猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語 33 古浄瑠璃 明石 ④

2014年11月05日 20時48分50秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
あかし ④

 さて、御台様と乳母の常磐は、明石の消息を知る為に、都に行こうと考えましたが、追っ手の者から逃れる為に、山道を辿り、知らない谷や渚を回りました。冥途の道かと思う様な恐ろしい所を通り、書写山(兵庫県姫路市)の裏側に出ました。暫く休んでいると、道行く人が、
「あなた方の事かも知れませんが、後ろの方で、大勢の人々が捜し廻っていましたよ。」
と言い捨てて行きました。御台様と常磐は、驚いておろおろするばかりです。泣く泣く常磐は、
「今、里へ出るのは危険です。今夜は、この山中で夜を明かしましょう。」
と言いました。二人は、千草に鳴く虫たちと一緒に、泣き明かすのでした。さて、夜が明けると二人は、二重の衣装を、脱ぎ捨てて、落ちて行きました。
 やがて追っ手の者がやって来ましたが、脱ぎ捨てられている衣装を見ると、
「さては、身投げをしたな。」
と思い。あちこちと、捜し廻りました。しかし、とうとう死骸も発見できなかったので、諦めて帰って行きました。
 こうして、御台所と常磐は、ようやく都に辿り着き、五条の辺りに宿を取ると、先ず清水へとお参りに向かったのでした。明石殿の無事を祈って、深く祈誓を掛けていると、十八九の女房が、近付いて、話しかけて来ました。
「お見受けいたします所、深い思いがおありのようですが、こう申す私も、深い思いがあって、ここに参ったのです。と申しますのもこう言う次第なのです。播磨の国の住人で、明石の三郎重時様の御台様は、津の国の住人、多田の刑部という人の娘です。一昨年、熊野へご参詣の折、同じくご参詣の高松の中将殿に見初められました。中将殿は、明石殿の御台様を手に入れる為に、父の多田に明石殿を討つ様に命じました。多田は、いろいろと手を打ちましたが、討つ事ができず、とうとう、合戦となったのです。一日一夜の合戦で疲れ切った明石殿は、生け捕られて、奥州に流されたということです。かく言う私は、二条西の洞院(京都市中京区)の遊女、熊王と申す者で、明石殿が在京の折に宮仕えした者です。」
と、醒め醒めと泣くのでした。御台所は、心の内に、
『このような者まで、明石の身を心配してくれて、なんと心の優しいことか。』
と思い、涙に袖を濡らすのでした。それから、二人は終夜、語り合い、夜明けに泣く泣く別れをするのでした。御台様は、常磐に、
「常磐よ。明石殿は、陸奥という国で、まだ生きておられますよ。さあ、捜しに行きましょう。」
と言うと、立ち上がりました。御台所の心の内の哀れさ、何に例えん方も無し

つづく

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