今読んでいる本で、石原慎太郎と三島由紀夫の対談とその内面に潜む思いみたいなことが解説されており、興味深く読みました。ご存じの通り、三島の初期の作品は、同姓愛(Gay)的な内面を示す小説を書いています。一方、石原は太陽の季節で若者達の奔放な思いや行動を描いて脚光を浴びたのですが、三島は何を勘違いしたのか、そこにGayとしての男の逞しさみたいなものを感じたというのです。
そんな訳で、三島と石原の対談は、ことごとくすれ違い、石原は今でも続く例の独断と偏見の言論で、三島のことをか完膚無きまで否定するのでした。まあ、しかし、Gayであろうがなかろうが、作家としての力量とネームバリューでは、圧倒的に三島の方が上であることは確かだと思っていますが。石原なんか私に云わせりゃ、「あ、裕次郎さんのお兄さんでしたよね」です。
そんな訳で、三島と石原の対談は、ことごとくすれ違い、石原は今でも続く例の独断と偏見の言論で、三島のことをか完膚無きまで否定するのでした。まあ、しかし、Gayであろうがなかろうが、作家としての力量とネームバリューでは、圧倒的に三島の方が上であることは確かだと思っていますが。石原なんか私に云わせりゃ、「あ、裕次郎さんのお兄さんでしたよね」です。