昨年10月の記事で書いたように、約400年前の説経節、また古浄瑠璃ともhttp://blog.goo.ne.jp/wata8tayu/d/20111017
オーバーラップする部分もあるが、それらの章句を、無理なく語れるような「節」を
模索して研究を重ねて来た。
新しい「節」は、自分が身に付けた薩摩派説経祭文の節と、佐渡文弥節のそ
れぞれの良いところを活用すると共に、新たな作曲も交えている。猿八座の活動
の中で生まれてきたこの新しい浄瑠璃を「猿八節」と呼ぶことにする。
ご存じの方は、気が付いていたかもしれないが、文弥節は、本調子で演奏さ
れており、一方、祭文は二上り説経と言われるように、調弦法が異なっている。
調弦法が異なると一般には、曲調が変わってしまう。また、曲の中に変調を入れ
ることは、長唄等でしばしば見られる作曲法であるが、その都度、調弦を繰り返
さなければならず、連続性は断たれる。また、調弦の異なる曲をそのままに取り
込もうとすると、演奏上、不自然な運指を強いられることにもなる。どうしたら、こ
の二つの節のいいとこ取りができるのだろうか。
そこで、文弥節を先ず徹底的にコピーしてみることにした。
しかし、私は、文弥節をコピーしながら、奇妙なことに気がついた。それは、文弥
節の手が、ほとんど1の糸にさわらないということである。そして、問題なのは、
大変低い音程で調弦することである。
やや専門的になるが、本調子の調弦で、2の糸と3の糸の関係は、二上がりの
1の糸と2の糸の関係と同じである。つまり、本調子の調弦をしても、2の糸と3
の糸しか使わないのであれば、二上がりで弾いていることと変わり無いことにな
るのである。しかも、文弥節が大変低い音程で調弦するのは、基底音(一番下
の音)が2の糸になっている為であることも分かった。
最初に文弥節を聞いた時に、本調子に聞こえなかった原因は、どうやらここ
にあるようだと気がついた私は、次に、これを二上がりに置き換える作業を行
ってみた。すると、二つの「節」の使用音域はぴたりと重なったのである。しか
も、祭文の節と文弥の節は、互いに相性が良く、無理のない連続性が保たれ
ることが分かった。こうして、新浄瑠璃は、二上がりで節付けをすることになった。
新浄瑠璃の試作は、先ず「阿弥陀胸割」で行った。早速に人形を付けてみる
実験をしてもらったが、特に大きな問題もなさそうである。特に、テンポを必要
とする所は、文弥調で運び、説明的章句を祭文調で運ぶことで、めりはりをつ
けることが出来るようになったように思われる。まだまだ、研究の余地は残さ
れているが、当初の目標のひとつが形となってきた。
さて、この「猿八節」のデビューであるが、、「阿弥陀胸割」は、芝居自体がまっ
たくの新作なので、まだ公開の目途は立ってはいない。そこで、これまで、祭
文の節で語ってきた。「御物絵巻をくり車引きの段」を猿八節に書きかえてみ
た。又、改めてご案内いたしますが、6月に予定されている伝統人形芝居(八
王子)で演ずる、この「をくり」がデビューになりそうである。その節はまた、私
が猿八座の「八太夫」として語る最初の舞台でもあります。