現国会審議で注目を集めている検察官の定年延長問題について、元検事総長ら検察OB14名が意見書を法務省に提出したという。
この意見書の趣旨は、「そもそも検察官は独任制(単独で権限を行使できる)を主体とした組織であり、組織として政治権力からも独立しているから、人事など政治権力の過大な関与は検察の力をそぐ」などとする意見の様だ。
拙人の思いとしては、検察管や検察組織について、検察官の訴追した裁判が99%有罪になるとか、起訴、不起訴の判断が恣意的だとか、国策捜査だとか云われる事件も結構あり、あまり良い印象は持てない。これは、東電福島原発の不起訴だとか、過去のロッキード裁判で米国の司法取引での証拠をそのまま引き継いで起訴したとか、大きな事件で記憶に残るものは結構ある。
しかし、検察を全否定する思いはなく、基本は社会正義を追求する組織として、期待するものは多い。
その様な中、今回の意見書について、元最高検・清水勇男、松尾邦弘の2名が昨日会見を行った動画がYoutubeで報じられたので視聴した。
検察庁法改正案 元検事総長ら反対を表明 2020/5/15(51分)
https://www.youtube.com/watch?v=kBP7oHQ2oQo
この会見の中、松尾邦弘の発言が全体の8割程だったが、検事に限らず、世のスペシャリスト(専門職)には共通の課題を示唆している発言として、以下にメモしてみる。なお、主語として検察管となるべきところは担当者と置き換えている。
・担当者の世界は職人的だ。
・担当者は、経験が積み重なって、それが個人の力量になり、それが組織の力量になる。
・担当者は、とにかく事件をやってもらいたいと思うが、最近なるほどなという事件が少なくなってきたという感を持つ。
・世に事件が存在することに変化はないと思うが、これは努力の余地があると感じる。
・掘り出していく、端緒を掴んで残していくという鍛え方が少なくなった。また、力がないというより積極性がない。
・若い担当者は無限の可能性がある。(成果を)残そうと思う努力があれば力が付いてくる。
・担当者(専門職)の世界は、上も下もないという気風が必用だ。
・個別の経験が組織体の財産として生かされていないのは課題だと感じる。
・もう少し意見を組織として、個人として(外に)伝えて行く方が良いのかもしれない。
・若い頃鍛えられてない担当者などで、自ら限界を設けてしまう場合があるのではないか。
・組織として、課題を乗り越えて行くという意識が薄れている。
※拙人の拙い専門家としての経験に照らしても、共感できる意見だと思う次第だ。
この意見書の趣旨は、「そもそも検察官は独任制(単独で権限を行使できる)を主体とした組織であり、組織として政治権力からも独立しているから、人事など政治権力の過大な関与は検察の力をそぐ」などとする意見の様だ。
拙人の思いとしては、検察管や検察組織について、検察官の訴追した裁判が99%有罪になるとか、起訴、不起訴の判断が恣意的だとか、国策捜査だとか云われる事件も結構あり、あまり良い印象は持てない。これは、東電福島原発の不起訴だとか、過去のロッキード裁判で米国の司法取引での証拠をそのまま引き継いで起訴したとか、大きな事件で記憶に残るものは結構ある。
しかし、検察を全否定する思いはなく、基本は社会正義を追求する組織として、期待するものは多い。
その様な中、今回の意見書について、元最高検・清水勇男、松尾邦弘の2名が昨日会見を行った動画がYoutubeで報じられたので視聴した。
検察庁法改正案 元検事総長ら反対を表明 2020/5/15(51分)
https://www.youtube.com/watch?v=kBP7oHQ2oQo
この会見の中、松尾邦弘の発言が全体の8割程だったが、検事に限らず、世のスペシャリスト(専門職)には共通の課題を示唆している発言として、以下にメモしてみる。なお、主語として検察管となるべきところは担当者と置き換えている。
・担当者の世界は職人的だ。
・担当者は、経験が積み重なって、それが個人の力量になり、それが組織の力量になる。
・担当者は、とにかく事件をやってもらいたいと思うが、最近なるほどなという事件が少なくなってきたという感を持つ。
・世に事件が存在することに変化はないと思うが、これは努力の余地があると感じる。
・掘り出していく、端緒を掴んで残していくという鍛え方が少なくなった。また、力がないというより積極性がない。
・若い担当者は無限の可能性がある。(成果を)残そうと思う努力があれば力が付いてくる。
・担当者(専門職)の世界は、上も下もないという気風が必用だ。
・個別の経験が組織体の財産として生かされていないのは課題だと感じる。
・もう少し意見を組織として、個人として(外に)伝えて行く方が良いのかもしれない。
・若い頃鍛えられてない担当者などで、自ら限界を設けてしまう場合があるのではないか。
・組織として、課題を乗り越えて行くという意識が薄れている。
※拙人の拙い専門家としての経験に照らしても、共感できる意見だと思う次第だ。