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内浦重寺「白山神社」探訪(3年ちょっと前の探訪記)

2022-04-20 | 沼津そして伊豆周辺
内浦重寺「白山神社」探訪(3年ちょっと前の探訪記)
 この白山神社の由緒はぜんぜん無知なのだが、日本全国にある様だが、浅間神社とか八幡神社の様に多くないと感じる。Googleマップで見ると、伊豆地方には10社弱ある様だ。ちなみに、静岡県としてみると、旧群で呼ぶ榛原、周智、岩田辺りに多い様に感じるが・・・。

 それはともかく、重寺の白山神社に向かう。街道は現在の海辺を走る道路の一本内側に旧道があり、今は使われなくなったトンネルが残ったりしているが、そこから急傾斜を登る。舗装はなされているが、クルマが入れる程広くないので、郵便屋はバイクで入れるだろが宅急便屋泣かせの地ではないだろうか。といっても、重寺は、近代のアパートとかマンションもなく、人口もおそらく漁業が人々の生活の糧のすべてだった昔より減っていると想像する。



 さて、重寺「白山神社」だが、改築したの何時ごろなのか詳細は不知ながら、その造型に未だ色鮮やかさが残っているところを見ると、10年か20年程という比較的改築してから時を経ていない様に見える。社屋の規模としては、小ぶりながら、こういう細工物がしっかり作られていて、おそらく住民の方の寄進が豊かだったからこそなのだろうと感じる。なかなか、ここまでの細工物がなされている神社とか寺は、小さな社としては珍しいと感じた。




 ここから海方向を見た写真も載せておくが、海面上50m弱はある高さだろうか。淡島が至近に、遠望する先は富士市の製紙工場群だ。



追記
 白山神社は白山信仰と関わりがある様なことがNetで記されているが真偽は不明だ。それと、主に関東および隣県に多いというのことだが、白山神社と同和との関係がある様な記述もあるがこれも真偽は不知だ。ただ、現在の重寺にその様な被差別部落があったとする様な気配はまったく感じられない。
 この同和問題は、各地に部落とされる地があったことは確かだが、現在はその差別というのはあらまし消えていると認識している。ただし、あえて差別部落者だと名売り、その被差別パワーと云うべきものを振りかざし、行政などの許認可を得ようと活動するエセ同和の姿が見える近代は異常だ。このことは、熱海市伊豆山で大土石流として昨年生じているところなのだが、認可を取得して残土および産業廃棄物を急傾斜地に埋め立てた本人が(エセ)同和を名乗っていた問題は極一部のマスコミや部落問題歴研修者以外のマスコミは、一切公には黙されてしまうという異常さがある。


#西浦重寺 #白山神社


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