“本当に不機嫌ですもんね皆。あの、条件が整って、生活の条件が整えば整うほど人間というのはどっか不機嫌になっていく不思議さですね。で、歌が一番大事なのは、こんな不幸な目にあって悲しいっていうことではなくって、不幸のちょっと手前のね、切ない部分がどう書けるかということが、僕は一番大切なことだと思ってるんですよ。”
作詞家、阿久悠の在りし日のコメントです。
彼は、1974年から1975年にかけて、作詞に半ば興味を失い、いつやめようかという気持ちになっていました。
不調とかスランプということでなく、職業的鬱病というか、何を書いてもあまり興奮しなくなり、それが売れてもうれしくない時期があったそうなのです。
表面的にはヒットが連発し、何の不足もない状態でしたが、なにか流れの中でヒットを生んでいる気分が強く、思いがけないもので鮮度を感じるとか、新しい分野を開拓するというものがなかったと言います。
その鬱病時期を払拭させたのが岩崎宏美の二作目のヒット曲「ロマンス」でした。
「ロマンス」は阿久氏に言わせると、
「成熟を感じさせる、清潔な声音でありながら色気を含ませた歌になった」
そんなヒット曲だそうです。
阿久氏にとっての「ロマンス効果」が生まれた瞬間でした。