝ちパターン」(石井至 日経BP 2018/8)という本を書店で先日見かけて、ようやく広島のインバウンドを何となく分かったような気になれたというか、広島はどうも海外で(欧米人相手に)圧倒的な知名度があるようなんです。HIROSIMAは元々ワールドクラス。日本全体のインバウンドは85%がアジアからですが、広島は約半分が欧米人だそうです。この本では欧米豪は長期滞在が多いけど、財布の紐は意外と固いからアジアがいいよみたいな主張のようですが、実際のところ平日の稼働率が産業としての課題なんで、やはり長期滞在でしょという気もしますし、富裕層狙いだとか何とかいろいろ視点はあると思いますが、それはさておき、広島の観光としては欧米人に強いという強みを活かすしかありません(半分がアジアですからそちらも重要は当然)。

ただ、リピーターにならないとか、素通りが多い(関西や福岡に泊まる)という課題があるようです。対策としては泊まることが目的になる宿泊施設を建てるとか、泊まらざるを得ないイベントをするとかだそうですが、イベントは一過性ですから、やはり宿泊施設の方が重要だし、原爆ドームと宮島以外の観光地が鍵ではないかと筆者は思います。リピーターの方はサッパリですが、今度ディズニーにでも聞いて見るかな・・・(つては全然ないんですが、その辺の情報を何となく漁ってみます)。

本からの広島ネタは以上ですが、何故HIROSIMAが欧米人に知名度があるかと言えば、まずやはり原爆投下が世界史的な事件なんでしょうね。そういう意味ではNGASAKIもいけるような気がします。だとしたら、戦略としては、原子力と安全をテーマに徹底した情報発信をするという手があると思います。といっても、核廃絶運動をただ強調すればいいとは筆者は思いません。原爆投下は非常な惨禍ですが、人命が失われたという意味では、他に同等以上の惨禍は幾らもあります。特筆すべきは、原爆が戦争で使われたケースが広島と長崎しかないということだと思います。当事者の複雑な感情は否定しませんが、戦後30年経って生まれた筆者には、その辺はもうお互い様のように思えており、被害を強調するかのような発想は一歩引いて見ています。ともあれ、多大な原爆によって被害を受けた広島も長崎も、他の被災地(日本全国空襲(空爆)はされている)と同様といったら後遺症に苦しんでいる方に失礼かもしれませんが(空襲による後遺症の方もあまり目立たないにせよいるでしょう)、とにかく原爆ドームのような象徴的施設を除いて、見事に復旧・復興したと言えると思います。どのような方が特に広島に関心があるか筆者は知りませんが、そうした歴史に関心がやはりあるんだろうと思います。

その上で何を+αしていくかですが、例えば、原爆の投下が広島・長崎だけとしても、原爆実験はかつて世界中であって、福島の事故で放出された放射能より、中国の核実験で放出された放射能の方が巨大であったという事実があります。砂漠だからといって(地上で)ドンドンやって、風にのって日本にも飛んできたんですよね。単純比較は出来ないにせよ、明らかに適当に地上核実験していた頃が一番ヤバかったでしょうし(それでも甚大な影響があったようには思えません)、福島事故は二度と起こしてはならない惨禍であり、帰還できない地域の方にしてみれば1960年代も何もない訳ですが、徒に害を恐れることは意味がないと思う訳です。

測定データで見る「過去の出来事」(日本の環境放射能と放射線)
1960年代の放射能汚染と今回の汚染との比較 米・ソ・中国が原発実験を繰り返していた頃 熊井章のホームページ)

こうしたことが理解できるのが、実は広島人だったりはしないんでしょうか。まぁお隣でテレビは見ていたにせよ、広島に住んだことのない筆者には分からない話ではあるんですが。「75年間不毛説」とは一体(1945 原爆と中国新聞 <6> 報道と再びの災禍 ヒロシマ平和メディアセンター 中国新聞)? ペンペン草も生えなかったはずの広島ですが、その面影は原爆ドーム以外に見ることは出来ません。

日本は太平洋の国ですが、太平洋の国が核実験の舞台になったという事実もありますし、その関連でも欧米で特に関心が高いとも言えるのかもしれません(英米仏がオセアニアで核実験しています)。

まぁ核不拡散の重要性は勿論ですし(核戦争が起きたら地球が滅びます。核テロの危険性は言うまでもありません)、そうした角度からのものの見方を否定はしませんし、北朝鮮始め現在の国際的潮流は核不拡散の重要性を示しているとも思いますし、筆者も全くの北朝鮮核武装するな派でありそういう言動もしてきたと思いますが(北朝鮮が核武装してくれた方が対抗して核武装できるのような考えは特にありません。何故なら北朝鮮に核武装をさせるような言動そのものが日米同盟の根幹を揺るがし、核武装を遠のかせるというファクターもあるからです。ただ核武装なしで北朝鮮はまだしも中国と対峙ってどうなんだという思いもあります。トランプ大統領を筆者が良いと思うのは、中国に対する安全保障上の積極性が見られるところです)(元々核武装派でその困難性に気付いて言わなくなった経緯があります)(拉致問題の解決も米国の戦略と対立し日本の国益を守りつつ行うことは不可能だと思います)、とにかく反戦非核というような考え方に共感するようには必ずしも育っておらず、原爆ドーム的なムードに共感はまぁ正直ないんですが、広島の立場としては概ねそうなんだろうなという理解はしつつあります。

いずれにせよ、核と安全に関して記憶はあっても現状で少なくとも被災地はないと言える広島だからこそ、核と安全を考える役割が果たせるのかもしれません。現在進行形の被災地ではちょっと。少なくともその象徴は存在し皆関心があることは間違いないんだろうと思います。

厳島神社に関して言えば、やはり特異なビジュアルでしょうね。鳥居というのが原初に何を参考にしたにせよ(多様な説があって筆者にはこれというものは見当たらないような気がします)していないにせよ、日本で独自に発展したことは間違いないと言えますし、中でも厳島神社の鳥居は特徴的です。どうも島自体が御神体だったから、島に建てるのが畏れ多いということのようです(厳島神社はなぜ海の上にあるの?宮島観光スポット「厳島神社」の歴史と雑学 LATTE TRAVEL)。大神神社も山が御神体の磐座祭祀ですが(一帯に最初期の前方後円墳が存在し、大和朝廷=日本国の発祥の地と言えると思います)、(言語学上日本人の一派であることが明らかな)沖縄の御嶽(うたき)も「腰当森(くさてぃむい)」、「拝み山」等と言われるようで、そもそも原初の日本人の信仰は自然崇拝のアニミズムだったように思えてならず、厳島神社の宮島が御神体という発想は原初の形態を残しているように思えます。だからこそ価値があると言えるし、特異な形態を生み出したんでしょうね。(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録された)宗像大社の沖ノ島も島全体が御神体で禁足地にもなっています。

ですから、厳島神社の観光を伸ばすというか価値を高めるひとつの方法としては、自然崇拝の視点を持つことが挙げられるかもしれませんし(そうしたことに関心が深い人が増えれば、他の神社等と共に厳島神社に訪れようとする人が増えるかもしれません)、神戸や博多や日宋貿易との絡みでも平清盛とか、愛媛の大三島神社に行って厳島神社の宝物館とか、 横山大観筆≪屈原≫と足立美術館(島根)とか、厳島神社であれば、ワールドクラス・全国区のポテンシャルって探せばいろいろありそうな気もする訳です。これからの観光は個人の嗜好にどうあわせていき、選ばれるかが重要になってくるのかもしれません。

他にも食なら牡蠣がありますよね。牡蠣好きの人は世界に多いとも考えられ、宿泊やリピーターを考える上で武器にもなるかもしれません。オイスターバーで検索すると、東京ばかりで地方のオイスターバーに目的地になるような店は少ないのかもしれませんが、せっかく地元が産地なんですから、広島ならでの郷土色等あったら面白いんじゃないかと思います。広島とレモン・塩で検索したら色々出てくる訳で、その他地元産の品を使えば、広島ならではのオイスターバーも有り得るんじゃないでしょうか。

西条の酒蔵も日本酒の地位が世界で確立したら、ワイナリーを訪れるワインツアーがあるように、インバウンドにおいても武器に成り得るのかもしれません。これでもうおつまみ選びに困らない!日本酒に合わせると相性抜群なおつまみを蔵元さんに聞いてみた!(KURAND)・・・チーズやアンチョビに合うなら海外需要も開拓できるのかもしれません。日本(広島)に来た時に、試してもらえれば次の可能性も?ただ、空輸だと大変そう。エジプトの米で日本酒つくって欧州で売るとか考えたけど、イスラム教国で酒は不味いか。どうもイタリア米でやってるみたいですね(イタリア米で造った日本酒をミラノ万博に参考出品。現地メディアの取材が数多く見込まれます。 ValuePress!)。クールジャパン戦略。

熊野筆で美容ツーリズムもありえるかと思いましたが、通常医療ツーリズムの一種で整形ツーリズムみたいですね。化粧品会社に対する観光旅行もないみたいですし、モノに対してマニアック過ぎるか。何かないかなとは思ってますが。

観光学に対する着目点

2018-12-29 13:20:26 | 日本地理観光
富士山冬3(フリー素材タウン)

観光学は全く触っていないのですが、個人的には主観的な意志・目的をベースとした分類に基づく分析が今の時代、重要なんじゃないかという気がしています。

例えば、食べるとか宿泊するとか行動別の分類や東京とか大阪とか地域別の分類ではなく(それも必要だと思いますが)、ディズニーランドに行きたいだとか温泉に行きたいだとか、最近はエコツーリズムやアグリツーリズム、インフラツーリズム、ジオツーリズムのようなものもあるかもしれませんが、何を見たいか何をしたいかという意志や目的を重視した分析が重要だと思う訳です。

その理由として、団体旅行から個人旅行の流れがあると思います。団体旅行だと団体割引でリーズナブルかもしれませんが、最大公約数的な観光になってしまうのが否めません。個人の趣向には違いがありますから、自分(達)なりのカスタマイズをするのが楽しい訳です。また少子化という構造要因を踏まえると、どこをどう考えても国内需要(マス)を狙った団体旅行は先細りにならざるを得ません。実際に団体旅行に依存してきた観光地は苦戦傾向にあると思います。

現代の基本的潮流に個人の趣向の細分化があります。日本も必ずしも例外だという訳ではありません。工場も多品種少量生産の傾向ですし、amazonのロングテールだとか、同人誌の興隆、コンビニなんかもスーパーで安いものをまとめがいのアンチ(利便性が高いのが魅力な訳です)と言えるかもしれませんし、ドンキホーテが栄えたりもします。

それはともかく、旅行業界でも個人旅行の傾向は顕著でそれはインバウンドにも言えることだと思います(インバウンドが団体旅行と無縁だとも言いませんが)。団体旅行の場合は個人の意志や目的はあまり関係ありません。これまでの業界は知ってか知らずか団体旅行向けにカスタマイズされている可能性があると思います。しかし、それはそれで良いとしても、それでは個人旅行(仲間内の少人数旅行)の潜在需要を捉えきれない可能性があるんじゃないでしょうか。個人や同じ趣味を持つ仲間の旅行に、特に興味がないものの入る余地はほぼありません。意志・目的が全てです。

温泉地を例にあげると、その温泉を目的に来たのか、(ビジネス等)何かのついでに温泉なのかで、随分様相は違ってくると考えられます。その温泉を目的に来た観光客が多ければ多いほど、強い温泉地だと分かると思います。いったん別目的の人を脇においておかないと、温泉地の正確な分析はできないはずです。強い温泉地を並べてみると、一定の傾向が伺えるかもしれません。その傾向を捉えて長所を伸ばしたり、短所をカバーすることを考える訳です。温泉地でのショッピングもついでなのか、ショッピング自体を楽しみにしてきたのかで違ってくると思います。宿泊所もその宿泊所を狙ってくるぐらいでないと価格競争の泥沼に突っ込んでしまうと考えられます。

地域・地方の立場でも、どの観光地が強いかは分かっているでしょうが、どの程度強くどの程度可能性があるのかに関しては、いったん旅行に関係ない人の流れを切って考えてみるべきなんだろうと思います。

まぁディズニーやUSJが強いに決まっているような気もしますし、あるいは免税店でのショッピングが強いような気もしますが、神社仏閣等文化施設も勿論人気はある訳で、そこに何故行くかということですよね。まぁ旅行自体が楽しみな可能性も多分にありそうですが、それを言っても始まらない訳です。

自動車博物館を最近調べていて、思ったより未整備な気がした訳です。地域の観光施設のひとつとしての博物館という位置づけから脱しきれてなく、全国どころか全世界対象に興味がある人を惹き付けるような博物館であれば、結果として地域にも貢献するのかなと。

後、インスタ映えというキーワードがありますが、だとしたら景観・写真映りが観光のひとつのキモとも言えると思います。元々観光という言葉は景色・風景・光景を観るという意味でしょう。だとしたら、ものになる景観とは何か、それを整えるためにはどうするかで、景観条例等を考えることができます(勿論コスト、費用対効果、防災等の視点もあわせて考えなければなりません)。

体験観光なら、どんな体験が何故受けるかです。遊園地なんかも一種の体験観光と言えるかもしれませんし、それは素直に五感に訴え楽しいんだろうと思います。

正確な分析で投資家が勝算を感じたならば、投資が進み経済が活性化するんだろうと思います。

祭りもいいんですが、産業としては一過性ですよね。どちらかと言えば地元の人のためにあるというか。宣伝効果や広告塔としては機能しそうですが、今の時代、それを核として地域を引っ張るまではいかないのかもしれません。

日本の象徴でもある富士山ですが、近頃では登らない観光も人気だとか(「登らない富士山」が実は玄人に人気!? 目指せ富士山マスター! YAMA HACK)。富士山観光に行って登らないのもどうかで登らないと楽しめないものも幾らもあるでしょうが、インスタ映え等を考え、美しい姿を楽しむという意味の観光であれば、登山を前提としない観光の整備もひとつの柱に成り得る訳です。具体的に各ボイントのアクセスを改善するとか。富士山百景写真コンテスト(富士山観光交流ビューロー)を見ると、様々な美しい景観のアピールはあると思いますが、例えば地図を見て、富士山の風景だけでなく神社等他の風景や食事・休憩も含めて、自分で取捨選択をすることのサポートをするベージなんかもあると良いと自分は思います。まぁ、モデルルートの提示も良いとは思いますが、個人旅行は自分での組み立てが醍醐味ではないでしょうか(ドライブ好きにはそういう人も多いとか)。また、個別の観光施設が各ページにあると、ちょっとどう巡るかを組み立てにくいですよね。富士山ぐらいの観光地であれば、それが出来ると思います。また、季節感があると最高ですよね。何なら高低差で山からみた景色もそこに富士山感があると、わりと面白いかもしれません。例えば、富士五湖を富士山から撮ったり、茶畑や新幹線が撮れたりしないだろうかということです。更にはフジヤマミュージアム(富士急ハイランド)は近現代の著名画家が描いた富士の絵画の数々を展示する美術館のようですが、写真とのコラボとかないんだろうかと思いますし、遊園地というより、自分で写真を撮りに行くのとセットで楽しめないんだろうかと思います。

他の切り口としては、富士登山(富士登山の魅力 やまなし観光推進機構)とか、富士五湖地域だったらテーマパーク観光とか(富士河口湖町の遊園地 ベスト5 トリップアドバイザー)もかなりの力があるでしょうし、世界遺産ということで、信仰・宗教面という切り口ももっとあっていいのかもしれません(富士山が世界遺産に選ばれたわけ 〜 信仰と芸術と構成資産 〜 世界遺産富士山とことんガイド)。これらを併せて強い富士山観光が形づくられているんだろうと思いますが、狙いが違うんで、一端分解して集合体として見ても良いと思いました。そしてこうした訴求力がある富士山観光に例えば山梨県や静岡県がそれぞれ地元物産を生かした食や宿泊・土産物を提供できると面白いみたいな(まぁ富士山の魅力を越えて有名レストランや有名ホテルや免税店のようにそれ自体が目的とは中々いかないかもしれませんが)。医療ツーリズムやジオツーリズムなんかも考えられるかもしれませんが、それはまた別にやることとします。

どうも現状ではこういったことが分かっているようで分かってない感じもあって、筆者はこうした考えをベースに本日は幾つか観光関連の記事を書くつもりです。

「来訪神:仮面・仮装の神々」(ユネスコ無形文化遺産登録)④(宮城)

2018-12-29 06:58:50 | 日本地理観光
写真の出典は下記文化庁報道発表より

米川の水かぶりは、宮城県登米市に伝承され、二月初午に行われる行事である。当地では、この日、藁簑わらみのや被かぶり物を付けた奇怪な姿の者たちが火伏せを願って沿道の家々に水を掛けながら、社寺等を参詣する(報道発表「「来訪神:仮面・仮装の神々」のユネスコ無形文化遺産登録に向けた再提案の決定」より 文化庁)。

初午(はつうま)(日本の行事・暦)

初午行事は本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていたようです。711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれており、稲荷信仰に関係する行事でしょう。ただし米川の水かぶりは火防を願う行事で参詣する社寺は秋葉大権現のようです。

興味深いことに稲荷信仰と秋葉神社には何らかの関連性があり、米川の水かぶりもその一形態と言えそうです。

オタクの聖地・秋葉原にお稲荷様が多い謎を紐解く。そこから見える歴史とは?(mizica)※(秋葉神社がある)秋葉原には稲荷神社が多いとか。
秋葉神社・三座稲荷(神社巡りジャパン)※埼玉県飯能市稲荷町
秋葉稲荷神社(神社人)※所在地:大分県別府市秋葉町1

東日本系で江戸時代に深い関係があるような気がしますが、別府市の一部は幕府領で、火男火売神社が存在しているのが注目されます。

お稲荷さんは元々五穀豊穣を願う農耕神のようですが、商売繁盛の神に変わっていったようです(お稲荷さんはどうして「五穀豊穣」から「商売繁盛」の神様に変わったのか 和じかん.com)。江戸時代は石高制でしたから、米=金でそのあたりが転機だったのかもしれません。

火伏せの神は火防の神ですが、江戸は度々大火に見舞われたことで知られます。火防の願いが強くなることも当然でしょう。元々は焼畑に関係ある山の信仰という指摘もあるようです。

いずれにせよ、どうもこの二つの結びつきは都市・町の信仰を示すと思います。

登米街道:築館~登米(宮城県の町並みと歴史建築)

秋葉原は江戸で、埼玉県飯能市は秩父街道、大分県別府は温泉場ですね(別府温泉のなぞと歴史 別府市 >江戸時代・元禄7年には、医学者貝原益軒が残した「豊国紀行」にも温泉場の賑わいが記述されています)。

旧暦で農作業の開始に関わる初午行事だということですが、稲荷神が五穀豊穣の神から商売繁盛の変わっていくに従って、火伏せの神と結びつき、原義が忘れられ、新暦に移行したとも考えられます。

平成30年「米川の水かぶり」(登米市)

>宮城県登米市東和町米川の五日町地区に古くから伝わる火伏行事で、毎年2月の初午に行われます。地区の男だけが水かぶりの姿になり行事に参加できます。
>男たちは、裸体の腰と肩に藁で作った「しめなわ」を巻き、「あたま」と「わっか」を頭から被り、足に草鞋を履き、顔に火の神様の印である竈の煤を塗ります。この水かぶり装束を身に着け、男たちは神様の使いに化身します。
水かぶりの一団は大慈寺の秋葉山大権現と諏訪森大慈寺跡に祈願した後、奇声を上げながら町に繰り出し家々の前に用意された水を屋根にかけ、町中の火伏せをします。人々は男達が身に付けた「しめなわ」の藁を抜き取り、自家の火伏せのお守りにします。

注連縄(しめなわ)は神の依り代。水かぶりは神の化身で来訪神行事だということだと思いますが、何故水かぶりというかは良く分かりません。水をかける行事のようにも見えますが、神道の水行と何らかの関係があるのでしょうか。

米川の水かぶり(米川里山だより)を参照すると、八幡神社、若草神社(江戸時代には稲荷大明神宮と称した)にも関係があるそうですが、これ以上の調査は止めておきます。さすがに宮城県登米市東和町のサイトだけあって、詳しいものがあると思います。

火伏せ行事ですが、山伏(やまぶし)との関連が見て取れると思います。伏せとは屈服させるのような意味もあって、折伏(しゃくぶく、しゃくふく)という言葉にも使われていますね。町を破滅させる火事を屈服させる願いをこめた行事が火伏せ行事ではないでしょうか。山伏(山伏とは? スピリチュアルコネクト)ですが、庶民は山を異界として恐れていたようですから、やはり山という異界を屈服させるために山伏は修行しているのではないかと思えます。怨霊を神として祀る御霊信仰もこうした考え方に通じるものがあると思います。恐ろしいものを祀るのはある種屈服させコントロールしたいからなのでしょう。

補給とアフガン(刀狩戦争の実現性は)

2018-12-23 13:36:05 | 外交安全保障
Himeji Oshiro Matsuri August09 075.jpg(ウィキメディアコモンズ)(死体リバイバー氏の投稿写真)

アフガニスタンから「米兵数千人引き上げる」 トランプ氏表明(BBCニュース 2018年12月21日)

シリア撤退は実現の方向性であり、公式発表ではなくタイトルは誤解を招きそうですが、アフガニスタンも撤退の可能性が示唆されています。シリアはさておきアフガニスタンは米本土を攻撃されて戦争が始まっており、今後どうなっていくか予断を許さないところがあると思います。

日本は全てを自国で防衛できる体制になく、日米同盟は日本を守る重要なひとつの柱ですが、日本も間接的な支援とは言え、日米同盟・国際協調に基づき、米国・国際社会・アフガニスタン政府を支援してきた実績があって、タリバンやテロ組織と対立する立場にあるのは事実です。そうした観点から、当初よりアフガニスタンの問題には関心がありますが、もっともベストの結論は我々の側が勝つことです。なおかつただ勝てば万歳という訳にもいかず、それに伴う犠牲があまり大きすぎると勝つ意味も無いとも言えます。

次善の策は撤退ですが、撤退したらアフガニスタンはタリバンの領域になるでしょうし、タリバンとの関係も問題ではありますが、タリバンがテロリストをどう扱うかといった難しい問題があると思います。元々米国はソ連のアフガニスタン侵攻絡みでムジャーヒディーンを支援してきました。

細かい事情を把握していませんが、9.11テロが発生して、犯人(アルカーイダ)引渡しをタリバン政権に要求したところ、証拠を引渡しの条件にされ、アメリカが拒否して戦争が始まったという経緯のようです。何故証拠を渡さなかったかと言えば、手の内がテロリストにバレることを警戒したと思えます。アメリカは同盟国(日本)に対しても結構証拠の開示をしぶる国です(例えば安倍首相はオバマ大統領にシリアの化学兵器使用の証拠を求めてスンナリはいかなかったようです)(これがあるいは特定秘密保護法に繋がった可能性があるかもしれません)。

アフガニスタン派兵の是非を今問うのは意味が無いように思いますし、いずれにせよ、戦争をやってしまっており、ノーサイドという訳には中々いかないかもしれませんし、米政権のメンツもあると思います(負けて撤退だとベトナム戦争みたいになりかねません)。

以上を踏まえ、個人的に思うところあって、どういう戦争でどうしたら勝てるのかとか、アフガニスタンにおける我々サイドの立場をどうしたら強化できるか等関心があります。アメリカから見てパキスタンが鍵のようで、トランプ大統領の今年初のツイートはパキスタンでした。

具体的な作戦としては刀狩戦争ができないかなと思っています。古来戦争して城に立て籠もられたら、略奪したり焼き払ったりして物資を窮乏させるのは常道でした。国土が広い国(ソ連・ロシアが代表格ですが)は焦土作戦が得意な印象もあります。物資に対する攻撃は(忘れられがちな)戦争の重要な一形態である訳です。

織田信長のあまり目立たない大きな戦争に紀州攻めがありますが、根来・雑賀の鉄砲を押さえることが重要だったように思えます(だからこそ(強いからこそ)苦戦する訳です)。堺・近江・紀州といった鉄砲の産地を押さえることで、織田政権は天下統一の道筋をつけ、戦国時代が終わりに向かったと思えます。

刀狩(ウィキペディア「刀狩」2018/12/23)は武士以外に武器の所有を禁じる日本の伝統的政策であるようです(アメリカとは真逆の発想だと思いますが、外国ならいいような気がしないでもありません)。武器がなければ歯向かうことも出来ませんし、武士同士の戦争が終われば、国内ファクターでは平和になることは日本の歴史的経験から明らかだと思います(外国に攻められても知りませんが)(現在鎌倉幕府の刀狩が嚆矢とされているようですが、元に攻められ、鎌倉幕府は倒れています)(江戸の太平の終焉も外国ファクターと無縁ではなかったように思います)。刀狩と言いますと刀をイメージしますが(武士の魂とも言える刀を狩るという言葉が武士の武装解除という誤解を生んでいるのかもしれませんが、武士以外の武装解除の政策のようです)、勿論鉄砲(火縄銃)や槍等も対象であり、刀こそ戦争ではあまり使われないのが常識だと思います(飛び道具や長物の方が安全有利ですが、刀は携帯しやすいので平和の時代に特に重宝されたと思えます)。いずれにせよ、武器を潰す発想を生かして戦争を有利にできないかというのがこの記事の趣旨です。

タリバンの補給はどうなっているのでしょうか?(Yahoo知恵袋)

戦争で重要なのは補給でしょう(筆者は挫折していますが、「補給戦」(マーチン・ファン クレフェルト 2006 中公文庫BIBLIO)という名著が知られます)。日本の戦後時代の知恵だと勝てる戦争でも、味方の犠牲を少なくするためにしばしば兵糧攻めを行います。アフガニスタンにおける戦争は対テロ戦争(軍民の区別がつきにくい)という性格を持ち、現状膠着状態で撤退も検討されています。結局、本腰を入れて戦争で片をつけるというのが結構難しいのだと思います。目標が民間に紛れて、占領地でテロを実行したりするからです。ただ、兵糧攻めと言っても、民間人を飢え死にさせる訳にもいきません。道義面での失敗や将来的な関係の悪化、失敗した時のリスクといった問題が大きいからです。ですから、狙いは金と武器を断つということになります。金は麻薬の取引のストップ。麻薬農家は食料でもつくればタリバンも自給でき民間人に被害が出るということもなさそうです。

武器は弾薬が止れば、鉄砲を持っていても意味がありません。ミサイルも輸入できなければ製造できないでしょう。製造工場があれば、戦車や空爆で破壊し、備蓄も同じく圧倒的戦力でブッ潰します(まぁ偽装を見破るのが難しいんでしょうが)。鉱山も押さえて、輸出入が止れば、理論上はタリバンはいずれ継戦できなくなります。継戦できないことが理解できれば、どんな戦士も通常降伏の方向に向かうと考えられます。弾薬にしたって、詳しくありませんが、硫黄と硝石がなければならないはずです。産地を押さえるなり、輸入を止めるなりしたら、タリバンマジックで創り出すという訳にはいきません(備蓄はありますが、戦闘行為で浪費させることもできます)。ミサイルだって、まさかタリバン支配地域で工場が稼動していることはないんだろうと思います。外国から買っているなら、売っている国・組織があり、黙認したり積極的に関与したりする周辺国が必ず存在します。アフガニスタンの主要周辺国は5カ国(印中がかすめます)。タリバン支配地域と接している国に限定すれば、更に対象を絞れるかもしれません。

外交努力が重要でしょうが、何処まで協力的になるか難しいところは確かにあります。ただ、明快なビジョンで具体的措置を実行していけば、ドンドン可能性を消していけるんだろうと思います。明快にテロを支援しているということが明らかになれば、大体その国は威信を失っていくとも考えられます(だから言い訳したり誤魔化したりする)。ですから、大きく目標をたて、小さい目標を達成していくことが重要なんだろうと考えられます。

タリバンが保有する戦車の状況等知りませんが、補給を止めてブッ壊してしまえば、自国で造るなんてことはできそうにもありません。占領すれば見つけ出すことが出来ますから、侵攻すれば隠す選択肢も無さそうです。対空ミサイルを潰せば、空爆し放題です。

タリバンの扱いは難しいというか筆者は考えていませんが、とにかく我々サイドの立場を強化することが決定的に重要だと考えられます。そのためにはまず力で追い込まなければなりません。時間を幾ら稼いでも、何らかの新しい計画をたてない限り、状況は中々好転しそうにもなく、その場合、先送りするかどう撤退するかということになるんだろうと思います(半端な撤退は状況を悪化させることになりかねず、先送りするなら徹底するべきだと思います)。その力というのが対テロ戦争ですから、間接的な戦争=兵糧攻め(金と武器を断つ)になるんじゃないかと思います。立場さえ強化できれば、アフガン政府軍が勢いづくとか周辺諸国・国際社会が協力的になるとか、状況が好転していくんだろうと思います。

後は統治の問題があって、アフガン政府がアフガン人を納得させられるかということになると思います。タリバン政府の方が良かったと思われてはなりません。これは、以前も南北ラインの開通で記事を書きましたが、国境を開いて経済が活発化させる方向性が周辺国の協力も得られますし望ましいんだろうと思います。中央アジアの発展はアメリカに敵対的なロシアの国益でもあるんですが、今は一年前に比べて状況はよくなっているようにも思います(中国の問題が台頭し、日露関係改善の兆しがあります)。中央アジアの資源の搬出路は重要で東西以外にも南北の販路・インド中東を考える必要があると思います。イランは当面どうしようもないかもしれませんが、アフガニスタンの友好国はパキスタンだけというのでは、あまりにシンドイ状況でアフガン人に展望を与えることはできそうにありません。

付記:パキスタン軍、侵攻しないかなという妄想。インドは押さえることできるでしょうし、イランもまさか隙をついて攻めたりはしないでしょう。正規軍がゲリラの類を蹴散らせば話は早いんですが。それはともかく、パキスタンが一番重要視しているのがインドとの対立なのは分かりやすいですが、我々がインドと敵対する訳にもいかないというのが難しいところで、どうパキスタンとの関係を強化していくかというのは今後の課題ではありますね。パキスタンと関係を強化したら、インドが怒り、インドと関係を強化したら、パキスタンが怒るというのではどうしようもありません。

※筆者の本日の関連ツイートをまとめて再編・補強した記事。

沖縄県の平均収入の性質

2018-12-21 21:11:13 | 経済財政
沖縄の平均年収は低いと言われますが、どの程度低いか。ワーストのデータと、低いものの最下位ではないデータがあります。

沖縄の平均年収はワースト1位!なぜここまで低いのか?(HOW MATCH)

>実は沖縄の平均年収は全国でもワースト1位となっており、これは何年も続いているのが現状です。
>平成25年度の沖縄の平均年収は333万円となっています。

都道府県別年収ランキング(年収ガイド)

>2017年に厚生労働省より発表された「賃金構造基本統計調査」をもとに各都道府県別の年収状況を集計しました。
>45位 沖縄県 366万1900円

先の沖縄県知事選では、沖縄の平均年収は全国最下位と聞いていたのですが、最近どうもそこまでではないらしいということに気付きました。4年間の差はあるものの、そう簡単に年収が30万上がるはずがなく、先の県知事選の時も断トツの最下位だという話だったので、違うデータがあるんだろうと思います。

その違いは何か。平均年収と聞いてイメージするのは、通常、平均の賃金だと思います。後者の賃金構造基本統計調査を元にしたデータが恐らく通常のイメージで、結局、沖縄の賃金が全国に比べて低いものの断トツワーストということはないということで良いのだと思います。これは最低賃金の表を見ても裏付けられます(地域別最低賃金の全国一覧 厚生労働省)。つまり、沖縄の平均年収を上げることは重要ではあるものの、全国で断トツで貧しいから何とかしないといけないという話は無く、全国的な大きな問題は存在していないということになります。

では、よく言われる全国断トツで低い平均年収とは何か?データはありませんが基地の島である沖縄の特殊性に鑑みて恐らく、軍用地の地代で生活している人が別に仕事を持っておらず、平均年収を大きく押し下げているんじゃないかと推測できます。

沖縄の政治でよく言われるのは、基地の島なのに貧しいです。データをもって言われるとそうなのかと思ってしまいます。筆者も何故だろうと思っていました。でもふと気付いてみると、地代収入がある人が働いていれば、基地の島ほど平均年収が高いはずです。地代収入という+αがあって何故貧しいのかという訳ですが、+αではなくそれだけで生活しているとすると、必ずしも働いている人より稼いでいるとは限らないことが分かります。よほど軍用地を持っている人は豊かでしょうが、働いていない小規模地主が多ければ、平均収入をグッと下げる危険性があるのではないでしょうか。

以上は推測ですが、全国の失業率ランキングで沖縄は断トツのワースト1位です(都道府県の完全失業率番付 - 都道府県・市区町村ランキング【日本・地域番付】)。

では生活保護が多いのかというと、多いは多いですが全国でワースト7位に過ぎません(人口1千人あたりの生活保護率ランキング 都道府県格付け研究所)。

沖縄の人も霞を食べて暮らす仙人ではないのですから、生活保護を貰わず働かないでも済む何かがあるんだろうということにならざるを得ません。

ちなみに沖縄の核家族率は地方であるにも関わらず意外に高めで(核家族率 [2015年第一位 東京都] 道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン] ver 1.0)、全国11位です。つまり、実家暮らしでカツカツの人がやたら多いから、生活保護も貰わず働かいてもおらずということではないんでしょう。

そういう訳で、どう考えても軍用地収入の人が、まぁ暮らせればいいだろうで平均年収を押し下げているというシナリオが怪しいということになってしまいます。基地反対の活動家も暇だなという感じはありましたが、よく言われる県外の活動家というのも勿論いるでしょうが、結構地元の軍用地収入の人なのかもしれません。

そうだとすると、収入あるから働かないと言っている人に働いてもらうことは出来ないということになります。つまり沖縄の断トツで全国一高い失業率は、個人の生き方の問題が多く含まれ、国が特別扱いでケアする問題では実はないということになるんだろうと思います。

貧しい、貧しくないを議論する時、賃金を基準にした平均年収と生活保護率(仕事がなくて暮らしていけない人)を見るべきで、不労所得の問題は本人の意志の問題ですから、少なくとも政治の課題にはならなそうです。完全失業率は求職活動中の人だけのはずで家事手伝い等入らないはずなんですが、沖縄の事情は詳しくないものの、例えば不労所得の人がハードルを高くして(公務員の空き待ち等)何となく求職活動しているという実態がないか、あるいは形だけ求職中ということにしていないか、疑ってしまうところがあります。いずれにせよ、完全失業者=収入がないという図式は必ずしも成り立たず、不労所得で暮らす「完全失業者」が意外にも結構いるんじゃないかと推測できます。

不労所得と言えば聞こえが悪いですが、駐車場や賃貸の委託経営、要は副業も一種の不労所得と言えるんだろうと思います。会社の同僚もそうした資産を持っている人は+αの収入があって、自分より年収が高い可能性もある訳です(東京でそういう話を聞いたこともあります)。最近正社員の副業解禁の動きがありましたが(解禁はもう目の前!副業で不労所得を得る方法とは? DAILY ANDS)、Wワークはともかく、不労所得型は仕事にほぼ影響しませんし、禁止する方がおかしかったのかもしれません。

軍用地収入も株や駐車場・賃貸等と同じく副業扱いで働く人が多くなれば、必ず平均年収は上がってくるはずです。そうせず地主として暮らす人は救済すべき失業者とは言えないんじゃないかと思いますが、如何でしょうか。

軍用地返還ですが、補償のメニューの中に再開発後の優先雇用枠等あったら、地代+賃金で収入は寧ろ増えるんじゃないかと思うんですよね。元々基地で働いていたなら、収入が増えはしないでしょうが、応じられない話でもなくなるんだろうと思います。

「来訪神:仮面・仮装の神々」(ユネスコ無形文化遺産登録)③(佐賀)

2018-12-20 22:58:53 | 日本地理観光
見島のカセドリ行事(地域文化資産ポータル)

起源は定かでないそうですが、古老の話によれば、鍋島候が蓮池に城を築きその城主になって以来、およそ350年続いていると言われているとのこと。

見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)は小正月行事ですが、カセドリとは神から使わされた雌雄のつがいのニワトリなのだとか(星野紘・芳賀日出男監修 『日本の祭り文化事典』 東京書籍、2006年、758-759頁 ウィキペディア「見島のカセドリ」2018/12/20からの孫引き)。

カセドリの語源ですが、稼ぎ鳥で卵を産むニワトリという説が妥当なんだろうと思います。ニワトリ(ウィキペディア 2018/12/20)を参照しましたが、江戸時代に採卵用としてニワトリが飼われるようになったそうで、時期は一致するんじゃないかと思います。また、佐賀藩の『諫早家日記』貞享4年(1687年)には長崎へ送られるニワトリについて記され、その食べ方は水炊きと考えられている「水煮」と記されているのだそうです。

弥生時代にニワトリの骨は出土するようですが、食用ではなく、鳴き声で朝の到来を告げる「時告げ鳥」としての利用だったようです。また、日本書紀や古事記に記される天岩戸伝説において、常世長鳴鶏を集めて鳴かせたという記述があり、時を告げる鳥として神聖視されたようです。ニワトリの名前ですが、古名では鳴き声から来たカケなのだそうです。カケ鳥と稼ぎ鳥をかけたのがカセドリなのかもしれません。見島のカセドリ行事は小正月行事であり(小正月行事に関しては拙稿「「来訪神:仮面・仮装の神々」(ユネスコ無形文化遺産登録)②(東北・北陸)」参照。中国式の太陰暦が導入される以前、一月の満月(望)が正月だったようです)、カセドリがニワトリだとすると、時告げ鳥だから年の始まりの来訪神だったのかもしれません。

その後も日本は仏教国となりやはり食用になることはなかったようです。戦国時代にはキリスト教徒のポルトガル人が西日本へ来航し、カステラやボーロ、鶏卵素麺など鶏卵を用いた南蛮菓子をもたらしたとのこと。南蛮菓子は珍重されたでしょうし、九州は言うまでも無く南蛮文化が入った最前線でした。

以上ですが、江戸時代に卵が珍重されるようにもなって、尚更有難みが増したニワトリ=カセドリが時告げ鳥として正月の来訪神になったということなのかもしれません。