私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

ホンダの変質

2017-02-11 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 かつて、ホンダというメーカーに非常に感心を持って眺めていた。その理由は、創業者の宗一郎さんの言葉、副社長だが実質社長たる指揮を執っていた藤沢武夫さんの逸話、中村良夫さんの著述、4代目社長となった川本信彦氏が技術者時代に退社してコスワースでエンジン設計やりたいと言い出したのを止められた逸話などなど、門外漢が知り得て感心させられる話が多いからだと感じる。それにしても、ホンダの関係者については、当事者本人の著述や他者による論評にしろ、様々な語り継ぐ逸話が多いのは何故だろう。トヨタやニッサンでも、社内的なものは当然として幾らでもあるのだろうが、広く世に記録されるものが少ないと感じる。このことは、ホンダという企業の社風たるスピリットがあったればこそ、生み出されてきたのだろうと想像する。

 ホンダを有名にしたこととして、二輪車の活躍はもちろんのことF1グランプリでのエンジン供給メーカーとしての活躍による刺激もあっただろう。しかし、2輪車では、ヤマハ、スズキ、カワサキとそれなりに世界的な活躍をしてきた。しかし、これら他メーカーからの、心に残る逸話は聞こえてこない。

 元々オートバイメーカーのホンダが、未だ4輪車の生産を始める以前の小規模メーカーの時点(1962年)に、鈴鹿サーキットを作ってしまったことには驚く。トヨタの富士スピードウェイを買収取得は、比較的近年のことだ。

 ホンダの4輪車販売は、当初のSシリーズだとか、N360、クーペ9辺りまでは、それ程強い関心は寄せなかった(というか販売時を直接知らず)が、初代シビックは性能重視一辺倒でなく、MM思想(メカミニマム、マンマキシマム:小さいエンジンルームと広いキャビン)だとか、独自のスタイルコンセプトに果敢にチャレンジしていたと思う。そして、3代目のワンダーシビックは(3ドア25i)は独自のロングルーフスタイル、如何にライトバンに見せないかに拘ったバックドアの大型ガラス面処理、中低速域のトルクが十分あって必用十分な加減速のエンジンと、スポーツカー顔負けのワインディング路でのスタビリティ等、乗って走って楽しいクルマであることを堪能した。なお、これのカーオブザイヤ-受賞はともかく、それよりグッドデザイン大賞選定は価値あると思う。

 しかし、現在販売されているホンダのすべてクルマへの感心は薄れた。旧来のホンダが持っていた思想(他車との差別化だとかチャレンジングスピリット)を感じる機会もない。先に述べた逸話を残す人物の姿は見掛けなくなってしまった。今の社長は八郷という方らしいが、「創業者の精神はもう不要」と述べていると伝わる。社長は配下リソースのオペレーション次第で済むというのは、金融業だとか云うなら判らんでもない。もし、こんな言葉を吐く司令塔の下でクルマを開発したら、トヨタとかニッサンの後追いの、まったく類似の魅力ないクルマしか出てこないのかもしれない。

 アメリカ新大統領のトランプは、日本車の輸出が多すぎると云いだしているのは周知の通り。80年代のレーガンとまったく同様だ。レーガン時代、トヨタやニッサンは米国工場を作ることになった。そして輸出台数は減らすが、1台当たりの単価の高い高級車(レクサスLS等)作りを促せた。しかし、この時点で、ホンダは既に米国工場を立ち上げていたのだ。二代目社長の川島氏の頃のことだろうが、リスク回避一辺倒でなく、常に先を見つつ自社の利益だけじゃなく相手の利益も考えてるから、その様な行動が取れたのだろう。今度の八郷という方にそれができるのか?


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