震災と戦争。 2022-03-11 11:50:13 | 人間は考える葦である 3月11日、東京は快晴。 池のほとり、語らう母娘の背中が温かい。 神の仕業がたくさんの尊い命を奪ってから11年。 テレビに映った故郷の惨状を忘れることはない。 自然の力の前では我々は無力に近いと知った。 今、似たような映像が遠い国から届いてくる。 神でも自然でもない力が街を破壊し命を奪っている。 侵略者を食い止めるために力を尽くすこと、 それはあの日召された魂への精いっぱいの供養にもなるのだと思う。 合掌。 « めでたくもありめでたくもなし。 | トップ | 歌という旅。 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (ヤスコ) 2022-03-16 22:10:02 もう11年なのですねあの不安な日々、思い出すだけで未だに胃を掴まれたかの様な感覚に陥ることがありますいま遠い国ではもっともっと悲しい目に遭っている人たちがいると思うといたたまれない気持ちになりますね… 返信する コメントを読ませてもらっていたら、 (ken-t) 2022-03-17 03:27:57 また地震でした。我が家の食器棚のガラス戸は、あの震災で割れてしまって、そのまま扉ごとありません。それを見るたび、記憶がよみがえります。本当に大きな揺れでした。おそらくあれ以上の恐怖と毎日戦っている国の人たち。心からの祈りを送って、せめて物価の上昇などにも我慢して、サポートしてゆきたいものです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
あの不安な日々、
思い出すだけで未だに
胃を掴まれたかの様な感覚に
陥ることがあります
いま遠い国では
もっともっと悲しい目に遭っている
人たちがいると思うと
いたたまれない気持ちになりますね…
我が家の食器棚のガラス戸は、
あの震災で割れてしまって、
そのまま扉ごとありません。
それを見るたび、
記憶がよみがえります。
本当に大きな揺れでした。
おそらくあれ以上の恐怖と毎日戦っている国の人たち。
心からの祈りを送って、
せめて物価の上昇などにも我慢して、
サポートしてゆきたいものです。