評論家(コメンティターも含む)というものを信用もしないし嫌悪感すら抱くことが多いです。ここで云う評論家とは、そのジャンルにおける評論を業とするもののことです。
我が国は一応憲法でも保障された、公序良俗に反しない限りにおいて言論の自由が保証された社会です。しかし、大物になればなるほど、その発言には何かバイアスが作用しているのではないかと感じる局面は多いものです。
原発なども、正にそうで、事故前から今次のような巨大事故は、地球全体が破壊するほどの巨大隕石と衝突する様な考えられないような微細な確率であって、考慮する意味がないと一笑に付してきた大学教授(御用学者)や技術者がどれだけいたのでしょうか。そして事故後も、政府の後押しを補佐すべき、如何に安全かを垂れ流して来ました。
好きなクルマのインプレッションなどを見ても、讃歌の連続で、欠点を指摘したとしても微々たる問題にもならないことです。こんなの読むと(最近はまず読みませんが)、こいつらメーカーから、それなりの供応を受けて宣伝しているだけじゃないかと思わざるを得ません。
評論家、学者、技術者、ジャーナリストという職業は、誰のために情報を提供しているのか。広く人々の役に立つためでしょう。それが、自分の実入りや地位などのため過ぎるが見えすぎる様に感じます。