私の思いと技術的覚え書き

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東芝の祖・からくり義右衛門こと田中久重

2021-04-07 | コラム
 江戸時代末期から明治初めに掛けて「からくり義右衛門」こと田中久重という一人の発明家が居たことを今更ながらものの本で知った。出身は現在の久留米市だが、江戸時代は久留米藩として藩主である有馬家が統治していた国だ。

 ところで、久留米という地は、現役時代に九州を様々に縦断したが、何れも通り過ぎるだけで、立ち寄りつぶさに町の様子も知ることもない都市だ。しかし、この久留米だが、ここ田中久重以外にも、大きな偉人を輩出して来たという場所なのだという。また、江戸時代は、日本の3大酒所として、兵庫の灘、京都の伏見と共に、久留米は日本の3大酒所として酒造業が盛んだったという。

 からくり義右衛門以外の久留米の偉人として、現在世界No1のブリジストンの創業者たる石橋正二郎が上げられるだろう。元々足袋屋だったのが、ゴムの製造からタイヤメーカーとして世界最大にまで上り詰めたのだ。

 さて、本題のからくり義右衛門こと田中久江だが、その名の通り様々なからくり人形などを作り出してきたという。一方、からくりの範囲に留まらず、様々な機械製品だとか大砲など、物作りに天才的な能力を持っていたという。

 明治維新になり、江戸改め東京芝浦に芝浦製作所というのを創業し、82才と比較的長生きしたのだが、この芝浦製作所は、後の東芝として、家電から重電(最大は原子力まで)をその業務範囲に置く、世界的メーカーとなるのだ。

 近年の東芝は、あまり詳しくは知らないが、不正会計問題などで、ほぼ家電部門は売却し、業務範囲を縮小均衡させてしまっているが、三菱、三井、住友などの、江戸時代から続く財閥でなく、ここまで大企業となった例は、他にもない訳ではないが、希有な事例の一つなのだろう。

 その東芝だが、近日の報では、英国のファンド企業に買収話を持ちかけられているらしい。もし、これが実現したとしたとすれば、東芝のブランドは残るのだろうが、実態はまた一つ日本の企業が外資化されてしまうという残念な現象がまた一つ積み重ねられる訳だ。こうして、物作り国日本のDNAは、霧散してしまい、そこに働く企業人や関連する家族を含め国民は、明日の見えない環境に突き進む様に思えてならない。

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