角太夫さんせうたゆう ②
岩城殿の館に勅使の御一行が到着しました。正氏は、かねて用意の美を尽くして、勅
使の到着を待っていました。やがて、大納言介兼卿、親敏、重連ら正使を始め、諸侍達
は、それぞれ、座敷に入られました。早速に、珍物珍果のもてなしの品々が並べられました。
さて、平蔵は、三宝に例の土器を載せて現れました。何も知らない勅使大納言は、土器
を取り上げて、平蔵の酌を受けました。とその時、庭に忍んでいた重連の家来が、鳩を
放ちました。鳩は、ばたばたと羽を打って、座敷目掛けて飛んで行き、そのまま勅使の
手に飛び乗りました。大納言が驚いて土器を三宝に戻すと、鳩も又、三宝に乗り移り、
まるで土器を守ってでもいるかのように見えました。満座の人々も突然のことに驚いて
騒然となりましたが、その時、重連は、わざとらしく顔をしかめて立ち上がると、
「あら、もったいなや、有り難や、君の君たる道は明かなるぞ。只今、勅使様が、正氏
の罪の虚実を窺おうとする所に、返って、勅使の命を奪おうとする企て、既に顕れまし
たぞ。浅ましや。如何に人々、これは、正氏が謀叛に違いない。証拠は、この毒酒であ
る。馳走顔で、勅使を始め我々を毒殺しようとする所を、有り難や、正八幡大菩薩が君
を守り、霊験を現し、救うことに疑いなし。鳩はこれ、八幡の使いである。勅使の手を
止め、今もあの様に盃を守るように居ることこそ奇特である。皆々、ご油断あるな。」
と言うや否や、金の土器を庭に向かって投げ捨てると、鳩もどこかへ飛んで行きました。
色めき立った勅使、親敏は、
「さても謀叛が露呈したか、最早、逃れられぬぞ、判官殿。配所は筑紫と決まっておる。
覚悟あれ。」
と、責め立てましたが、謀叛の心も無く、まして毒酒の覚えも無い正氏は、返す言葉も
無く、只呆れ果てて居るばかりです。しばらくして、正氏は手を付くと
「いやしくも、この正氏、五十四郡の大将を給わってよりこの方、魂は、朝家国家の為
に尽くし、身は、鳳闕(ほうけつ:王宮)の樹庭(じゅてい)に置こうと思いましたが、
如何なる因果か、病となりました。これ、ご覧下さい。この様に左の腕にでき物できて
しまったのです。」
と、肌脱いで見せ、
「この様な病人が、都でお役に付いても、役にも立たず、御在番を怠りましたが、いく
ら、世間が悪く言ったとしても、謀叛とは言いますまい。
これは、私の武運の末とは思いますが、それにしても、毒酒とは納得が行きません。
如何に、平蔵、酌をしたのはお前だが、その酒を飲んでみよ。」
と、言いました。困った平蔵は、わざともじもじしていましたが、
「お主様の御意でありますから、畏まりました。これまでなり。」
と、言うと、銚子を傾けてぐっと飲み干しました。そして、あら苦しやと顔をしかめる
と、胸を押さえて悶絶しました。まったく迫真の演技です。これを見た正氏は、歯がみ
をして、
「いかなる者が意趣(いしゅ)を含んで、こんなことをするのか。運命尽きたり。
これまでなり。
如何に、北の方、安寿姫、厨子王丸、委細は見聞きした通りである。言い訳をする
証拠も今は無し。召しに従って流され行くぞ。お前達は、先ずどこへでも落ち延びて、
時節を待って都へ上り、我が身の誤り無きことを、祖父の梅津殿をもって奏聞するのだ。
伝え聞く勾践(こうせん)も命があったればこそ、会稽の恥を濯ぐことができたのだぞ。」
(中国故事:敗戦の辱めを忘れるなの意)
と言えば、北の方を始めとして家来の人々は、正氏に縋り付いて、泣き沈みました。
やがて、正氏は、牢輿(ろうごし)に入れられて館を後にしました。
主との別れに人々が、嘆き沈んでいる中で、倒れていた平蔵は、辺りの様子をきょろ
きょろと窺っておりましたが、そろそろ良いかと、そっと立ち上がると、こそこそと逃
げ出しました。それを見ていたのは、宮城の小八でした。小八は当年十六歳、乳母(め
のと)姥竹の一子で、軽く五人力の若者です。足の立った平蔵を見つけると、走り寄っ
てむんずと組み止めました。がっぷりに組んだ二人は、えいやえいやともみ合っていま
したが、やがて観念したのか、平蔵は腰の刀を抜くと、自分の腹に突き立てて、ううん
と呻いて仰け反りました。小八は、
「母上、母上、詮議の奴をとらえましたぞ。」
と、大声で呼ばわると、母の姥竹を始め、女中達が我も我もと駆けて来ました。姥竹は、
「これは、どうしたことか、最前死んだはずの平蔵が、どうしてまた。」
と、不思議がるので、小八が事の次第を説明しました。さらに小八は、平蔵白状せいと、
腹の刀をえぐり回すと、堪らず平蔵は、
「因果が報うのは我が身の欲故。正氏殿には咎は無い。これ、皆、企んだ、企んだ。」
と言い残し、反り返って息絶えてしまいました。姥竹親子は、なんとかして讒言者を聞
き出そうと、平蔵を引き起こしましたが、押し動かしても最早、時は遅し。そこへ、
平蔵の家来達が、主の敵となだれ込んで来ました。これを追い散らし、切りまくりつつ、
小八親子は、御台、安寿、厨子王を仮の隠れ家へと、逃がしたのでした。
つづく