小学生の高学年の頃、近くの川で魚捕りに興じていた。
専ら、ウグイと鰍(カジカ)でウグイは「ハヤ」とか「クキ」と呼んでいた。
主に石と石との隙間に右手を突っ込んで手づかみする漁法だった。
「アナドリ」と呼んでいた。
たまに片手にたくさんのウグイの身をよじる感触を受け、「いた!」という
感激と興奮で全て逃がしてしまうという失態も犯したりした。
「いたっ!」と思った瞬間の焦りとウグイの表面を覆う粘液のせいで、簡単に
手を潜り抜けていくのであった。
一度30センチを超えるウグイを両手でモノにしたことがある。感激で体がブルブル震えた記憶がある。
母は自慢げに差し出したその魚を塩焼きにして食わしてくれたっけ。
カジカは(今は禁止になっているかもしれないが)ヤスという銛のような道具で
直接カジカの体を刺して捕らえた。
(ちょっと残酷かな~?)
水中メガネでとてつもなく大きなカジカを見つけたときは、興奮でわくわくどっきどきした。私の地方では大きなカジカを馬鹿カジカと呼んでいたが、秋田県では「ババカジカ」と呼ぶらしい。
そして見事にヒットして川辺の葦の葉にさして持ち帰るのだった。
室生犀星は自らの醜さを地元金沢で捕れる「ゴリ」に喩えたが、カジカも頭が異常に大きく扁平で滑稽な姿かたちをしている。
けれど味は天下一品で私は唐揚げにして食べるのが好きであった。
干したカジカを焼いて食べるのも美味である。
今、私の実家の前の川にはカジカの姿が消えてしまった。
嘗ては「スナヤツメ」や「アカザ」や「銀ブナ」なども捕まえることが出来た。
私の父の代には、マスが上ってきたし、モクズガニも棲息していたらしい。
今では、放流したヤマメとウグイのみが棲む川になってしまった。
思い出にのみ多くの種類の魚が泳いでいく。
高いしぶきをあげて魚の銀鱗が陽光にきらめくのだ。
専ら、ウグイと鰍(カジカ)でウグイは「ハヤ」とか「クキ」と呼んでいた。
主に石と石との隙間に右手を突っ込んで手づかみする漁法だった。
「アナドリ」と呼んでいた。
たまに片手にたくさんのウグイの身をよじる感触を受け、「いた!」という
感激と興奮で全て逃がしてしまうという失態も犯したりした。
「いたっ!」と思った瞬間の焦りとウグイの表面を覆う粘液のせいで、簡単に
手を潜り抜けていくのであった。
一度30センチを超えるウグイを両手でモノにしたことがある。感激で体がブルブル震えた記憶がある。
母は自慢げに差し出したその魚を塩焼きにして食わしてくれたっけ。
カジカは(今は禁止になっているかもしれないが)ヤスという銛のような道具で
直接カジカの体を刺して捕らえた。
(ちょっと残酷かな~?)
水中メガネでとてつもなく大きなカジカを見つけたときは、興奮でわくわくどっきどきした。私の地方では大きなカジカを馬鹿カジカと呼んでいたが、秋田県では「ババカジカ」と呼ぶらしい。
そして見事にヒットして川辺の葦の葉にさして持ち帰るのだった。
室生犀星は自らの醜さを地元金沢で捕れる「ゴリ」に喩えたが、カジカも頭が異常に大きく扁平で滑稽な姿かたちをしている。
けれど味は天下一品で私は唐揚げにして食べるのが好きであった。
干したカジカを焼いて食べるのも美味である。
今、私の実家の前の川にはカジカの姿が消えてしまった。
嘗ては「スナヤツメ」や「アカザ」や「銀ブナ」なども捕まえることが出来た。
私の父の代には、マスが上ってきたし、モクズガニも棲息していたらしい。
今では、放流したヤマメとウグイのみが棲む川になってしまった。
思い出にのみ多くの種類の魚が泳いでいく。
高いしぶきをあげて魚の銀鱗が陽光にきらめくのだ。