ところは沼津市内浦の夕暮れです。海沿いの道を歩いていると、浜風が身に染み通ります。
右手に見えるのは淡島です。民家はありませんが、ホテルや水族館があるレジャーアイランドです。しかし、先の大戦中にこの島に魚雷など海軍の試験場があり使われたと聞きます。そして、この、内浦、靜浦などスルガ湾の奥各地の海岸線に沿い、写真の様な洞窟様の横穴が今でも多く残されています。これが大戦末期の米国軍の上陸作戦に備えるための特攻船「震洋」や「回天」の格納庫であったことを知る方も少なくなっているでしょう。戦争は狂気を生みますが、特攻戦は正に最大の狂気であるでしょう。しかし、それを立案し指揮した人物が、得てして自らが特攻を行うことなどなく、戦後のうのうと活躍していることを憎まざるを得ません。
追記 2019/11/13
上記記事では戦争の狂気と記してはいますが、単に狂気と決めつけるべきではないと最近は思い直しています。それは作戦に参加した多くの兵隊達は必ずしも命令に嫌だと思いつつ隷属した訳でもないだろうということです。自らの特攻行動が、追い詰められた日本の状況を改善することはないとは理解しつつも、おめおめと負けを受け入れられるものではない。あくまで抵抗し続け、国を守ろうという自発的な個々の思いから出て来たものであろうと思うからなのです。
このことは、先勝国たる米軍を怖れさせ、戦後の東京裁判、言論統制、焚書の指定と破棄となって表れたのでしょう。しかし、戦後70年を経て、憲法すら改定できず、由比諾々と米国に従うことを是とする国民に、特攻してまで国を守ろうという心は残っているのだろうかと考えてしまいます。
右手に見えるのは淡島です。民家はありませんが、ホテルや水族館があるレジャーアイランドです。しかし、先の大戦中にこの島に魚雷など海軍の試験場があり使われたと聞きます。そして、この、内浦、靜浦などスルガ湾の奥各地の海岸線に沿い、写真の様な洞窟様の横穴が今でも多く残されています。これが大戦末期の米国軍の上陸作戦に備えるための特攻船「震洋」や「回天」の格納庫であったことを知る方も少なくなっているでしょう。戦争は狂気を生みますが、特攻戦は正に最大の狂気であるでしょう。しかし、それを立案し指揮した人物が、得てして自らが特攻を行うことなどなく、戦後のうのうと活躍していることを憎まざるを得ません。
追記 2019/11/13
上記記事では戦争の狂気と記してはいますが、単に狂気と決めつけるべきではないと最近は思い直しています。それは作戦に参加した多くの兵隊達は必ずしも命令に嫌だと思いつつ隷属した訳でもないだろうということです。自らの特攻行動が、追い詰められた日本の状況を改善することはないとは理解しつつも、おめおめと負けを受け入れられるものではない。あくまで抵抗し続け、国を守ろうという自発的な個々の思いから出て来たものであろうと思うからなのです。
このことは、先勝国たる米軍を怖れさせ、戦後の東京裁判、言論統制、焚書の指定と破棄となって表れたのでしょう。しかし、戦後70年を経て、憲法すら改定できず、由比諾々と米国に従うことを是とする国民に、特攻してまで国を守ろうという心は残っているのだろうかと考えてしまいます。