私の思いと技術的覚え書き

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大井川・逢来橋

2020-11-12 | コラム
 大井川に架橋される木橋たる逢来橋は明治12年に作られ、代々補修し続けられてきたという。江戸時代まで、幕府は大井川に架橋を許さなかったという。その理由は西国(端的に指摘すれば薩摩国)が革命軍を組織して攻め上ってくる要衝の意味を持っていたとものの本には記している。その様な要衝の意味では、熊本城、姫路城、名古屋城なども、反乱軍阻止のための要衝の城であったと聞く。

 ところで、「蓬莱」と名付けられる地や物は日本各地にあるが、そもそも蓬莱とは中国に伝わる伝説の理想郷の意味を持つとされている。この意味も含め、この大井川・蓬莱橋は初期の目的が、幕府解体により、多くの幕臣が、牧之原大地で新規に茶作りを始め、そこと静岡市側を利便性良く結ぶためだったとかで、茶作りの牧之原を宝の山と例えたことにある様だ。

 橋の全長としては約900mで日本最長の木橋だそうだ。ただし、度々の増水で木製の橋脚部分が損壊するため、橋脚部分は現在はコンクリート製になっている。なお、島田川の河川敷の部分は、木製橋脚のまま維持されており、往時の姿を想像させてくれる。

 似た様な橋で京都・八幡市の木津川に架橋された上津屋橋(木津流れ橋)がある。こちらの方は、橋脚部分も木製で、なおさら時代を感じさせるものだ。ただし、長さは350mと逢来橋の1/3程しかない。










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