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教養を思う その2

2022-12-25 | コラム
教養を思う その2
 教養たる広範な知識とか、そもそも人としての視野の広さや情感の豊かさというのは、端的に結論付ければ、その人物の読書量とある程度相関するように感じている。これは必ずしも読書でなくても、新聞、インターネットの各種情報などでも同等の効果はある様にも思えるが、これらには新聞とかメディア情報には、ある種の偏向というフィルターを通過しているということがあるし、Netメディアだと、情報の集中度が薄いとか、ゴミに類する根拠のない未整理かつ、なるべく短文で結論だけを記しているものが大過ぎるという管を受ける。

 そもそも、ものごとを文書にして表すと云うことは、そこには結構口述だとまやかすことができる論理矛盾が表出し易いということがある。そういう点で、例え小説でも、起承転結の論理がしっかりした文章を繰り返し読むことが、自ら作る文章力を鍛えることになる様に思える。

 ところで、あることに感心を持ったり、ある人物に思想を知ろうと思うと、その事柄とか人物を記した伝記のたぐいの本をできるだけ集中的に読んでみるということがある。

 ちょっと以前に、先の大戦前後に中島飛行機を創業した中島知久平氏に感心を抱き、3冊程の伝記のたぐい本を読んでみた。以下表紙を切り取った3冊の本だ。これらは、図書館で検索して見つけたり、Net検索で見つけ、メルカリで中古本を見つけ入手したのだった。

 その1冊として、これは書店やアマゾンで新本買ったら、強く後悔したと思うが、著者は大学教授らしい出版社も日経だし、本の装丁も文庫でなく、もっとも立派で付された価格ももっとも高価だが、その内容はあまりに下らないと云う現実を知る。つまり、そもそもの著者の教養がと云うレベルでなく、そもそも文章能力の欠落があり、日本語の正しい文脈として文章が成立していないと云う酷さだ。こんな人物のい教育を受けたら、どういう教育効果が生まれるのだろうとも思う。ちなみに、こういう駄本を通読する根気はなく、早々にパラパラと眺めつつ、酷い本だと結論付けるしかなかった。

 ちょっと話しを変じるが、前日記したメンタ第五某とか、自分の背景に多数の本を並べた画像を掲載したり、Youtubeなどで一月万冊とか云っちゃって、これは月に万冊とはいえないが数千冊本を読むと本人は自称している様だが、その離す言説を聞く都度、その様な多くの本を読んで得られた教養高さなど、いささかも感じられないということがある。こういう人物は、読書量が教養に相関すると云うこと事態は意識しているのだろうが、そのことを単なる看板にしているのであって、まったく評価するに値しない人物だろうと結論付けているところだ。

 また、国会議員の執務室とか、弁護士事務所の執務室など、その背後に書棚があり、それなりの部厚い諸本が並んでいる光景を時々見るのだが、こういうのも、看板代わりと思うところで、それなりの言説なり、わざとKY(空気を読まない)な質問をすることで、その回答でだいたいレベルが露呈すると思える。

 このKY質問だが、まるでピントの狂ったトンマな質問をするのは問題外だが、あえて本質を突くKY質問をすることは、良いことだと思っている。だいたい、そういう極面で、怒り出したり決め付けたりして来る人物は多くの場合ニセ者と判じられるからだ。


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