猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ⑤

2012年02月08日 22時33分42秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)⑤

 羅卜尊者は、やがて檀特山にやってくると、釈尊の元を尋ね、舎弟の契約をなされました。

それより、釈迦の教えに従って、日夜学問をなされ、今は名を、目連尊者と呼ばれるように

なりました。目連は、神通第一の尊者として衆生を済度されたのです。

 ある時、目連は、風邪の心地となり伏せた後、そのまま危篤状態に陥っていまいました。

もう亡くなってしまったと思った十大弟子、十六羅漢が驚いて、すがりつきます。人々

は、いくら神通具足の人であっても、生死の道には限りがあって、冥途へと行って

しまわれたのかと、嘆き悲しみましたが、どうも様子が変です。まったく死んだように

見えるのに、不思議と死骸の色も変わらず、温かいままなのです。

 さて、目連は身体から離れて、冥途へとやってきていました。渺々(びょうびょう)

とした広い野原に一人立っているのです。そこに、七人の僧が花かごを持って現れ、御

経を読んでいます。目連は、近づいて、

「如何に、御僧様、私は、十五歳で母に先立たれ、誠に深い恩愛の契りにより、ここま

で参りました。ここの人々はどこにいるのか教えて下さい。」

と、言いました。御僧は、

「ここの人々の住み処は、閻魔王にお聞きなさい。閻魔王へ行く道は、この野原を越え

たの向こうで聞くと良い。」

と言うと、かき消すように失せました。目連は、言われた通りに野原を渡ると、そこに

は広い河原が見えました。さらに歩いて行くと、一人二人、三人四人、十人ほどの子供

達が、河原の小石を集めて塔を積んでいるでした。ひとつ積んでは父のため、二つ積ん

では久離兄弟、我が身のためと回向しています。やがて、子供達は、花園山に遊びに行

きました。桔梗、苅萱、女郎花などの綺麗な花を折り取っては、花の匂いを楽しみ、花

笠をこさえて遊んでいましたが、日が西に傾くと、急に花を振り捨てて、積んだ塔も引

き崩してしまいました。それから、西に向かうと父恋し、東に向かって母恋しと叫びま

した。その声が峰に木魂すると、父が来たかと峰に駆け上がり父を探し、谷に木魂が落

ちれば、谷底に駆け下りて母の姿を探します。どこを探しても、父という字も母という

字も無いので、子ども達は、河原に倒れ伏して泣き叫ぶのでした。

 その時、地蔵菩薩が現れて、

「やあやあ、如何に子ども達よ。お前達の父母は娑婆にあるのだ。冥途での父母は、こ

の私であるぞ。さあさあ、ここへ来なさい。」

と言うと、子供達を錫杖で掻き集め、天の羽衣を掛けて寝かせ付けました。まったく

哀れなること限りがありません。目連は、これをつぶさに見て、その不憫さに涙を流し

ながら、地蔵に近づき、閻魔への道を尋ねました。地蔵菩薩は、

「あそこに見える大木の元に、姥が住んでいる。その姥に上着を渡して、道を尋ねなさい。」

と答えると、かき消すように失せました。それから、目連が大木の所までやって来ると、

さも怖ろしげな姥御前がおりました。(奪衣婆)姥は、目連を見ると、

「如何に御僧。御身の召したる上着を、こちらに渡しなさい。私は、しょうず川(三途川)

の姥である。御身に限らず、ここを通る者すべてを剥ぎ取るのが仕事じゃ。さあさあ、

早く渡しなさい。」

と言いました。目連は、

「仰せの通りに、上着を進ぜましょうが、閻魔王へ行く道を教えていただけますか。」

と言いました。姥御前は、

「お易いこと。この野原を通り過ぎれば、白銀(しろがね)でできた塀が現れ、その先

に黄金(こがね)の門が見えるだろう。そこが閻魔王の住み処である。」

と丁寧に教えたので、目連は喜んで上着を脱いで渡しました。姥御前は、これを受け取

ると、掻き消すように失せました。それから、目連は野原を渡り、ようやく黄金の門へと

辿り着きました。

 中に入ってみると、瓔珞(ようらく)を下げ、七宝を散らした柱で作られた八棟造り

の館がありました。庭には、金の砂(いさご)が敷き詰められ、草木はなんとも良い香

りを薫じ渡らせています。目連は、赤栴檀(しゃくせんだん)の木の元に立ち寄ると、

その木の下でしばらく休みました。

 すると、閻魔大王が獄卒を連れて庭に現れ、

「如何に目連、御身は、未だ、冥途へ来るべき人では無いぞ。いったいどうしてここま

で来られたか。」

と言いました。目連は、

「左様、娑婆よりここまで来たことは、外でもございません。十五歳で別れた母を一目

見るためにこれまで来たのです。どうか母に会わせてください。」

と、涙ながらに懇願しました。すると、閻魔大王は、怒ってこう言いました。

「御身の母は大悪人であるが故に、八大地獄へ堕罪した。その上、親子は一世の契りで

あるのだから、再び会うことなど許されぬ。早く、娑婆へ帰れ。」

これを聞いて目連は、

「それ、天地開けしよりこの方、有情(うじょう:衆生)は皆、父母の恩を忘れたこと

はありません。日頃より仏道修行を行い、一切の衆生が罪に落ちるのを助けようと志し、

難行苦行をしてきたのも、みなこれ、母の恩徳(おんどく)があったればこそです。

親孝行のために、母の居所を教えてください。」

と、頼みました。閻魔大王はこれを聞いて、

「これまでそのような例はないが、親孝行のためであるならば、仕方がない。

やれ、獄卒共、尊者の母は八大地獄に落ちておる。尊者にお供をして、母に会わせよ。」

と命じました。獄卒共は畏まったと、目連のお供をして、地獄を目指して急いだのでした。

つづく

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忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ④

2012年02月08日 20時30分56秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)④

 さて、一方がくまん殿は、父母の教えに従って、日夜の学問を怠らずに日々を送って

おりましたが、光陰矢の如し、巡り来る春秋を迎え送りして、今は早、御年十五歳になられました。

がくまん殿はある時、不思議な夢を見ました。王宮の母上が病気になり亡くなってしま

うという夢でした。がくまん殿は、正夢かと思いつつも、とにもかくにも戻って来いと

いう知らせと思い、都へ帰ることにしました。しかし、都を出る時に、母上から、僧に

なってから帰れと言われていたので、まず羅漢の所に行って、出家を願いでました。

羅漢は、これを許し、「羅卜」(らぼく:目連の本来の名)と名付けられました。

 羅卜は、解脱の衣を召され、三重の袈裟を掛け、その伝法四依(でんぽうしえ)のお姿

は、誠に有り難い限りです。やがて、羅卜は心細くも只一人、墨の衣に身をやつし、一

女笠(いちめがさ)で顔を隠して、細い竹の杖を突いて耆闍崛山を後にしたのでした。

 ようやく都の王宮に辿りついた羅卜は、早速に父大王に会いに行きました。大王は、

息子の帰京を驚きこそしましたが、押し黙って、やがてさめざめと涙を流しました。

不思議に思った羅卜は、

「私は、父母の教えの通りに僧となって、今戻りました。それを喜んでいただけずに、

お涙を流していらっしゃいますのはどうしてですか。」

と、聞きました。大王は涙の暇より、

「それは、外でも無い。お前の母が、七日前に亡くなったのだ。」

と、言えば、はっとばかりに羅卜も、なんということだ間に合わなかったのかと、父の

袂にすがりついて、消え入るように泣き崩れました。その座の人々も、げに道理、理と、

一度にどっと泣くばかりです。いたわしの羅卜は、涙の暇よりこう口説きました。

「父、母に再びお目に掛かると、固く誓ってきたのに、今はもう夢となってしまったか。」

羅卜は、天を仰ぎ、地に伏して、さらに嘆き悲しみました。

 そこに、衣一巻が運ばれてきて、母上の御形見であると、渡されました。羅卜は、こ

の衣をご覧になって、

「これは、有り難や。母上が私のために心を尽くして織ったこの衣も、最早、形見とな

ってしまったのですね。」

と、さめざめと泣くのでした。やがて、羅卜自らが読経して、しめやかに弔いが行われました。

母の葬儀が終わると、羅卜は、

『これからは、釈尊を頼み、さらに仏道修行を極め、父母の御ため、末世衆生に至まで

助けよう。』

と、思い定めると、大王に暇乞いをして、再び只一人、檀特山へと帰って行きました。

羅卜の心の内、哀れとも中々、申すばかりはなかりけり。

つづく


忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ③

2012年02月07日 00時01分41秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)③

 そのような事件があった年も終わり、翌年の春のこと、内裏の臣下大臣達は、大王様

を慰めようと、相談をしました。時も青陽(せいよう)の花盛りですから、花を沢山献

上しようということになりました。早速に、それぞれが色々な花を持って御前に献げた

のでした。大王も喜んで、花を眺めています。栴檀(せんだん)、胡蝶蘭、芍薬と、色

とりどりの花が並んでいます。大王が、美事な花であると愛でていると、やがて花は萎

れていきました。これを見た大王は、暫く考え込みました。

「ああ、世間の衆生は、この風雅の花よりも脆いものだ。まったく、朝には、血の気も

盛んで、万事世渡りをしたにしても、夕べには白骨となって広原に朽ち果てる。この従

前の春の花がその理(ことわり)を我に教えている。今となって、一番大事なことは、

一人残った太子を僧にして、父母の末の闇路を導いてもらうことであろう。」

やがて、大王は決心すると、がくまん殿をよびました。

「がくまんよ。御身はこれより東、耆闍崛山(ぎじゃくせん:霊鷲山に同じ)に上がり、

羅漢を頼み、学問をし、父母が後の世を助けてもらいたい。今のこの別れが後の歩みと

なるであろう。」

とは言うものの、大王も恩愛の契りを捨てがたく、涙を押しぬぐい別れを惜しみました。

がくまん殿も名残惜しく思いましたが、父の宣旨を重く受け止め、早速に旅の用意をしました。

御台所も、がくまん殿の袂にすがりつくと、涙ながらに、

「御身は、山へ上がってしまうのですね。仏道修行の道ですから、心弱くてはいけません。

羅漢の元に行ったなら、王宮のことははったりと忘れ、学問に精出して修業し、次に会

う時は、沙門の姿に心を変え、袈裟衣を着て来るのですよ。尊き僧になれないならば、

母を持ったと思うなよ。私も子を持ったとは思いませんからね。」

と、気丈に言いましたが、言うなりわっと泣き伏してしまいました。しかし、いつまで

も泣いていては出発できませんので、女房達が押し隔てて、御台を奥の一間へと連れて

入りました。がくまん殿も涙ながらに王宮を後にしたのでした。

 耆闍崛山に着いたがくまん殿は、羅漢を頼んで弟子入りし、それより、見聞に机に肘

を置き、経綸に眼を曝して、日夜学問を怠りませんでした。

 これはさておき、がくまん殿を送り出した御台所は、こんなことを考えました。

『我が子は、優秀だから、学問はきっと世に秀でて、釈尊や阿弥陀も越えてしまうだろう。

その上、我にどんな罪があっても、来世は我が子に導かれて極楽浄土に行けることは間

違いない。そうであるならば、この世は僅かの仮の宿。なにも真面目に一生懸命に生き

ることも無い。もっと悪いことを沢山して楽しんで生きる方がよいわ。」

それからというもの、御台のすることはまるで鬼のようでした。堂塔伽藍に火をつけて

喜んだり、親類縁者との行き来もせず、自分の欲しいものは奪い取り、気にくわない者

がいれば、国外に追放し、身内にも外様にも、意地悪なことばかりしました。人々が御

台を嫌ったのは当然のことですが、これを仏神が黙っておくわけはありません。ある時

御台所は、突然に風気(風邪)に襲われ、病の床に伏してしまいました。

 驚いた大王が、様々看病しますが、遂に御台は最期の時を迎えました。御台もいよい

よ最期と思って、衣一巻を取り出させて、こう言いました。

「これは、私が自分で織った衣です。もし、太子が帰ったならば、これを形見に与えて

下さい。ああ、名残惜しの我が君様、さらば人々よ」

これを最期の言葉として、とうとう亡くなってしまったのでした。

 さてその頃、地獄の閻魔大王は、獄卒共を集めてこう言いました。

「いかに者ども、娑婆世界、クル国大王の后は大悪人であるから、引っつかんで参れ。」

畏まったと獄卒どもは、どっとばかりに火の車を轟かし、雷電稲妻の凄まじさは、天地

に響き渡りました。あっという間に御台の死骸を引っつかむと、虚空を差して消え去っ

たのでした。

 地獄に着くと、御台は火の車より下ろされて、今度は邪険の杖で叩かれて、歩け歩け

と責め立てられました。御台は、余りの苦しさに、手を合わせると、

「のうのう、許してください。」

と、血の涙を流して懇願しました。しかし、獄卒どもは怒って、

「やあやあ、おのれに説法してくれん。この極悪住人め。無駄方便。汝が娑婆にて作り

し罪を責めるのだ。さあ、こっちへ来い。」

と、引きずると、やがて閻魔大王の前に引き据えられました。大王はじろりと睨み付けて、

「如何に、見る目嗅ぐ鼻。さあさあ、上品の鏡(浄玻璃:じょうはり)にかけて、こい

つの科(とが)の有様を見せよ。」

と、命じました。すると、鏡には次々と御台の悪行が現れ、娑婆で作った罪科が残らず

映し出されました。大王は、

「それ、罪人に八つ裂きの苦しみを与えよ。」

と、命じると、獄卒どもは、手を取り、足を取り、宙に吊り上げて責め立てました。

いたわしいことに、あまりの激痛の声も出ません。ようやく少し息を継いだ御台は、

苦しい息の下で、涙ながらに懇願しました。

「ああ、獄卒達、言わせてください。例え罪は重くても、女の身でありますから、この

苦しみはご勘弁ください。別の苦しみにしてください。」

これを聞いた獄卒は更に怒って、

「愚か者目、どの地獄も並大抵のものではないぞ。では、無間地獄の苦しみを見せてくれん。」

と言うと、真っ逆さまに吊り上げて、はったとばかりに突き落とすと、剣の山へ登れ登れと、

責め立てます。こんな山をどうやって登るのかと泣き伏していると、獄卒は鉄棒を振り上げ、

散々に打ち立てます。御台はあまりの恐ろしさに、目をふさいで思い切り、一足出せば、

さっと裂け、二足踏めばさっと切れ、吹き出す血も夥しく、全身朱に染まって泣くより

外はありません。大王はこれをご覧になり、

「如何に罪人。お前の罪の深さは八万由旬(ゆじゅん)の須弥山よりも、なお深い。

それそれ。」

と言うと、誠の奈落に落としました。かの御台の有様は、哀れともなかなか申すばかりはなかりけり。

つづく

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忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ②

2012年02月06日 20時19分15秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)②

 そんなことがあったとは、夢にも知らない大王は、御台を近付けると、

「時に、今は秋の末。しかも、今宵は空も晴れ、月の光に隈もない。南表に出て、月を

愛でて楽しもうではないか。兄弟の者達を連れて参れ。」

と、言いました。

 やがて、大王が南表に出てみると、多くの女房達を引いて御台所も既にお出でありましたが、

御台が連れていたのは、「がくまん」だけでした。これを見た大王は、

「無惨なことだ。「ほうまん」は、常に母から憎まれ、この一座に誘う者も無く、さぞ

や無念に思っていることであろう。」

と、ほうまんのことを一入(ひとしお)哀れに、愛おしく思われて、御前に女房達を呼ぶと、

「どうして、ほうまんは遅いのじゃ。連れて参れ。」

と、言いました。女房達は、あちらこちらと、ほうまん殿を探し回りましたが、姿が見えません。

どうしたことだと怒った大王が、南表の広縁に立ち出でて見てみると、花園の中に、月

の光に光っている物が目に入りました。大王はふしぎに思い、若侍を見にやらせました。

すると、なんとしたことでしょう。それは、探していたほうまん殿の変わり果てたお姿

でした。驚いた若侍達は、大王の前に遺骸を運びました。あまりに突然のことに、どう

してこんなことになったのだ、誰の仕業じゃと、大王は死骸に取り付いて押し動かしま

すが、どうしようもありません。死骸にすがり付いて泣くばかりです。そうこうしている

と、死骸の懐から、文が落ちました。大王が急いで開いて見ると

『私が、思い立つたとは、大変恐れ多いことではあります。私は、父上をお恨み申し上

げています。私は、もう死にますが、がくまんを良きに養育してください。そして、私

の菩提を弔ってください。名残惜しの父上様。』

と書かれていました。これを読んだ大王は、それほどまでに苦しんでいたのか、可哀相

なことをしたと、肝も魂も無くして死骸に泣きつくばかりです。人々の嘆き悲しみの深

さも、いかばかりか言うもでもありません。しかし、いくら嘆いても、若君は帰りません。

やがて、しめやかに野辺の送りが営まれました。その後、いったいだれの仕業なのか、

大王の御前で様々と評議がなされましたが、皆、色々なことを言うでけで、犯人は分か

りません。しかし、大王はあることに気がつきました。

「ほうまんが、このようなことになってしまっているのに、乳母(めのと)の荒道丸が

居ないのはおかしい。どうした訳じゃ。急いで出仕するように申し付けよ。」

 急ぎ荒道丸の所に使者が立ちました。待ち受けていた荒道丸は、いよいよ来たかと、

立ち上がると、使者にこう言いました。

「我が、がくまん殿を、討ち殺したことは、かねてよりの企み事である。これより、自

害するので、検死をされよ。」

これを聞いて驚いた使者は、慌てて御前に戻り、荒道丸の言ったことを大王に報告しました。

これを聞いた大王は、

「さては、荒道丸は、がくまんを殺そうとして、誤ってほうまんを殺したのだな。者ど

も、急ぎ荒道丸を捕まえて参れ。詳しい事の次第を調べよ。もし、刃向かうのであれば、

討ち取ってもかまわぬ。」

と、怒りを表して下知しました。

 侍達は、我も我もと荒道丸の館に押しかけ、二重三重に包囲すると、鬨の声をどっと

あげました。荒道丸は、門外に跳んで出て、

「我を討ち取ろうとて、そう易々と討たれるわけには行かないぞ。我と思わん者あるな

らば、押し並べて組んで取らん。いかにいかに。」

と、受けて立ちました。すると、寄せ手の軍勢の中から、朱王丸と言う者が跳んで出ると、

「如何に、荒道。譜代相伝の主君を殺したばかりでなく、我ら朋輩に楯突くとは、悪逆

不道の侍。汝、鬼にもせよ餓鬼にもせよ、この朱王丸が踏みつぶしてくれん。」

と名乗りを上げました。荒道丸は、これを聞いて、

「何、譜代相恩の主君だと。がくまん殿は譜代相恩の主君にあらず。ただ、当代の主君

にすぎず。」

と、言い返しましたが、朱王丸はカラカラと笑い、

「ははあ、さては汝は、人違いをして、ほうまん殿を討ったのか。汝が殺したのは、ほ

うまん殿であるぞ。その様な胡乱(うろん)なる侍とは、問答無益。いざ、踏みつぶせ。」

と、言うなり、朱王丸を先頭に寄せ手の軍勢は、一度にどっと攻め寄せて来ました。

 荒道丸が門外に切って出るその時、女房は、押しとどめ、

「二世まで契る夫婦の仲。例え土に骨を埋めようとも、どこまでも一所ですよ。」

と、言うと、白綾たたんで鉢巻きし、大口袴をはいて、白柄の長刀を掻い込みました。

夫婦揃って、門外に切って出ると、ここを最期と戦いました。荒道丸が手に掛け切った

人数は数知れませんが、女房の長刀で薙ぎ付せられた強者は、三十六騎でした。残った

軍勢を四方へ追い散らすと、夫婦は手に手を取り合って、とある所に腰を下ろして、よ

うやく一息つきました。荒道丸は、

「さてさて、夕べに斬り殺したのは、ほうまん殿であったのか。こうなった上からは、

急ぎ君の後を追い、冥途の御供を致すとしよう。」

と言うと、嬉しげに鎧の上帯を切って捨て、腹を十文字に掻き切りました。そうして、

女房を振り返ると、

「女房、如何に。」

と、叫んだのでした。女房は、これを見るなり、心得たりとばかりに太刀を手にすると、

ばっさりと首を切り落とし、自分は、返す太刀を口にくわえ、やっとばかりに打ち伏せ

たのでした。あっぱれ夫婦の自害の有様、誉めぬ者こそなかりけり。

つづく

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大雪の新潟 猿八座新春公演 信太妻 終了

2012年02月06日 17時06分58秒 | 公演記録

 昨年より、新潟に通うようになって初めての冬ですが、日本海側の天候そのもの厳しさと、その激変の恐ろしさを、身を以て体験して参りました。若い頃は雪を求めて山に入ったのに、今や雪の中で生活するだけで疲れます。それにしても、自動車走行中の地吹雪というのは怖ろしいものです。

 さて、そのような何年に一度という豪雪にもかかわらず、新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)能楽堂に、2回とも百人を越える皆々様方にお運びを頂き、誠にありがとうございました。

 能舞台に乗るのも初めてでしたが、そこで人形浄瑠璃を語る機会を与えていただき大変光栄に思いました。今回の企画を運営していただいた新潟大学人文学部地域文化連携センター長の栗原先生、ならびに同大学の鈴木先生に深く感謝申し上げます。

Cayxcdgz 雪のりゅーとぴあ

Dscf0079 能舞台での舞台設営

Dscf0130 舞台風景


大雪の新潟にて

2012年02月03日 09時04分46秒 | 猿八座
大雪の新潟にて
2月4日の新潟大学主催の猿八座信太妻公演のために、新潟入りしました。雪の量もさることながら、強風による地吹雪が猛烈です。明後日の公演日の天候は少しはよくなりそうですが、道路の除雪が間に合わず、会場に入るだけでも、神経を使います。雪国の冬はやはり厳しいです。