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東京新聞の「定員内不合格」(千葉)の記事2つ (その1)

東京新聞の「定員内不合格」(千葉)の記事2つ (その1)

 

知的障害の娘は、屈辱で泣いた…定員割れ高校に不合格 学校側は「学ぶ意欲なし」と言うけれど【作文全文】

2024年11月26日

 

 

 千葉市在住で知的障害のある浜野こゆきさん(15)が今年、定員割れの千葉県立高校を受験したが不合格となった。いわゆる定員内不合格だ。入試は障害が不利にならないよう特別配慮を申請し、作文や面接試験を受けたものの、学校側は学ぶ意欲がみられないと判断。両親や支援団体は、浜野さんに学ぶ意欲はあるとし、入学を認めるよう求めている。(長屋文太)

 

◆小中学校は普通学級で

 浜野さんは遺伝子変異による難病「レット症候群」を患う。しゃべれないが、豊かな表情と手ぶりで意思を示す。小中学校は普通学級に進学。特別支援学校に通う選択肢もあるが、父の弘行さん(50)は「健常者と障害者がごちゃ混ぜの環境で育ったこゆきは高校に通うのが一番の選択」と話し、中学時代の友人たちと同じように学生生活を送らせたいと望んでいる。

 

 今春に千葉市の県立高校定時制課程の1次と別の高校の2次を受けたが、いずれも不合格だった。2次は面接で介助者の同席や「『はい』『いいえ』で答えられる質問をしてほしい」と要望したが後者は認められなかった。面接の結果は「能力不足」と判断された。

 

 

◆作文は50分間で約570字を書いたが…

 8月の秋受験で、春に1次を受けた高校の別の募集コースに挑戦した。受験前、両親と支援団体「千葉『障害児・者』の高校進学を実現させる会」が県教育委員会に掛け合い、受験で行われる面接と作文について、春の受験時よりも障害に配慮してもらえることになった。面接では、教員の質問に対して、浜野さんが○×△のいずれかを選んで答える方式をとった。握力が弱いため、作文は介助者に手を添えてもらうことも認められた。

 

 同席した介助者によると、作文は50分間で約570字を書き、面接では10項目ぐらいの質問に答えた。面接官から「△が多い理由を説明してください」と浜野さんが答えられない質問もあり、介助者が「具体的に質問してほしい」と頼む場面もあった。

 

 

◆募集は4人、受けたのは1人。なのに

 浜野さんは受験から帰宅したとたん玄関で泣き出したという。母の美由起さん(57)は「娘は屈辱を受け、悔しくて涙を流した」と振り返る。

 浜野さんの受験したコースの募集は4人。受けたのは浜野さんだけだったが、不合格に。県教委はその理由を「判定会議の結果、学ぶ意欲を見取ることはできなかった」と両親に説明した。

 定員内不合格の有無は都道府県によって分かれる。「『障害児・者』の高校進学を実現する連絡協議会」によると、東京都では2000年代を最後に都立高で定員内不合格者は出ていない。神奈川県立高では1995年に定員内不合格がゼロに。埼玉県立高でも2020年以降、ゼロが続く。一方、千葉県教委は「学ぶ意欲のある受験生を定員内不合格にしないよう指導している」と説明するが、定員内不合格は今もある。

 

 

◆作文で「新しいことに挑戦したい」

 

 浜野さんは作文で「卒業しても、友と一緒に頑張った3年間のことを忘れずに新しいことに挑戦したい」と書いていて、美由起さんは「娘は勉強が大好き。言葉にできないだけで意欲はある。学校側が読み取ってくれなかった」と声を震わせる。

 千葉の実現させる会は9月、浜野さんの不合格の取り消しを求め、県教委に要望書を提出。作文や面接で自分を表現したにもかかわらず「学ぶ意欲が見とれない」との判定は差別だと批判した。

 県教委は先月、「選抜は適正」と回答。浜野さんは家で過ごす日々が続く。両親は「娘の学ぶ場所を奪わないで」と求めている。

 

  ◇

 

◆〈作文全文〉制服を着て毎日通うことを想像して頑張りました

 浜野こゆきさんが受験した千葉県立高入試の作文課題は「ルールやマナーを守ることについてどう考えますか。また、高校生活において、そのことにどのように取り組んでいきますか」。浜野さんが介助を受けながら書いた全文は以下の通り(高校名は匿名表記)。

 

 

 自然教室の登山では、何度もくじけそうになっては励まされ、最後まで頑張れました。パラ陸上チームでは記録会があり、それも励みになっています。先生に介助してもらい、授業や受験勉強も頑張りました。視線入力で行うEスポーツでは記念の盾をいただき、次の目標の励みになりました。中学三年から視線入力の練習を始め、未来が広がったような気持ちです。書道が好きなので、高校では書道部に入りたいです。高校生になるために、壁に貼ったプリントを見て受験勉強をしました。パラ陸上のチームでは、苦手なストレッチを重点的に行います。介助の先生には言葉がなくても気持ちが通じ、安心して学校生活が送れました。仲間の存在の大きさを登山の時にとても感じました。初めて一人で描いた視線アートが岩手の美術館に飾られた時は、嬉(うれ)しかったです。親友が私と約束した「オリパラに一緒に出よう」という夢に向かって頑張る姿は、いつも勇気をくれます。視線入力で行うEスポーツ大会では惨敗でしたが、良い経験になりました。学校がお休みの時も、自主トレは休まず続けました。勉強する時は、○○高校の制服を着て毎日通うことを想像して頑張りました。卒業しても、友と一緒に頑張った三年間のことを忘れずに、新しいことに挑戦したいと思います。パラ陸上のチームの中には、パラリンピックに出場する人もいるので、刺激をもらいます。

 

知的障害の娘は、屈辱で泣いた…定員割れ高校に不合格 学校側は「学ぶ意欲なし」と言うけれど【作文全文】:東京新聞デジタル

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