頭をコツンとこづかれた。赤松啓介の「夜這いの民族学」。常識がクルンとひっくり返って気持ちいい。
日本の農村や都市部の商家には戦後に至るまで夜這いの風習が残っていた。それは個人的なものではなく、むしろ村や町のならわしであった。地域の儀式として、例えば年上の女性が少年に性行為を教えることで成年を作り、共同作業の労働力や他の地域との戦闘力を担保してきた。子供も「地域の子供」としての認識であったから、違う男の子種であろうが、わけ隔てなく育てていた。
簡単に、とても、かいつまんで言えばそういう中味の本である。
その昔「菊と刀」などで展開された日本人論。それは「日本人は何よりも恥を重んずる」と言うものだった。うむ。よしよし。どことなく納得できるし、褒められた気分にもなる。
かくなるうえは、腹かっさばいて…。勇ましくてかっこいいぞ、三船敏郎っ!
だがちょっと待て。「七人の侍」に出てくる農民の、ひ弱さ、愚かさ。あれはなんだ。おのれが生き残るためなら恥なんぞは屁でもない、あれが本来の人間ではないのか。俺んちの両親も百姓の出身だ。
考えてみれば、「恥の文化」の代表である武士は農民や商人より人口で言えばはるかに少数で、「これが日本人です」みたいに語られると、「なんだかな~」とも言いたくなる。
長い日本の歴史の中で「恥の文化」とか「道徳」が身体の中心にあるかもしれないのは、戦国時代から江戸時代にかけての武士と、そいつらの子孫が起こした大戦下の国民とその孫くらいまでだけではないのだろうか。しかも後者は無理やり押しつけられたのだが…。
つまりね。電車の中で化粧したり携帯かけたり、ジーパンおろしてパンツだして歩いたり、株やって儲けたのを自慢げに語る大人がいたり、セックスが低年齢化したり。
実はそれが本来の俺たち。日本人じゃねえの?
俺たちの世代が突然変異じゃねぇの。
そう考えると、納得できちゃうんだよね。
ぜんぶ。
日本の農村や都市部の商家には戦後に至るまで夜這いの風習が残っていた。それは個人的なものではなく、むしろ村や町のならわしであった。地域の儀式として、例えば年上の女性が少年に性行為を教えることで成年を作り、共同作業の労働力や他の地域との戦闘力を担保してきた。子供も「地域の子供」としての認識であったから、違う男の子種であろうが、わけ隔てなく育てていた。
簡単に、とても、かいつまんで言えばそういう中味の本である。
その昔「菊と刀」などで展開された日本人論。それは「日本人は何よりも恥を重んずる」と言うものだった。うむ。よしよし。どことなく納得できるし、褒められた気分にもなる。
かくなるうえは、腹かっさばいて…。勇ましくてかっこいいぞ、三船敏郎っ!
だがちょっと待て。「七人の侍」に出てくる農民の、ひ弱さ、愚かさ。あれはなんだ。おのれが生き残るためなら恥なんぞは屁でもない、あれが本来の人間ではないのか。俺んちの両親も百姓の出身だ。
考えてみれば、「恥の文化」の代表である武士は農民や商人より人口で言えばはるかに少数で、「これが日本人です」みたいに語られると、「なんだかな~」とも言いたくなる。
長い日本の歴史の中で「恥の文化」とか「道徳」が身体の中心にあるかもしれないのは、戦国時代から江戸時代にかけての武士と、そいつらの子孫が起こした大戦下の国民とその孫くらいまでだけではないのだろうか。しかも後者は無理やり押しつけられたのだが…。
つまりね。電車の中で化粧したり携帯かけたり、ジーパンおろしてパンツだして歩いたり、株やって儲けたのを自慢げに語る大人がいたり、セックスが低年齢化したり。
実はそれが本来の俺たち。日本人じゃねえの?
俺たちの世代が突然変異じゃねぇの。
そう考えると、納得できちゃうんだよね。
ぜんぶ。
それが本来の姿だとも日本人だとも思いません。
武士か百姓かとかで道徳が変わるとも思いません。
そう思う私が異端なのでしょうか…。
解釈の違いもありますから、
異端なのは、むしろ俺の感じ方だと思います。
勢いで書いてしまってとても後悔しました。
研さんの大人な対応にほっとしました…。
ありがとうございます。
「君に出会えたこと」が大好きです。
恐竜に描けなかったものを「夢」と呼ぶように、
人間には本性や性の他にも大事な何かがあるように思うのです。