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【書評】 ヤメ検(森功著)・ヤメ検にも格がある

2022-06-19 | 論評、書評、映画評など
書評 ヤメ検(森功著)・ヤメ検にも格がある
 この本の多くは、故人元検事たる田中森一(1943年6月8日-2014年11月22日(71没))のことを中心に検察上層部に上り詰めたもしくは特捜部(東京、大阪、名古屋の3部署しかない)で指導的立場にあったヤメ検を描いている。


 作者は本書内で繰り返し問う。検察時代は刑事事件に法の適用を巧みに操り、一転弁護士になると犯罪者ニーズ視点で、巧みに検察の思考を推論しつ犯罪者の利を勝ち取る。著者は、同じ人物として正義感とかモラルはどうなのと。

 私の解釈は、そもそも検事時代の正義感が何処まで本当にあったのか疑問だと思ってる。つまり官僚世界で功成り名を売り地位を上昇させるのがモチベーションであり、それなりのスキルとか大局観が地位を上げて来たのだろう。しかし、やがて同様のライバルも現れるし、さまざまな政治との軋轢の中で思う様な地位向上の限界が見えてきて転身というとことになるのだろう。そもそも、正義感から出発していた検事活動ではなかったから、それを犯罪者ニーズの検事の筋読み活動を行うことに後ろめたさなど欠片もなかったのだろう。

 そういう中で黄金の15年程を過ごした田中森一にも、やはりものごとにはやり過ぎ限界は訪れるものだ。得意の大局観にも奢りが目立ち始めつつ、その自信も過剰と云えるべきものに変わってしまったことに気付くのが遅れた。戦国武将の活躍と同じで、コイツは裏切らない、コイツは格下と見下げていた者が、既に敵に豹変していたことにも逮捕されてから気付くというところも哀れだ。たった4年の実刑だけど、釈放されて2年、71才で世を去るとは哀れな末路で、未来永劫お調子者のバカな奴よと酒の肴になるところが数年、以後世にも忘れられた存在になる。
 しかし、第2、第3の田中森一という者が既に世にはいるのだろう。定年退官までいて、それなりに上り詰めれば、田中の様な非モラルな思想までは表だっては出てこない様に思えるが、定年退官前に自己のモチベーションの起点を打ち砕かれ退官してヤメ検に転身した者は、そこにまるでモラルが欠落しているのでヤバイタイプになるのだろう。


#ヤメ検の世界 #同じヤメ検でも格がある


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