私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

今日の探索 旧水津坂隧道・他

2018-07-24 | 沼津そして伊豆周辺
 今日の探索は、井上靖翁の自伝小説たる「しろばんば」に出てくる旧三津坂隧道(トンネル)を目指すことにした。途中、本通から恣意的に旧道に切れ込み、左右の風景を眺めながら行く。予想通り、昭和の前期から中期ぐらいの建物がけっこう多く残されていて面白い。それにしても、道幅は4m弱しかない細い道だが、往時は交通量は少ないとはいえ、ここをバスやトラックが走っていたのだから驚く。

 この旧道は、当たり前のことだが往時は本通りであるから、ここは元自動車修理屋だとか商店だとか、古めかしい看板があって非常に興味が湧く。クルマで走るとディティールが飛んでしまうので、涼しい季節にゆっくり歩いて探索したいところだ。それでも大きな木が目立つ八坂神社前に駐車して若干見学する。樹木の種別には疎いが、ブナだろうか。太さから想定して結構な樹齢だろう。

 神社の脇に、たぶん津波避難用に作ったのだろう階段があるので、上って三津浜の海辺を眺めやる。ちょっと変わった船形の船がある。「OKI SEATECⅡ」とロゴが見える。この地にあるOKIシーテックという企業の船の様だ。この企業、電気関連のOKI電気系列の企業だろうと思いつつ、帰宅してからNetで調べると、企業沿革で旧海軍からの間接的な移行と現在の防衛省との関係を伺わせる記載がやはりあった。沼津は、大戦中に駅の北側に広大な用地を接収(強制移転を命じた)した海軍工廠があった。こちらかは、主に無線機だとか電探(レーダーのこと)を作っていたらしいが、電探は米に大きな遅れをとったのも負けた理由の一つだ。この海軍工廠とは別に、現在の三中および第三地区センターの地に、海軍音響研究所というのを作っており、この実験場が淡島とか内浦、大瀬崎にもあったらしい。要は海の音響とは、ソナーとかホーミング魚雷(敵艦の音とを追尾する)、水中通話や、自艦音を自然ノイズに溶け込ませる技術などがあるらしい。

 ところで先日沼津の水と柿田川湧水のことを記したが、やはり旧軍との関係があった様だ。それは海軍工廠ではなく、先に記した海軍音響研究所への給水が柿田川から実際行われていたという以下の記述を発見した。

海軍遺産・沼津の水道の歴史資料 著:今井三好 氏

http://akindo3.omiki.com/suidou.html

 さあ、事前見物も済ませて、三津坂を上り新三津坂隧道(S36年竣工らしい)をくぐるが、ここもセンターラインありとはいえ、大型同士だとちょっと離合が難しい幅員しかない。この新トンネルを出て50mも行かないで細い右折路に入り、突き当たりを右手に旧トンネルの入口がうっすら見える。バックでトンネル入口のバリケード(真ん中に通行不可の看板だけ)近くまで付ける。歩いてトンネル入口ポータルまで行くが、ポータルには隧道名が記してあるのかどうか、苔むして判らない。入口から覗くと出口がそれ程遠くに感じられず見えるので、長さは大してない様だ。(Net記述で170mだと)当初、トンネル内を歩いて、井上靖翁の小説にある様に、三津浜の風景が忽然と現れるかを確認したかったのだが・・・。どうやらトンネル内の漏水が酷く、床のぬかるみが酷いことから断念した。ここを通って見たいなら、長靴履いて挑戦した方が良いだろう。

 帰宅してからNetで同トンネルのことを種々のページで調べてみるが、旧三津坂隧道とも長瀬隧道(この地区の字名)とも呼ばれるらしい。驚いたことに、古いトンネルで有名な旧天城隧道(445m・明治37年竣工)より、この旧三津坂隧道(170m・明治29年竣工)の方が8年古いという。明治29年は1896年だから今から122年も前の竣工ということになる。実用価値はないが、ある程度整備して文化遺産として役立たせることは出来ぬものかと思う。幾度もの大地震にも耐えてきた訳で、崩落の危険はないだろう。漏水は、それなりの導水路を作れば解決出来る様にも素人ながら思えるのだが。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。