真田幸綱嫡男であり
信繁にとっては伯父にあたる人物
真田信綱
その信綱の菩提を弔うために
建てられたのが「信綱寺」(しんこうじ)
細いながらも山門が立派です
墓所は寺院裏手奥の高台にありました
まるで要塞のような細く急な道でした
中央に信綱公、左に信綱夫人
右に昌輝公が並んでいました

信綱・昌輝兄弟は設楽が原の戦いで
討ち死にしました
もし討ち死にしなかったら
武田が滅んだとしても真田は
信綱を中心に動いたことでしょう
信繁の父は武藤昌幸として
真田を支える有能な家臣として
人生を終えたことでしょう
そして日の本一の兵として
講談の主役となる幸村は誕生しなかったでしょう
ここはそんな歴史のもしもを
考えさせる場所です
ちなみに先ほど訪れた
真田本城跡から
信綱寺の方向を撮影したのがこちら

画面中央の小山の山麓部にあります
ここからは見えませんが。
信繁にとっては伯父にあたる人物
真田信綱
その信綱の菩提を弔うために
建てられたのが「信綱寺」(しんこうじ)
細いながらも山門が立派です
墓所は寺院裏手奥の高台にありました
まるで要塞のような細く急な道でした
中央に信綱公、左に信綱夫人
右に昌輝公が並んでいました

信綱・昌輝兄弟は設楽が原の戦いで
討ち死にしました
もし討ち死にしなかったら
武田が滅んだとしても真田は
信綱を中心に動いたことでしょう
信繁の父は武藤昌幸として
真田を支える有能な家臣として
人生を終えたことでしょう
そして日の本一の兵として
講談の主役となる幸村は誕生しなかったでしょう
ここはそんな歴史のもしもを
考えさせる場所です
ちなみに先ほど訪れた
真田本城跡から
信綱寺の方向を撮影したのがこちら

画面中央の小山の山麓部にあります
ここからは見えませんが。