先日、比較的近郊の地である戸田(へだ)にある松城邸という民家を見学に訪れました。この戸田ですが、ちょっと前までは戸田村でしたが、現在は平成の大合併で沼津市と合併し沼津市内となっています。沼津市の中心部から30キロ程離れた漁村で、現在では漁業も廃れ産業もないですから、過疎化が進む?地であると云えます。
しかし、歴史を紐解くと、一時期日本の基幹産業とも云われた造船業の、発祥の地であるのです。それは江戸時代末期の頃、有名な黒船騒動が勃発し、伊豆半島先端近くの下田港が外交の地として開かれた頃に遡ります。その頃、ロシアからディアナ号という帆船が下田港に来ていたのですが、安政の大地震による津波で破損する被害を被りました。そこで、混乱する下田で修理は不可能と判断し、比較的近い修理ができる地として戸田の港が選ばれました。ディアナ号はそこへ向かったのですが、移動中台風により難破し、現在の富士市の沖に沈没してしまったのです。その際、日本の漁民は果敢にディアナ号の乗組員達を救難したのだと伝わります。
そして、ディアナ号のプチャーチン提督はじめ乗員達は、帰国の船を造るため、目的地の戸田へ徒歩で移動し、日本で初めての洋式帆船を、当時の日本の船大工を指導し完成させたのでした。この時作られた洋式帆船(スクーナー)は、ディアナ号と比べれば大変小さなもので、生き残った乗員達が乗り込める最小のものだった様です。しかし、それまでの和船とは明らかに異なる、外洋を横断できる洋式帆船であったのでした。その後、洋式帆船の建造技術を習得した船大工達は、横須賀や神戸などの地へ移り住み、本格的な洋式帆船作りが行われる様になったのだと伝わります。現在の戸田の地に、大きな規模ではありませんが、造船資料館という施設があります。この施設の建設に当たりIHI(元石川島播磨造船)も大きな寄付を行ったと聞こえています。
この戸田の地ですが、江戸末期の時点で戸田港に所属し、日本沿岸で積み荷を運搬する回船が60艘程もあって、それらを統括する回船問屋も4軒があったそうです。そんな回船問屋の一つが、今回訪問した松城邸なのです。建築は明治の初頭と云われます。当時の気風を示すが如く和洋折衷で、2階建てですが1階が和風、2階が洋風となっています。内部のディテールを見ると、壁や天井の装飾等に、決して豪華ではありませんが、如何にも当時の一流の職人が丹精を込め、時間を要して作り込んだ装飾が各所に見られます。
当時の西伊豆、松崎の地には入江長八と云う、当代一流と云われた漆喰細工の名工が居たのですが、この職人もこの松城邸の築造に数ヶ月逗留しながら関わっていたそうです。
私は、この様な職人が関わった文化財を見ること自体が好きですが、それは当時の一流と云われる人々の技術とそこに掛けた情熱を想像させられるからです。
最後に、私の好きなクルマの世界にも文化財に相当するクルマがあるのだと思います。それは、必ずしもスーパーカー等の希少性だけには限らないと思います。それらクルマを作った人達、すなわち設計者やデザイナー、そして実際に製造した職人達の、大げさですが哲学や思想といったものに思いを馳せられる様なクルマだと考えます。