猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 10 説経法蔵比丘 ②

2012年02月29日 22時53分24秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ほう蔵びく ②

 そうして、太子と姫宮は、比翼連理の契りを結ばれて、月日が重なればやがて若宮が

ご誕生となりました。最早、このことを秘密にして置くこともできず、とうとう父、大

王の知るところとなりました。大王は、大変腹を立てて、臣下大臣を集めると、

「さても口惜しいことになった。どこの馬の骨とも知れぬ者と契るとは無念である。こ

れは、末代までの嘲り(あざけり)である。このままにはしておけない。龍瀬(たつせ)

の洞へ連れて行き、翳(えい)の罪にて沈めてしまえ。早く、早く。」

と命令しました。臣下大臣は黙って俯いていましたが、ラゴトン将軍が進み出でて、こ

う言いました。

「逆鱗(げきりん)はごもっともですが、ただ一人の姫宮を、そのような罪に落とすこ

とは、あまりにも労しいことです。先ず一旦は御叡慮を巡らせていただきたく存じます。」

しかし、大王は、

「天下を守るとは、そういうことでは無いぞ。我が身が正道を行ってこそ、万民も

正道を行うのだ。重ねて奏聞する者あれば、七代までの勘当だ。」

と、言い放ちましたので、皆々どうすることもできず、東宮へ兵を差し向けると、太子

御親子三人をひとつの輿に乗せて、龍瀬の洞へと向かったのでした。

 そもそも、「翳の罪」という刑は、深さ15丈(約50m)の穴の底に釼を植え並べ

て、そこに罪人を投げ込んでから、土で埋めてしまうという処刑の仕方です。早速に

その様な刑場が設えられ、太子親子三人が輿から出されて連れて来られました。姫宮は

あまりのことに、泣き崩れ、

「自らは、女の身であるから、罪に沈もうと構わないが、忝なくもこの君は、西上国の

主なのですよ。太子を助けてください。」

と懇願しました。今度は、太子が、

「このような憂き目を見るのも、皆これ麿が原因であるから、我こそ一人罪を受けて、

姫宮を助けてください。」

と、嘆きます。心も無い武士(もののふ)達も、言葉も無く差し俯くばかりです。ラゴ

トン将軍は、検見役としてその様子を見ていたのですが、あまりの労しさに耐えられず、

責任者の右大臣左大臣に向かって、

「何とかなりませんか。これでは余りに可愛そうに過ぎます。一旦の逆鱗で、このように

宣旨はありましたが、只一人の姫君のことですから、ここは、助け置いて、お怒りが静

まった頃にお知らせ申せば、憎くくは思いますまい。いざ、方々。どうか今日の所は、

処刑したと奏聞しておいて、親子の人々を助けましょう。」

と、迫りました。しかし、大臣達は、

「将軍の御心底はよく分かるが、重ねて奏聞すれば七代の勘当とあるからは、思い直さ

れることがあるとは思えぬ。情けをするにも事と次第による。下が上を計らって勝手な

ことをするわけには行かない。」

と、けんもほろろです。これを聞いてラゴトン将軍は怒り出し、

「もっともらしいことを言う奴らだな。この上は、それがしが、一命に掛けてでも、親

子の人々を助けないでおくべきか。やあれ、眷属ども、それそれ。」

と言うと、太子親子三人を傍らに守り置きました。これを見た両大臣が、

「さては、ラゴトンが謀叛じゃ。打って取れ。」

と下知すれば、兵は剣を抜き、たちまちに戦いが始まりました。ラゴトン方は無勢でし

たが、その勢いは物凄く、大臣方の勢はひるみました。そこへ、左大臣の眷属でライケ

ンという剛の者が躍り出て、四尺三寸の大の釼を八方に払い、横手を切って攻め込んで

来たものですから、さすがのラゴトン勢も後退しました。これを見ていたラゴトンが、

「おのれ、勝負、勝負。」

と跳んで出れば、ライケンは、にたにたと笑って、

「おお、願う所の相手なり。」

と、言うなりそばの古木を引き抜くと、拝み打ちに打ち掛かってきました。ラゴトンが、

体をかわして、古木をしっかりと掴み返すと、いや取られるものか、いや放せと、互い

に劣らぬ大力で、えいやえいやと引き合えば、古木はぼっきり折れて、両方に飛びし去

ったのでした。今度は互いに釼を抜いて、秘術を尽くして斬り合いました。しかし、

遂にラゴトンの太刀を受け外したライケンは、右の腿を切られてがっくりと膝を付きました。

右大臣左大臣はこれを見るなり、

「これは、だらしない。くだらない化粧軍(けしょういくさ)など見たくも無い。大勢

で掛かって一気に討ち取れ。」

と、命じました。東西南北より一度にどっと、ラゴトンを取り巻きましたが、その時、

天地が突然振動して、虚空から巨大な岩が降り落ちて来たのでした。翳の刑場は、たち

まちに埋まり、岩に潰されて夥しい兵が死にました。両大臣は、忌々しいと、ラゴトン

に取り付きましたが、ラゴトンは逆らいもせず、にこっり笑うと、

「大岩の難を逃れたのにまだ厭きたらぬか。それ程までにお望みならば、落花微塵にし

てくれん。」

と言うなり、大岩を投げつけて、二人の大臣を粉々にしてしまいました。残った軍勢

を追い散らすと、ラゴトンは、やっと一息つきました。そのラゴトンの働き、韋駄天も

こうであったかと、感ぜぬ者はありませんでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 10 説経法蔵比丘 ①

2012年02月29日 17時06分24秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

説経正本集(角川書店)第二「ほう蔵びく」天満八太夫正本。延宝天和年間。版元不明。阿弥陀如来の前世譚を説経らしく語る。

ほう蔵びく ①

さてもその後、三世十方の出世の本願は、一切衆生の利益(りやく)のためです。

特に、濁世末代の男女まで、容易く仏果を得ようとするならば、「弥陀」の光明を置い

て外にはありません。

 さて、その昔、唐天竺の西上国の主は、月生転輪聖王(がっしょうてんりんじょうおう)

と言う、大変目出度い帝(みかど)がいらっしゃいました。宝石の散りばめられた宮殿

が甍(いらか)を並べ、黄金の楼門も鮮やかで、錦の御帳(みちょう)を張り巡らし、

地面には瑪瑙を敷き詰め、道は瑠璃でできていたのでございます。四季の御殿の数々は、

言うまでもございませんでした。お后様は「ちょうせき夫人」と言い、千丈(せんじょ

う)太子という、容顔も整い慈悲の心を持った一人息子がおりました。人々は、この王

子が、次の賢王聖君になることを心から願っていました。

 千丈太子が十六歳になった頃のことです。太子の后候補に、東上国の姫宮「あじゅく

夫人」という方が話題になりました。十四歳にして三十二相八十種好を具えた大変な

美人であるという話しを聞き、太子は、まだ見ぬ恋に落ちました。太子はこう思いまし

た。

「恋しいと思う姫宮を迎え取ることは、簡単だが、遙かの道のりでもあり、又姫の心も

測り知れない。明日の命さえ定めの無いこの身であるから、どうせなら、東上国へ一人

で行き、その面影を一目でも見ることが出来れば、ここで物思いをしているよりはましだ。」

と、恋路の闇に思い詰めると、綺麗な服を脱ぎ捨てて、墨衣に召し替え、寒竹の横笛だ

けを腰に差し、夜半に出奔してしまったのでした。

 山々里々を旅すこと三年と三ヶ月。ようやく千丈太子は、東上国へと辿り着いたのでした。

しかし、勿論知り合いも無く、何処に泊まるあてもありませんでしたので、とある人家

に立ち寄って一夜の宿を乞いました。親切な夫婦がもてなしてくれましたので、故郷の

ことを思い出して、笛を吹きました。その澄んだ音に感心した夫婦は、

「さてもさても、この国においては、そのような素晴らしい笛の音を聞いたことが無い。

恐らくは、由緒ある方とお見受けいたしましたが、どちらからいらした方ですか。」

と、尋ねました。太子は名乗らないでおこうと思っていましたが、沢山の親切を受けたことでもあり、

「それがしは、西上国の主、転輪聖王の一子、千丈と申します。実は、この国の善信王

の姫宮である「あじゅく夫人」の事を聞き及び、見ぬ恋に憧れて、これまで遙々来たのです。」

と、打ち萎れて物語りしたのでした。これを聞いた夫婦は、

「そうでしたか、幸いなことに、我々の娘、梅花(ばいか)は、姫宮のお側に宮仕えし

ております。御仲立ちを頼みましょう。殊に今夜は、八月の十五夜で、月の管弦を夜中

まで行っておりますよ。御太子も女の姿をして忍び入るのはどうでしょう。良い折を見

つけて、姫君に会わせてあげましょう。さあ、早く支度をしなさい。」

と、大変頼もしいことを言うのでした。

 さて、月見の御殿には、多くの女房達が集まって月見の管弦を行っていましたが、や

がて夜も更けて散会となりました。梅花は、この折りが丁度良いと、太子を妻戸の中へ

と押し入れると、自分の局へと戻りました。とうとう姫宮の寝所に近づいた太子は嬉し

くて仕方ありません。寝所の障子をほとほとと叩いてみると、中から姫君の声がしました。

「誰ですか。妻戸の脇で音がするのは不思議ですね。」

恋い焦がれた姫宮の声です。太子は、思いの丈をぶつけました。

「いや、怪しい者では御座りません。それがしは、西上国の主、千丈太子と申す者。

姫宮の御事を風の便りに聞き、まだ見ぬ恋に憧れて、遙々ここまでやってきました。」

姫宮はこれを聞いて、

「そのようなことを言われては、心も乱れますが、父の目を盗んで、あなたと仲良くし

たのなら、不孝の罪となってしまいます。私ひとりの思いでは、どうにも出来ない身の

上ですから、ごめんなさい。」

と、言うと布団を被って隠れてしまいました。太子はいよいよ憧れて、

「そのような恨めしいことを言わないでください。考えても見てください。もしこれ

で引き下がって帰るにしても、この御殿を出る時に、番人どもに見つかって殺されるに

決まっている。どうしても帰れと言うのなら、人手に掛かって死ぬよりは、ここで腹掻

き切って自害して、あなたを恨んで化けて出ます。その時、思い知らせてやります。」

と、剣に手を掛けた時、さっと障子が開いて、姫宮が太子の袂に縋り付きました。

「のう、おやめください。太子様。さぞお怒りとは思いますが、あなたの心を試すため、

そのように言ったのです。さあ今は、何事も打ち解けて、中へお入りください。」

と、二人は互いに手と手を取り合って御殿へと入って行ったのでした。梅花の取りなし

で、既に銚子、土器も準備されており、それから御酒宴となったのでした。千秋万歳(せ

んしゅうばんぜい)の御喜びは、目出度いとも中々、申すばかりはありません。

つづく

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