目連記(八文字屋八左衛門板)⑤
羅卜尊者は、やがて檀特山にやってくると、釈尊の元を尋ね、舎弟の契約をなされました。
それより、釈迦の教えに従って、日夜学問をなされ、今は名を、目連尊者と呼ばれるように
なりました。目連は、神通第一の尊者として衆生を済度されたのです。
ある時、目連は、風邪の心地となり伏せた後、そのまま危篤状態に陥っていまいました。
もう亡くなってしまったと思った十大弟子、十六羅漢が驚いて、すがりつきます。人々
は、いくら神通具足の人であっても、生死の道には限りがあって、冥途へと行って
しまわれたのかと、嘆き悲しみましたが、どうも様子が変です。まったく死んだように
見えるのに、不思議と死骸の色も変わらず、温かいままなのです。
さて、目連は身体から離れて、冥途へとやってきていました。渺々(びょうびょう)
とした広い野原に一人立っているのです。そこに、七人の僧が花かごを持って現れ、御
経を読んでいます。目連は、近づいて、
「如何に、御僧様、私は、十五歳で母に先立たれ、誠に深い恩愛の契りにより、ここま
で参りました。ここの人々はどこにいるのか教えて下さい。」
と、言いました。御僧は、
「ここの人々の住み処は、閻魔王にお聞きなさい。閻魔王へ行く道は、この野原を越え
たの向こうで聞くと良い。」
と言うと、かき消すように失せました。目連は、言われた通りに野原を渡ると、そこに
は広い河原が見えました。さらに歩いて行くと、一人二人、三人四人、十人ほどの子供
達が、河原の小石を集めて塔を積んでいるでした。ひとつ積んでは父のため、二つ積ん
では久離兄弟、我が身のためと回向しています。やがて、子供達は、花園山に遊びに行
きました。桔梗、苅萱、女郎花などの綺麗な花を折り取っては、花の匂いを楽しみ、花
笠をこさえて遊んでいましたが、日が西に傾くと、急に花を振り捨てて、積んだ塔も引
き崩してしまいました。それから、西に向かうと父恋し、東に向かって母恋しと叫びま
した。その声が峰に木魂すると、父が来たかと峰に駆け上がり父を探し、谷に木魂が落
ちれば、谷底に駆け下りて母の姿を探します。どこを探しても、父という字も母という
字も無いので、子ども達は、河原に倒れ伏して泣き叫ぶのでした。
その時、地蔵菩薩が現れて、
「やあやあ、如何に子ども達よ。お前達の父母は娑婆にあるのだ。冥途での父母は、こ
の私であるぞ。さあさあ、ここへ来なさい。」
と言うと、子供達を錫杖で掻き集め、天の羽衣を掛けて寝かせ付けました。まったく
哀れなること限りがありません。目連は、これをつぶさに見て、その不憫さに涙を流し
ながら、地蔵に近づき、閻魔への道を尋ねました。地蔵菩薩は、
「あそこに見える大木の元に、姥が住んでいる。その姥に上着を渡して、道を尋ねなさい。」
と答えると、かき消すように失せました。それから、目連が大木の所までやって来ると、
さも怖ろしげな姥御前がおりました。(奪衣婆)姥は、目連を見ると、
「如何に御僧。御身の召したる上着を、こちらに渡しなさい。私は、しょうず川(三途川)
の姥である。御身に限らず、ここを通る者すべてを剥ぎ取るのが仕事じゃ。さあさあ、
早く渡しなさい。」
と言いました。目連は、
「仰せの通りに、上着を進ぜましょうが、閻魔王へ行く道を教えていただけますか。」
と言いました。姥御前は、
「お易いこと。この野原を通り過ぎれば、白銀(しろがね)でできた塀が現れ、その先
に黄金(こがね)の門が見えるだろう。そこが閻魔王の住み処である。」
と丁寧に教えたので、目連は喜んで上着を脱いで渡しました。姥御前は、これを受け取
ると、掻き消すように失せました。それから、目連は野原を渡り、ようやく黄金の門へと
辿り着きました。
中に入ってみると、瓔珞(ようらく)を下げ、七宝を散らした柱で作られた八棟造り
の館がありました。庭には、金の砂(いさご)が敷き詰められ、草木はなんとも良い香
りを薫じ渡らせています。目連は、赤栴檀(しゃくせんだん)の木の元に立ち寄ると、
その木の下でしばらく休みました。
すると、閻魔大王が獄卒を連れて庭に現れ、
「如何に目連、御身は、未だ、冥途へ来るべき人では無いぞ。いったいどうしてここま
で来られたか。」
と言いました。目連は、
「左様、娑婆よりここまで来たことは、外でもございません。十五歳で別れた母を一目
見るためにこれまで来たのです。どうか母に会わせてください。」
と、涙ながらに懇願しました。すると、閻魔大王は、怒ってこう言いました。
「御身の母は大悪人であるが故に、八大地獄へ堕罪した。その上、親子は一世の契りで
あるのだから、再び会うことなど許されぬ。早く、娑婆へ帰れ。」
これを聞いて目連は、
「それ、天地開けしよりこの方、有情(うじょう:衆生)は皆、父母の恩を忘れたこと
はありません。日頃より仏道修行を行い、一切の衆生が罪に落ちるのを助けようと志し、
難行苦行をしてきたのも、みなこれ、母の恩徳(おんどく)があったればこそです。
親孝行のために、母の居所を教えてください。」
と、頼みました。閻魔大王はこれを聞いて、
「これまでそのような例はないが、親孝行のためであるならば、仕方がない。
やれ、獄卒共、尊者の母は八大地獄に落ちておる。尊者にお供をして、母に会わせよ。」
と命じました。獄卒共は畏まったと、目連のお供をして、地獄を目指して急いだのでした。
つづく