ワニなつノート

「主体」のこと


「主体」のこと

ISIZAKIさんへ
「主体」の説明で、とっても面白くて、
納得のいく説明を見つけました(・。・)

≪「目が合う」のと「目を見る」のとは違います。
「目を見る」というのは、眼球を見ることです。
目の前の相手の眼球を見れば、
相手は目が合っていると錯覚しますが、やはり少し違います。
……
眼科のお医者さんは目を見るのであって、
まなざしを合わせてはいけないわけです。
診察椅子に座ったとき、患者さんが目を合わせ続けますと、
「やめてください、目を見られません」と言われます(笑)

つまりそのとき、お医者さんは診察で目を見るわけです。
ですから患者さんは目を見せなければいけません。
つまり、眼球を物体としてさらすのは患者さんの役割です。

患者は主体として登場してはいけないのです。

このように、「目を見る」のと「目が合う」のとは違います。
死んだ人とは目が合いません。

目を開けて死んでいるとき、…目が合うのではないかと
思うかもしれません。
しかし死んだ人と目が合ったら、これは恐いです。(笑)
実際、目は合いません。

『心はなぜ不自由なのか』浜田寿美男 PHP新書



だから、「私」が死んだら、私の死体はここにあっても、
「主体」は、どこかになくなってしまうんですね(>_<)

あれ?
「私」もどこかにいなくなってるのか(・・?

私の死体には、「私」も「主体」も、どっちもいない…のか??
あれ? 
ま、いっかぁ(>_<)

コメント一覧

yo
主体と私は、やっぱり別モノだよ(>_<)

「主体」がちゃんとあるなら、
「私」ももちろんあるし、
その場合は、「私」と「主体」は同じと言えるかもしれないけど。

でも、「奴隷」にされた人たちや、
インドやネパールで売られる女の子たちには、
「私」はちゃんとあっても、
「主体」は奪われてしまって、
そこから脱出するまでは、
やっぱり「主体」はないんだよ。

だから、中学生のときの山崎恵さんのように、
本人の意思も希望も無視されて、
中学の特殊学級に入れらている間、
彼女は、誰よりもしっかりした「私」を持ちながら、社会的には「主体」がひとつも尊重されない状態に置かれました。

もちろん、それにも負けずに、「主体」を手放さずに、彼女は、彼女や障害児の主体を認めない学校の中を生き抜いたのでしたが…。
ishizaki
いろいろありがとうございます

現代では普通『私』と『主体』は同じ意味で使うのかなーーとは思います。
辞書で引くと、主体=主観となっていました。
けれど、石川先生は、現代風の『主体』ではなく『私』を超えて広~い意味で使っているのかな。よくわかりませんが・・・トホホ(>_<)
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