猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 24 説経小敦盛 ②

2013年07月16日 15時08分37秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

こあつもり

 無冠の大夫敦盛を討った熊谷直実は、東山黒谷の法然上人を師匠と頼み、出家をなされました。

その名を、蓮生坊と申します。蓮生は、敦盛のお骨を、高野山に埋葬するため、法然上人に

暇乞いをすると、黒谷から旅立って行ったのでした。その心掛けは、大変殊勝です。

(以下道行き)

東を見れば敷島や

歌の中山、清閑寺(京都市東山区)

鳥野辺に立つ夕煙(京都市東山区)

よその哀れも今は早

我が身の上と思われて

心細さは、限り無し

とても、かくても

徒し(あだし)身を

思い捨つれば、さしもげに

浮き世の闇も晴れ行きて

心も清き、清水寺

田村丸のご建立

大同二年(807年)の御草創

万(よろず)の仏の願いよりも

千年の誓いは頼もしや

枯れたる木にも、花は咲くと

誤りなくば、敦盛の

頓証菩提と、回向して

東寺西寺、四ツ塚や(京都市南区)

年は旧(ふ)れども、老いもせぬ

むつだが原(不明)は、これとかや

山崎千軒、宝寺(宝積寺)

関戸の院(京都府乙訓郡大山崎町)を早や過ぎて

彼処をみれば、鳩の峰(京都府八幡市)

男山(石清水八幡宮)にも、なりしかば

南無や八幡大菩薩

ご神体は、応神天皇

本地は、釈尊の御再誕

さてこそ、八正道を象り(かたどり)

正八幡とは、承る

二世安楽の御誓い

浮き世に望みのあらざれば

後の世、助け給われと

心の内に観念し

交野原(かたのはら)を通るにぞ(大阪府交野市)

禁野の雉は、子を思う

鵜殿(うどの)に繁き、籬垣の(大阪府高槻市)

宿を過ぎれば、糸田の原(大阪府吹田市垂水付近)

窪津の王子、伏し拝み(大阪市中央区天満橋付近)

天王寺へぞ参りける

聖徳太子の御願所


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