きのきのTimeees!

スポーツ・音楽・趣味の旅行ネタなど自己満足的に更新してます、少し頭の隅に覚えて頂ければ幸いです。わくのい通信から改名!

栃木平成高校野球史 第28回  県立栃木農業高校

2020-10-14 19:16:58 | 平成栃木野球史

明治に下都賀郡立栃木農学校として開校。

大正に栃木県立となり現在に至るまで農業高校を名乗っている。

県内の農業高校は相次いで校名変更したため、農業高校を名乗るのは栃木農だけとなっている。

 

平成成績   12勝31敗  .279  63校中51位

通算成績   37勝71敗  .343  63校中44位

平成最高成績  大会2勝(H14、H16)

ライバル校!  小山北櫻

同じ県南の農業系の高校。小山北櫻とはなぜか対戦が多い。

小山園芸高校時代は対戦がなかったが平成に入り4回対戦。

2勝2敗の五分となっている。

 

型にはまれば善戦を見せる。H14矢板中央戦、H21佐野日大戦は1点差での惜敗だった。

ベスト8入りは、S26とS55と2回ある。

最後の農業高校として、ユニフォームも「Agriclture」の文字に一新。

栃木市内の高校と切磋琢磨しもう一花咲かせたいところだ。

 


平成栃木高校野球史  第27回 栃木県立喜連川高校(閉校)

2020-10-13 18:51:37 | 平成栃木野球史

昭和21年に農学校として開校した喜連川高校。昭和26年に県立になりましたが参加は昭和24年からでした。

旧喜連川町が旧氏家町と合併しさくら市となり高校も、氏家高校と統合する形で喜連川高校は閉校。

氏家高校はさくら清修高校となりました。

平成で幕を閉じた喜連川高校の球史を見ていきたいと思います。

 

平成成績   3勝18敗 .143

通算成績   17勝58敗 .227

平成最高成績  初戦突破(H10、H13、H15)

ライバル校!  馬頭高校

地理的にも隣町に位置する馬頭高校。実力的にも似通っていた。

昭和42年は、3-0で完封勝利。チームはその後初のベスト8入り。

平成15年は、コールド勝ち。これが学校最後の勝利となった。

2年後の対戦は、3-4と惜敗。通算2勝1敗だった。

 

平成に入ってからは、慢性的な部員不足で10連敗を喫していたが

那須、粟野、馬頭と似たような状況の高校に勝利するのがやっとだった。

那須と馬頭は連合チームを組み粟野は閉校となっている。

昭和では、大会2勝以上は3回記録。ベスト8が一度だけだった。

 

 

 


平成栃木高校野球史  第26回  県立茂木高校

2020-10-12 16:40:31 | 平成栃木野球史

大正11年に町立茂木実業として開校。

昭和に入り今となっては珍しい組合立茂木公民実業校となり

昭和15年に栃木県立茂木農学校に。昭和23年からは、普通科が置かれ茂木高校となった。

現校名となってから参加している茂木高校の平成の戦いぶりを振り返ります。

 

平成成績   30勝31敗  .492  63校中26位

通算成績   50勝71敗  .413  63校中35位

平成最高成績  ベスト4(H28)

ライバル校!  国学院栃木

昭和での初対戦時は、5-4と勝利したが

平成では、ことごとく上位進出を阻まれている。

学校初のベスト4に入り決勝進出を狙ったがそこでも国栃の壁が立ちはだかった。

翌年は初戦で対戦。リベンジの好機だったが1-2と惜敗してる。

 

平成に入りかつて栃木南を甲子園に導いた小林監督が就任。

成績は一気に上向き隣県の茨城からも生徒が入ってくるようになった。

平成20年からは、9年連続で初戦突破。平成28年に学校初のベスト4入りを果たした。

昭和34年から37年にかけても3回ベスト8入りがあったが

平成は、9年連続初戦突破の間に3回のベスト8入り。二度目の黄金期とも言える。

小林監督が離任しこれから正念場を迎える。

 

 


平成栃木高校野球史  第25回  足尾高校(閉校)

2020-10-11 16:24:50 | 平成栃木野球史

戦後に足尾町立足尾高校として開校。

すぐさま県立となった。銅山の街として栄え人口は一時栃木県内で宇都宮市に次ぐ人口を抱えていたが

銅山が廃坑となり人口は急減。

足尾町は日光市と吸収され、足尾高校も日光高校に吸収される形となった。

すでに廃校となってしまった足尾高校の戦いぶりを振り返ります。

 

平成成績   0勝11敗  .000

通算成績   8勝41敗  .163

ライバル校!  足利高校

平成に対戦はなかったが、唯一2勝しているのが足利高校。

S39とS45いずれも完封勝利。ちなみに地域柄足利は同県でありながら群馬を抜けていった方が早く到着できる。

 

平成の時点ですでに部員不足が慢性化。他部の助っ人を借りて出場するのがやっとという状態だった。

S63に矢板中央に勝利したのが最後。その前は14連敗、その後は11連敗で閉校となった。

学校の最高成績はS45に2勝してベスト8に入ったのが最高だった。

 

 

 

 


平成栃木高校野球史 第24回  県立真岡北陵高校

2020-10-10 16:09:43 | 平成栃木野球史

創立は古く、明治時代に芳賀郡立農林学校として開校。

大正時代に真岡農業となってからは長きにわたって親しまれてきたが

平成7年に真岡北陵高校と校名変更の大転換。現在に至っております。

 

平成成績  11勝31敗  .262  63校中54位

通算成績  22勝73敗  .232  63校中56位

平成最高成績  大会2勝(H16)

ライバル校!  真岡高校

同じ真岡市内の対決は平成に入って2回実現。

初対戦となった平成3年は、真岡農の時代に対戦。コールド負けを喫したが

校名が変わった平成14年は、5-4と勝利。

対戦成績は1勝1敗。

 

最高成績は昭和25年のベスト8。とは言えこの頃は参加校数が少なく2勝してのベスト8だったため

3勝以上したことがない。平成に真岡北陵と改称してからはすでに10勝しており

以前ほどのひ弱な印象はない。毎年部員は少ないが継続は力なり。

開校以来初の3勝目を目指す。

 


平成栃木高校野球史  第23回 栃木県立那須拓陽高校

2020-10-09 21:24:08 | 平成栃木野球史

県央、県南方面の高校が中心だった高校野球において県北は、大田原、烏山、矢板くらいしかなかったが

現在の那須塩原市域の高校で那須農業として初の出場を果たす。

昭和63年に那須農から那須拓陽と校名変更。

平成は、ずっと那須拓陽高校として戦った。

 

平成成績   16勝31敗  .340  63校中43位

通算成績   35勝73敗  .324  63校中47位

平成最高成績  ベスト8(H14)

ライバル校!  足利工業

昭和の頃から対戦が多く、古豪足利工の引き立て役となっていた。

平成14年の躍進時には初戦で勝ち4回戦でも作新を破る金星を挙げた。

H19,H22の対戦では敗れ1勝2敗。

昭和は1勝6敗で通算2勝8敗。昭和で勝利した時は学校の歴史唯一のベスト4進出。

不思議と足利工に勝つと上位進出している。

 

 

勝つときは、あっさりコールドで勝つが自滅して敗れるパターンも多々ある。

自分のペースに持ち込めればといったところか。

1点差ゲームに弱く7連敗中。このあたりを克服していきたいところ。

 

 


栃木平成高校野球史 第22回  私立青藍泰斗(せいらんたいと)高校

2020-10-07 20:58:20 | 平成栃木野球史

明治に旧葛生町内に葛生中学館として創立。

大正の葛生農商、葛生商業を経て昭和23年に葛生高校として高校野球に初参加。

葛生町(くずう)が佐野市となったことから校名も青藍泰斗高校と変更し現在に至っています。

平成2年に学校唯一の甲子園出場を果たしています。

 

平成成績  101勝30敗  .771  63校中4位

通算成績  127勝53敗  .706  63校中5位

平成最高成績  優勝(H2)

ライバル校!  文星芸大付

これだけの高勝率を誇るが文星にはなぜかなかなか勝てない。

昭和63年に初対戦これがコールド負け。

平成3年と12年は決勝で敗れ平成は4連敗。

通算で5連敗となっている。鬼門の文星戦でもう少し勝てていれば甲子園にももう少し出られたかもしれない。

 

 

平成2年に初の決勝進出を果たすと、そのまま初優勝。時代が来るかと思われたが

甲子園で初勝利まであと1人というところからの逆転負け。ここから勝負弱さの歴史が始まってしまった。

平成はその後6回決勝進出するもいずれも敗退し準優勝。

特に平成25年の作新戦は甲子園まであと一人としながらも宇賀神監督が悪夢がよぎってしまったのか

伝令を出してしまい選手が動揺。まさかの逆転負けを喫した。監督が膝を叩いて悔し泣きしていたのが印象的だった。

実力はあるので精神面の鍛錬がテーマ。現在は、宇賀神監督の息子さんが引き継いで指揮をとるが

令和で勝負弱さを返上したい。


栃木平成高校野球史  第21回 県立佐野松桜高校

2020-10-06 20:21:40 | 平成栃木野球史

大正時代に佐野町立佐野商業として創立。

昭和18年に一旦佐野工業となるも昭和21年に佐野市立佐野商業に戻りここで2年参加。

さらに佐野実業と名前を変え1年だけ参加。

佐野高校と統合になったためしばらく参加していなかったが

昭和49年に再度佐野商業として独立したため復活。

平成に入り佐野松陽高校として校名変更。

平成23年には田沼高校との統合に伴い佐野松桜高校となった。

栃木県内では最多の4つの校名で参加している高校です。

 

平成成績  22勝31敗  .415  63校中34位

通算成績  38勝49敗1分  432  63校中32位

平成最高成績  大会3勝(H3)

ライバル校!  作新学院

昭和の時代からことごとく上位進出を阻まれている。

それなりに勝っていた平成前期において3回にわたってベスト8入りを阻まれた。

平成は4連敗。昭和から通算すると8連敗と一度も勝てていない。

 

 

ベスト8入りしたのは昭和に一度だけこれが学校の最高成績となっている。

そこそこ勝ってはいるが、私立に弱いのが上位進出できない原因か。

平成は一度も勝てず。奇をてらった采配でジャイキリを起こしたいところだ。

 


平成栃木高校野球史  第20回  県立今市高校

2020-10-05 22:01:03 | 平成栃木野球史

大正創立の今市高校。現在まで名称変わることなく令和の時代に入りました。

日光市が広域合併する前は今市市の所属でした。

現在は、鬼怒川方面や旧日光市内の学生が集まる日光市の中心的な高校となっています。

 

平成成績  12勝31敗  .279  63校中51位

通算成績  31勝73敗  .298  63校中52位

平成最高成績  大会2勝(H1)

ライバル校!  真岡北陵

平成では2度対戦。H16は敗れたがH19は、延長戦に入る壮絶な打ち合いを11-10で制した。

昭和では一度だけ対戦がありコールド負け。

通算1勝2敗。

 

コンスタントに勝ってはいるが大会2勝が平成元年を最後にないのでなかなか白星が伸びていない。

ホッケー部は全国レベル。立地上部員不足になることは当面なさそうなのでまずは久々の大会2勝を目指したい。野球が得意な子は鹿沼方面や宇都宮方面に流れてしまっているので受け皿になりたいところ。

 


平成栃木高校野球史  第19回  県立矢板高校

2020-10-04 21:40:57 | 平成栃木野球史

創立は古く明治時代。塩谷郡立農林学校として開校。郡立高校と今はない形態の高校だった。

戦後まもなくは矢板農学校だったが、昭和23年から実業系の高校ながら矢板高校とシンプルな校名となり

現在に至っている。

 

平成成績  8勝31敗  .205  63校中57位

通算成績  30勝75敗 .286  63校中54位

平成最高成績  ベスト8(H12)

ライバル校!  宇都宮北

平成2年と平成10年の対戦ではいずれもコールド負けだったが

躍進した平成12年は、3回戦で4-2と勝利したことで波に乗りベスト8進出を果たした。

 

昭和を含めると昭和25年にベスト4に入ったのが最高。

ベスト8だと平成のを含め4回ある。

昭和後半から平成前半にかけて24連敗を喫していた時期があり成績は奮わないが

現在は、そこまでは弱くない印象。立地上生徒数も減少しているので

部員数の減少も心配の種となりそうだが現状では単独参戦できている。

 

 


平成栃木高校野球史 第18回 県立足利清風高校

2020-10-03 21:37:34 | 平成栃木野球史

ルーツは、足利実業高校。足利高校や足利工業の創立よりも遅れて開校。

足利市立実業高校からすぐに足利商工と名称変更。

戦後に3回だけ足利商工として参加。一旦足利高校と統合になりましたが昭和38年に

商業科が独立した形で足利商業となりました。高校野球に再度参戦したのは昭和42年から。

平成では、女子高だった足利西高校と統合し足利清風高校と名称を変更しています。

 

平成成績  11勝31敗 .262  63校中54位

通算成績  23勝57敗 .288  63校中53位

平成最高成績  大会2勝(H29)

ライバル校!  烏山高校

H3とH4に連続して対戦。H3は初戦でH4は2戦目で対戦もいずれも敗北。

校名変わってH29は、2回戦で対戦。7-2で快勝し昭和56年以来の大会2勝目を挙げた。

昭和では一度だけ対戦し勝利しているので通算は、2勝2敗。

 

3回しか参戦経験のない足利商工時代は上位進出したが

足利商として復活してからは苦戦の連続。昭和から平成にかけて参戦も2勝したのが最高。

足利商時代は2度の7連敗があったが足利清風となってからは成績は上向き。

3年連続初戦突破と学校新記録となっている。来年は新記録更新の4年連続に期待がかかる。