わたしたちは、
子どもが誰も分けられないようにと願った。
家族と分けられないように。
兄妹と分けられないように。
同じ年ごろの友だちから分けられないように。
保育園や学校や、子どもが子どもでいる場所から
分けられないことを願った。
この子たちを、遅れたもの、
劣ったもの、かわいそうなものとみなし、
ただの子どもでいることから
分けようとする人たちに抵抗してきた。
私たちは、自分で変だと感じたことを、
誰にも遠慮しないでことばにしようとしてきた。
誰にも気兼ねしないで声にしてきた。
この子たちに、ちゃんと聞こえるように、
大きな声で話してきた。
わたしたちは、
この子たちのために運動しているのではない。
わたしたちが、
この子たちに信じてもらうために
この場所にいる。
今まで、わたしたちは、
子どもたちを助けることに
幾度も幾度も幾度も失敗してきた。
小学校に入るのをあきらめた人もいる。
中学校に入るのをあきらめた人もいる。
高校に入ることにも163回も失敗した。
でも、子どもたちは
いつもわたしたちのとなりにいる。
いまも、子どもたちは、
わたしたちのとなりにいる。
わたしたちが繰り返し負け続ける抵抗や
運動の広がりのなかから、
それでも、この子たちは、
自分で仲間と出会い続けてきた。
この子たちが、自分で出会い、
見つけてきた味方たちの中から、
新しい学校の仕組みを考える
大人が現れてくるだろう。
大人になってはじめて「理解」しようと
がんばる私たちのようではなく、
子どものときから、理解よりさきに、
子ども同士で育った仲間たちの中から、
子どもたちの関係を大事にする大人が
現れてくるだろう。
韓国の詩人、金芝河の言葉を思い出す。
昔、投獄反対署名を届けた人に、
彼は次のように話したという。
≪あなたがたの運動は、私を助けることはできない。
しかし私は、あなたがたの運動を助けるために、
私の名をそれに加えよう ≫
私の耳には、子どもたちの声が聞こえる。
「あなたたちの運動は、ぼくたちを助けることはできない。
でも、ぼくたちは、あなたたちの運動を助けるために、
ぼくたちの名前を教えてあげる。 」
ぼくの名前はこうじ。
ぼくの名前はたくや。
わたしの名前はあさこ。
わたしの名前はりょう。
ぼくの名前はゆうすけ。
わたしの名前はともこ。
わたしの名前は……。
わたしたちはひとりひとりそれぞれに、
助けてくれる子どもたちの名前を
胸に刻んでいる。
いまも、わたしは、
子どもたちに助けられてここにいる。
だから、わたしは、いまこの時に、
子ども時代を生きている子どもの味方でいつづける。
多くの人の理解を得ること、社会の理解を得ること、
そんなことよりも、今、子ども時代を生きている、
今だけ子どものこの子たちの味方でいたい。
私はあなたの味方だと、
子どもたちに聞こえるように
大きな声で話し続ける。
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