角太夫さんせうたゆう ⑥
さて、太夫親子は、厨子王が山から帰って来ないのを怪しんで、姉が落としたに違い
無いと、安寿を呼びつけました。太夫は、
「やあ、おのれ、わっぱを何処へ落とした。正直に申せ。言わぬなら責めて問うぞ。」
と脅しました。安寿はさあらぬ体で、
「いや、私は露にも存じません。もしかしたら、山道に迷っているのかもしれません。
少し時間をいただければ、捜して参ります。」
と、答えました。太夫はこれを聞いて、
「やあ、おのれは、もう百にも届くこの太夫を騙す気か。愚か者め。それ、三郎、責めて問え。」
と、三郎に拷問を命じました。三郎は、安寿を取り伏せると、高手小手に縛り付け、庭
の古木に逆さまに吊り上げました。白状せよと、笞(むち)で散々に打ち叩き、目も当
てられぬ次第です。無惨なるかな安寿の姫は、打たれる笞のその下で、弟はもう落ち延
びたか、まだか。どうせ死ぬのなら、なんとか厨子王が落ち延びるまで、できるだけ時
間稼ぎをしなければと、それだけを思っておりました。しばらくして安寿は、
「ああ、苦しい。言いますので降ろしてください。」
と言いました。ようやく白状する気になったかと降ろされると、苦しい息をついて安寿
姫は、
「のう、如何に方々、今にも弟が帰ってきたら、姉は弟が遅いので殺されたのだと、こ
の有様を言ってくださいよ。ああ、恨めしの弟や。」
と言って、泣き崩れて見せました。太夫は怒り狂って、
「やあ、聞くことにも答えずに、役にも立たぬ無駄口を聞きよって。もっと責め立てよ。」
と怒鳴りました。しかし、三郎が、
「暫くお待ち下され。よく考えてみますと、あの童はまだ幼く、それ程遠くへ逃げたと
も思われませぬ。このようなしぶとい女に暇取っているよりも、皆で手分けして、捜し
出して召し捕りましょう。」
と、言いました。もっともということになって、安寿をそのまま残して、太夫一門は
一斉に館を飛び出て行きました。
さて、かの宮城の小八は、山角太夫を召し連れて、人々の行方を捜しておりましたが、
ようやく姉弟が山椒太夫の館に居ることを突き止めて、丁度、館の様子を探りに来たと
ころでした。何とかして、姉弟の人々に会おうと中を覗いてみると、三の木戸の脇に、
縄に縛られた女が倒れているのが見えました。不思議に思ってよくよくみてみれば、そ
れは、安寿の姫です。小八は、はっと驚いて駈け寄りました。
「のう、姫君ではありませんか。」
と、その声に安寿は、苦しげに顔を上げました。
「やれ、小八か、珍しや。」
と言う間に、縄目を切り解くと、抱き起こして労れば、安寿は涙ながらに、これまでの
こと語り始めました。
「太夫一門は残らず、追っ手に掛かりましたが、厨子王は無事に落ち延びたでしょうか。
それだけが心配です。」
聞いて小八は、
「さてさて、労しや。御母上も我が母諸共に佐渡島とやらに売られたという。それもこ
れも皆、この悪人のため。ささ、ここでそれがしに会ったからは、何とかして御運をお
開きいたします。心をしっかりとお持ちください。」
と、様々に慰め申し上げたのでした。
さて、それから小八は、姫君の代わりに山角の太夫を、古木に縛り付けると、
「おのれを、何処までも召し連れて行こうとは思ったが、今はもう足手まといとなった。
これにて、暇をとらする。」
と、いうなり首を打ち落としました。
「では、姫君、これより若君、御母上を尋ね捜し、必ず会わせてあげまする。先ずは
この場を去りましょう。」
と、姫君を肩に掛け、甲斐甲斐しく、館を後にしたのでした。
これはさて置き、厨子王丸は、山中で既に追っ手が迫っていることを知り、必死に駆
け下りました。そして、ようやく里に下り国分寺に駆け込んだのでした。
「のう、お聖様。後より追っ手のかかる者、匿って(かくまって)下さい。」
折節、住職は、お勤めをしていましたが、
「やあ、汝のような幼いが、どうして追っ手に掛けられとおるのだ。子細を話しなさい。」
と、のんびりと言いました。
「のう、愚かな。命があっての物語。もうすぐ追っ手がここに来る。先の隠してください。」
と言うと、
「おお、誠に誤ったわい。」
と、眠蔵(めんぞう)より古い皮籠を運んで来て、若君をその中へ入れ、縦縄横縄を
しっかりと縛って、本堂の棟の垂木に吊り下げました。
さて、お聖がまたいつもの通りにお勤めをしていると、今度は、太夫一門が、乱れ込
んで来ました。三郎は、
「のう、只今これへわっぱが一人逃げ込んだであろう。お出しあれ。」
と、罵る(ののしる)と、聖はわざととぼけて、
「ああ、何何。春の日の徒然に、斎(とき)の旦那に参れとあるか。」
と、耳の遠いふりをしました。三郎が、
「いや、そうでは無い。ここへ由良港の山椒太夫が内のわっぱが逃げ込んだから、出せ
と言っておるのだ。」
と、繰り返すと、
「はあ、それがしは、百日の別行の最中。わっぱやらかっぱやらは知らぬ。帰られよ。」
と、またとぼけて見せました。三郎は業を煮やして、
「ええ、憎っくきくそ坊主め、さらば寺中を捜させよ。」
と言うなり踏み込んで、隅から隅まで捜しまわりましたが、わっぱは見つかりません。
その時、太夫は、
「これ程までに捜して見つからないということは、聖の心の中に隠れているようだ。こ
の上は、身に余る誓文を立てるなら、それを花として我々も帰ってやろう。」
と、言いました。これには聖は困りました。わっぱを出せば殺生戒を破り、誓文立てれ
ば妄語戒を破る。どうすべきかと迷いましたが、破らば破れ妄語戒、殺生戒は破むまい
ぞと思い切り、只一筋に観念しました。
「如何に面々。望みに任せて大誓文を立て申す。」
※以下誓文の段は説経とほぼ同様に日本全国の寺社仏閣を羅列する。省略
「誓って、わっぱにおいては知らざるぞ。」
と、五体より汗をたらたらと流して立てた大誓文は、身の毛のよだつばかりです。太夫
はこれを聞いて、
「おお、殊勝なり、お聖よ。今より我々も旦那となりましょう。さて、帰るぞ。」
と引き下がりました。しかし三郎は、さっきから頭上の皮籠が気になっていました。
「いや、お待ち下され、それがし、面白い物を見つけました。それその上の古皮籠に
新しい縄が掛かっているのはおかしい。あれを降ろして開けて見せろ。」
と言いました。太郎、次郎は、
「やれ、三郎。どこの寺でも古経古仏をあのように天井に吊しておくものよ。最前の誓
文がある上は、誓文に免じて平に帰れ。」
と、たしなめましたが、三郎は言うことも聞かず、勝手に梯子を捜してくると皮籠の棟
に立てかけて、
「いでいで、方々、わっぱを出して見せん。」
と、駆け上がりました。そして皮籠の要(かなめ)の綱を引き、掛け縄を解こうとしました。
すると、その瞬間に、有り難や。地蔵菩薩はまばゆい光を放ち、突然に梯子がばらばらに
砕け散りました。あわれにも三郎は、縄に取りすがって宙づりです。下の人々は慌て
ふためき、梯子はもう無いかと騒ぎます。お聖は、良い気味じゃと、
「うちの梯子は、このほど京へ使いに出しました。」
と、とぼければ、人々は鞍掛けは無いかと、走り回り、
「はは、鞍掛けは、昨日、井戸へ身を投げたわい、可愛そうに。」
と、嘆く内にとうとう、三郎は、どうと落ちてしまいました。太夫親子は、腰を抜かし
ておめき叫ぶ三郎を肩に掛けると、ほうほうの体で由良の港に帰っていまいました。こ
の有様を笑わない者はありませんでした。
つづく