このところ(だいぶ以前からでしょうが)社会の矛盾がますます強まりつつある様に感じられてなりません。具体例を上げれば、近年各企業、組織体で叫ばれるようになったコンプライアンスへの対応があるでしょう。これは、法令順守により組織体が正しい姿勢を保つことにより、最終的に個人の尊重や権利保護を増進しようするものなのでしょう。しかし、実態は見掛けの法令を順守することに腐心し、個人の権利保護というより個人の負担増に働いていることは皆が感じていることなのでしょう。
次に感じるのは個人情報保護法の害毒のことです。当然、同法は個人の権利保護を大義名分とするものです。しかし、企業およびそこに勤務する従業員にとって負担は重く、権利保護どころか先のコンプライアンスと合せ、同法に抵触することを理由に従業員が処分を受ける事例に事欠かないというのが実態でしょう。また、同法への抵触を恐れる企業にとって、過剰に情報提供を抑制する事例は良く経験することです。
10年ほど前に国際社会の競争力を名目に解禁された単純労働者の派遣は社会の大きな格差を生み出したといえます。今や、正規社員と契約(もしく派遣)社員との賃金は大きな格差と社会差別を生み出したと思えます。これで利益を得たのは、日本の国民ではなく大企業だけではないのかと思えます。
さらに細かいことですが、コンビニエンスストアでのたばこ販売における年齢確認の自認ボタンのことですが個人的にも大いに疑問を感じるところです。大体において従来のたばこ屋などにおいて、販売店自らが販売先を判断し、問題ない場合に販売するが通例であったものを、買う側に自認さえようという行為は、自らの正当性だけを主張し、何かことが起こった際の責任逃れに備えるものではないのかとさえ想像してしまうものです。
最後に近年最も矛盾したことですが、2年前の東北大震災に伴う東京電力原子力発電所の壊滅的事故のことです。同事故では、あのチェルノブイリを超える放射能が漏出し、現在でも放射能の漏出は続いていることが伺われます。また、同原発の20km圏内は一般者は立ち入り禁止で、いまだ居住地にも戻れない避難者もいることが伺われますが、あまり報道されることもない様です。これだけの被害を生み出しておきながら、いまさら安全な原発を作って(もしくは改修して)再稼働するなどの論理は大いに疑問を感じるところです。
つらつらと感じるままに記してきましたが、結論として言いたいのは法律や見掛けは国民の権利保護や国民の幸福感は高まっているかの如く喧伝されている訳ですが、まったくその様なことはなく国民の不幸は高まっていると感じざるを得ないとうのが私の実感なのです。
次に感じるのは個人情報保護法の害毒のことです。当然、同法は個人の権利保護を大義名分とするものです。しかし、企業およびそこに勤務する従業員にとって負担は重く、権利保護どころか先のコンプライアンスと合せ、同法に抵触することを理由に従業員が処分を受ける事例に事欠かないというのが実態でしょう。また、同法への抵触を恐れる企業にとって、過剰に情報提供を抑制する事例は良く経験することです。
10年ほど前に国際社会の競争力を名目に解禁された単純労働者の派遣は社会の大きな格差を生み出したといえます。今や、正規社員と契約(もしく派遣)社員との賃金は大きな格差と社会差別を生み出したと思えます。これで利益を得たのは、日本の国民ではなく大企業だけではないのかと思えます。
さらに細かいことですが、コンビニエンスストアでのたばこ販売における年齢確認の自認ボタンのことですが個人的にも大いに疑問を感じるところです。大体において従来のたばこ屋などにおいて、販売店自らが販売先を判断し、問題ない場合に販売するが通例であったものを、買う側に自認さえようという行為は、自らの正当性だけを主張し、何かことが起こった際の責任逃れに備えるものではないのかとさえ想像してしまうものです。
最後に近年最も矛盾したことですが、2年前の東北大震災に伴う東京電力原子力発電所の壊滅的事故のことです。同事故では、あのチェルノブイリを超える放射能が漏出し、現在でも放射能の漏出は続いていることが伺われます。また、同原発の20km圏内は一般者は立ち入り禁止で、いまだ居住地にも戻れない避難者もいることが伺われますが、あまり報道されることもない様です。これだけの被害を生み出しておきながら、いまさら安全な原発を作って(もしくは改修して)再稼働するなどの論理は大いに疑問を感じるところです。
つらつらと感じるままに記してきましたが、結論として言いたいのは法律や見掛けは国民の権利保護や国民の幸福感は高まっているかの如く喧伝されている訳ですが、まったくその様なことはなく国民の不幸は高まっていると感じざるを得ないとうのが私の実感なのです。
コンプライアンスと言いながら、決められたルールを何ら矛盾を感じる事無く、守って行く?誤ファックスや出先での書類紛失、有り得る話で、そんな些細な事を一大事の様にスキャンダラスに言う、必ず責任を現場や担当者へ転嫁する。
責任者が責任を逃れ、管理者が管理を逃れる、その為コンピューターのデータや数字で人を評価する。
本来保険会社の査定マンには、数字に見えない部分が殆どで、難易度の高い仕事にチャレンジすると数字は自ずと悪くなる、出来るアジャスター程給料は安く、昇進も無い!
そんな事が解っているから、段々本来有るべき仕事をしなく成る、今では99%のアジャスターが何ら疑問も無く、機械的に仕事をしている(こなしている)
まあ、本来あるべき方向性がずれている!と感じます。