KawaさんとYuくんへ
昨日のブログ、読みました(^^)v
24年の親子の日々と、24歳の誕生日、おめでとうございます。
初めて出会った日から、名古屋に呼んでいただいた日のこと、一人で会を作ると決めたときのいきさつから、一年間の浪人生活、高校生活、そしてたくさんの会の仲間との出会いが刻まれた「はるこい」の年月が、一瞬で頭をよぎります。
そして、私やKawaさんが、「どの子も地域の普通学級へ」という言葉にこだわり生きながら、本当は何をして生きているのか、が改めて分かる気がしました。
◇
《知ちゃんのこと》
昨日のKawaさんのブログを読みながら、知ちゃんとお母さんが浮かびました。
私が23の時に幼児教室で出会った3歳の知ちゃん。
入室前に両親があいさつにきたときの場面を鮮明に覚えています。
教室の外で、両親が担任の先生に深々と頭をさげている姿を、偶然見かけた私は、そのとき、なぜか見てはいけないものを見た気がしたのでした。
両親が泣いていた…のだったか、それとも泣いているように見えたのだったか。
その時の私には、なぜか自分の両親が泣きながら頭を下げているような気がしたのでした。
4月からとても重い障害のある子が入るらしい…という話を聞いていました。
私はその出会いを楽しみにしていました。
なのに、なぜあんなふうに泣きながら感謝しているのか、なぜあんなふうに頭を下げているのか、ただ幼児教室にみんなと同じように入るだけなのに…と、なぜか苛立ちのようなものを感じていたのだったと思います。
いまなら、それは、障害児を分けるのが当然という社会への怒りだったと言葉にできます。
あの時から私は、子どもの親が、あんなふうに泣きながら深く頭を下げて感謝なんかしなくていいような世の中にしたいと、思い続けてきたような気がします。
いえ「あの時」ではなく、やはり私が8歳のときまでさかのぼるのでしょう。
普通学級にいられなくなりかけたとき、情けねえと泣かれた8歳の子どもにとって、親の涙は、「そんなに自分はだめな人間なのか、ただの悪い子じゃなくて、ただ黙って泣き続けられるほど、ここにいてはいけなかった人間なのか」と感じさせるものだったのだと思います。
だから、偶然みかけた知ちゃんの両親の姿を、勝手に自分の中の感情に重ねてしまったのでしょう。
その後、知ちゃんと30人の子どもたちと過ごした1年間は、どんなに重い障害があっても、子どもは子どものなかで育つのが当たり前だという確信と自信を私に与えてくれました。
知ちゃんはその後も言葉をしゃべらないまま小学校に入り、中学校、普通高校へ通いました。
去年、ある自立生活についての集会で介助者と共に「報告」に来ていた知ちゃんに会いました。すっかりおばさんになった知ちゃんの隣に両親はいませんでした。
知ちゃんのお母さんが切実に子どもの自立生活について考え始めたのは、いまの私と同じ病を得た時だったと聞いています。
親が抱えられるだけ抱えていたなら、ある日突然、一人にされる子ども(大人になった子ども)は、どんなに大変な思いをするだろうかと。
親が元気なうちにこそ、子どもが当たり前に人の手をかりながら生活することをかなえてあげたい、ということだったと思います。
◇
《Tさんの言葉》
そしてまた、今年の春、例会でTさんが話してくれた言葉を思い出します。
それは、子どもが中学2年生になり、進路についての説明会に出席したときのこと。
先生の話は、ごく普通の「高校受験のためには2年生の時期が大切だ」とかなんとか、ひたすら高校がすべて、みたいな話だったようです。そこで、特別、障害のあるその子について話題が出た訳ではありません。
ただTさん自身は、「0点でも高校へ」という話を小学校入学のときから耳にしてきました。
初めは「遠い未来」の、別世界の話のように聞こえていたことでしょう。
今年、Naoちゃんが高校生になりました。Naoちゃんは、T君が「Nao先輩」と慕っている身近な存在です。
そうした中での、中学の説明会。Tさんは「先生の話している『みんな』の中にこの子も含まれている」と感じたそうです。
それは、初めての不思議な感覚だったようです。
もちろん、小学校の時から、「みんなと同じ」普通学級で、「みんなと同じ」子ども時代を過ごしてきました。でも、学校の全体説明会などで話される先生の「常識」には、「この子には関係のないこと」と思ってしまう部分があったといいます。
歩けるのが当たり前、読めて書けるのが当たり前、自分のことは自分でできるのが当たり前、という学校が話す建前に、障害児が含まれていないのもまた当たり前、の現実はあります。
中学2年の保護者に向かって、高校受験への期待と不安を煽る学校の話に、点数の取れない障害児のことが意識などされているはずもありません。
その「高校へ」、「みんな」が行く、という前提の学校話に、「このみんなの中には、この子も当たり前に含まれている」と感じる、普通の感性。
それは、親自身が、子どもと普通に生きる中で、手に入れた(取り戻した)感性なのだと思いました。
◇
《と》【特別な教育には、特別な生き方がついてくる】
就学相談いろはカルタに、
《と》【特別な教育には、特別な生き方がついてくる】があります。
特別な生き方は、障害のある子どもだけに「ついてくる」のではありません。
特別な生き方は、健常の親にも「ついて」きます。
それは、特別な場所で手厚く、配慮してもらう場面ばかりの積み重ねによって、「普通の要求」が、とてつもなく勘違いの高望みのように思わせられることです。
小学校入学時に、それまで普通に保育園、幼稚園に通っているのに、「学校は保育園とは違うから…」と遠慮することから始まり、「0点でも高校へ」という、親の人生の教科書にはなかった壁や、人の手を借りての「自立生活」の壁にぶつかるまえにあきらめる生き方が「ついてくる」ことです。
何年か前に、特殊学級から普通高校に行けるのか、と相談にきた方がいます。
「小学校入学のときにも、この会に来たことがある。あの時、教育委員会からも、子どもは普通でも大丈夫と言われたけれど、いろんな教室を見て、特殊学級の環境がこの子に合っていると思い、《選択した》」と話されました。
「この子が中学生になり、兄が普通高校に入学したのを見て、普通高校に行きたいと自分から口にするようになったけれど、特殊学級から普通高校の受験は可能だろうか」。
たまたま、前年度にその特殊学級から普通高校に入った子がいたので、普通高校の受験が可能なことと高校でもちゃんと受け入れていることを話しました。
そして、受験よりも特殊学級の担任を説き伏せることの方がエネルギーがいる、という話を付け加えました。
そのお母さんの、「子どもは分けられたのではない、子どもの状態を考え、いくつもの学級を見学し、子どもの状態にもっとも合った教育の場を、親として自信をもって「選択」したのだ」という話がとても心に残りました。
普通学級に入れることも当然の選択肢として考えていたし、あきらめたりしたのではなく、前向きに特殊学級を選択した。
だから、いま、自ら普通高校に行きたいという子どものために、親ができることをしてあげたいと思い相談にきた。
私にはそれらの言葉が、素直に心に響きました。
小学校に入る時も、今も、ただ子どもの幸せを考え、子どものためにできることは何でもしてあげたいという思いが、心に響きました。
でも、その後、お母さんが会に来ることはありませんでした。
小学校入学のときには、教育委員会や学校に言われたからでなく、親自身が「選択」したのは本当だったのでしょう。
そのとき、「普通の生き方」を選ぼうと思えば、選ぶことができたという気持ちは本当だったのでしょう。
でも、特別な場での9年近い年月のなかで、あらためて「普通の生き方」を選ぶ力は残されていませんでした。
お母さん自身の、子どもの気持ちに沿いたいという気持ちは変わっていなかったのかもしれません。
ただ、9年という年月の間に、親子を取り巻く日常の人びとは、「障害にあった生き方」に疑いを持たない人や場ばかりだったのでしょう。
…そんなことを思いました。
◇
だから、「先生の話の中の、《みんな》に、この子も含まれている」という実感を、中学2年になって感じたというTさんの話は、子どもが大人になり社会の一員となるのだと親が見えるためにも、普通に暮らすということがいかに大切かを教えてくれたのでした。
KawaさんとYuくんの今につながる道も、中3のあの時だったのですよね。
浪人も覚悟しての、高校受験への決意。
それが、24歳の誕生日の、ケーキを気にしながらも、自立することが目の前に当たり前にある「Yuくんの人生」につながっているのですよね。
来年、私が元気でいたら、Yuくんのきれいな部屋のアパートに、ケーキを届けに行きたいと思いました。
※ kawaさんの昨日のブログはこちら↓
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