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ルポルタージュ・損害調査員 その1【アフロス】

2022-06-15 | コラム
ルポルタージュ・損害調査員 その1【アフロス】
 損害保険の収入保険料(収保)は約60%程が自動車保険であると云われている。これが、昭和30年(1955)代前半まで、未だ庶民が自家用車を持てる時代でなく、現在の大手損害保険会社名が○○海上火災とか付されている様に、損害保険の収保は自動車は極少なく、海上船舶保険と火災保険に大きな比重があった。ところが、昭和30年代後半以降に至り、正にモーターリゼーションという名で日本の自動車保有台数はうなぎ登りに上昇し、それに伴い自動車事故も著しく増え、年間死者が昭和45年には年間死者が16千名を超える事態に至った。つまり、自動車の事故率は、そもそも船舶とか火災保険に比べると事故率が桁違いに高いところに来て、その保有台数が著しく増加したのでこの様な事態になり、各損害保険会社も自動車保険の需要増加に合わせて積極的に自動車保険の販売に力を入れ始め、現在の様に、損保における主力保険が自動車保険の時代となったのだ。

 この自動車保険の大拡販の時代に、損保は保険契約者のニーズに応じて、対人、対物、搭乗者傷害、車両などの担保種目別に販売しており、当初は対人、対物などの示談代行を行うことはしかなったのだが、まずPAP(Package Automobile Policy)という保険の組み合わせ商品が開発されると共に、対人示談代行サービスは付帯する時代になった。その後、SPA(Special Automobile Policy)という商品が開発され、対人だけでなく対物示談の代行サービスも提供されることになって、金融ビックバン以降、損保業界の大合併が起こり、保険料の自由化もなされ、あまりPAPだとかSAPという言葉も聞かなくなったが、対人および対物保険では、示談代行サービスが付帯するのは半ば当然のことになっている。

 今回から、10数年前までの損害保険会社所属の調査員(技術アジャスターと云われる)時代の、ちょっと思い出深い出来事を、ルポルタージュ的な記録として記して行きたいと思う。毎回テーマを変えて、シリーズものとして記して行きたいが、合計でどの程度書けるが明確ではないが、10話程度は書ける余地があるのでないかと予定している。

 第1回の今回は、拙人が損保調査員になって約3カ月程経たある事案への関わりなのだが、端的に記せば、アフロス(アフターロス:事故後に保険を加入し事故日などを虚偽申告する事故)事案の事故だ。

 未だ調査員になり数ヶ月でしかも年齢も30才を若干下回る程度であったから、未だ未知の事案に狼狽えつつ対応する時代だったと回想する。そんなある日の立会なのだが、調査員は当日朝とか前日夕刻などに事故受付表という保険会社が契約者からの事故の報告を受け付け、各種情報を書き込んだ書類を元に、各種調査を行うのだが、その案件は車両保険の単独自爆事故で、受付表には添付の様な図(Fig.1)が描かれており、比較的近隣の国道山岳道路の下り坂右カーブで運転操作を誤りガードレールに契約車両を衝突させ損壊させたというものだった。


 この時代、調査員になって月日が浅く、立ち会う工場は初めて伺う工場が多く、該当工場も初めて伺う工場だった。挨拶もそこそこに作業ベイ数が5、6台程度の大規模工場とは云えない工場の一番奥にその契約車両はあったのだが、添付図(Fig.2)の状態を見た瞬間、これはと急速に心拍数が上がる緊張が走ったものだった。


 それは、右カーブのガードレールに衝突したものなら、左前部が中心に損傷していなければおかしいし、フロントバンパーに多少のキズはあるとは云え、まともにバンパーを押し込んだ状態でない。つまり、フロントバンパーの上部であるヘッドライトやグリルの高さ付近とフードが車幅全般に押し込まれた損傷であり、これは典型的には追突車の損傷として添付図(Fig.3)の様な情景を想定したのだ。つまり、追突車はノーズダイブで車両前端が沈み込み、被突車は同じく急制動中であればノーズダイブの反作用としてテールリフトが生じているから、あたかも被突車の下に潜り込むことで、前記した様な損傷になるだろうと想定した訳だ。


 これはヤバイなあという緊張感を持つが、そんなことはなるべく工場には表さない様に留意しつつ、「何時預かったんですか?」などと質問するが、事故受付と不整合する回答はない。そこで、車両の観察を微に細に行い、付着塗料がないか、錆の状態はどうかなどを中心に観察しつつ、直接損傷の高さの上下限の高さを記録した。なお、錆については、ほとんど生じていなかったし、車両の被損傷部(屋根とかトランク)にも埃が積もっていることもなかった。

 そんな、緊張感を持った立会と損傷記録を行ったが、端から見積を取ろうという意識での車両観察は一切せぬまま、工場にはまた作業途上を見せてもらうかもしれない程度で帰社した。

 これは、事故報告と相当異なるが、もしもガードレールに対し、垂直に急制動して衝突していれば、類似の損傷もあり得るということなどを帰りの運転中に思考しつつ帰社したのだった。

 こうなれば、まずは現場となるガードレールを見て、事故状況と云うか事故の再現を思考しなければしょうがないだろうということで、契約者に電話連絡を入れた。あくまで疑っているという気振を示さない様に、「ガードレールの損傷はどうでしょうか?」、「ガードレール損害は対物で見ることもできますし、そのまま放置して後でお宅様が原因者だと判ると請求を受けますよ」などと聞いて見たところ、「いやガードレールはほとんど傷んでいないからいい」と言い返されたので、「こういう車両単独事故は、事故現場を確認する規則になっていますので、事故現場に行きたいと思いますので細かい位置を教えて下さい」と質したのだった。その回答は、「いや今見てもほとんど判らない、実はガードレールの凹みを自分で直したんだ」という回答を受け、そりゃないだろうという思いを持ちつつ、その際の電話を終えたのだった。

 ここまで来ると、最初の驚きと疑問が確信に近いものとなって来る。しかし、このまま、明確な証拠がないまま嘘だろうと戦うまでの証拠はない。そこで、当時の査定センター長と、かくかくしかじかと事故損傷写真を見せて説明し、契約者聴取もしたが、ガードレールを自分で直したと信じかねることを云っている。自分の見立てとしては、この契約車は他の車に追突した状態が想定できる損傷だと云うことを報告したのであった。そこで、センター長としては、警察に強い調査機関に依頼し、契約車事故について警察中心に調査を行ってもらうことになった。約2週間後その報告が1枚の交通事故証明書と共に持たされたのだった。つまり、本事故報告より約2カ月前の某日、契約車が第3者に追突する事故証明書が明示されたのであった。

 当然、このことは査定センター長から扱い代理店を通じて契約者に通達してもらった。また、修理工場には、本事故は、修理工場は完全にこの虚偽報告に加担し、事故直後に車両を預かり、工場内でカバーを掛けるなどして保管していたことが想定できたので、何ら話しもしないまま過ぎた。ただし、工場がこういう虚偽に絡んでいない可能性がある事故だとしたら、速やかにことの事実を伝え、無用な工場の損失を防止することを考慮しなければならないのは当然の報告義務があるだろう。


#損害調査員ルポルタージュ #モラルリスク事案


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