私の思いと技術的覚え書き

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単冠湾集結・全艦隊出撃!

2020-08-31 | コラム
 単冠湾(ひとかっぷわん)とはアイヌ命名なのだろう。当て字で、通常読むことは難しい。この様な地名は全国各地に点在する。ちなみに我が住まい地近くの伊豆半島・伊東市の十足(とうたり)とか沼津市の木負(きしょう)など、知らないとなかなか読めない地名が幾つかあることを知る。

 単冠湾は先の大戦末まで日本領であった、北方領土択捉(えとろふ)島にある、湾口幅10kmほどの湾だそうだ。ここに1941年11月26日、世界初の日本の空母6隻を中心とする機動部隊が集結し、全艦出撃したのだった。目指すはハワイオアフ島・真珠湾だ。

 機動部隊指揮官・南雲中将率いる日本機動部隊は12月8日未明(ハワイ時間12月7日・日曜)奇襲攻撃に成功し、空母艦載機は停泊中米艦船や、陸上駐機の航空機を撃滅し、暗号名トラトラトラ(我れ奇襲に成功せり)を発信した。

 ところが、たぶん何度も図上演習で繰り返したであろう、一番狙いの米航空母艦4隻は、真珠湾内に居なかった。また、第一波攻撃に続き、これもたぶん図上演習において、検討されただろう、石油備蓄基地など基地インフラを徹底的に叩く第2波攻撃も成されず、機動部隊は帰投に就いたのだった。日本帝国は、ラジオ放送で大本営発令・奇襲攻撃大成功の報を流し、国民は湧いた。と、ここまでが、従前知っていた真珠湾作戦の概要だ。

 ところが、つい先日書評として記した「真珠湾の信実[ルーズベルト欺瞞の日々]」によれば、単冠湾の機動部隊集結から、出港後の時事刻々と移動しつつある機動部隊の位置は、米諜報部隊に補足されつつ、その時伝えられた電文も逐次読み取られ翻訳されていたというのだ。当然、日本軍も無線通信は平文ではなく暗号通信を行っていたのだが、開戦勃発前の時点で、日本の暗号(パープル[紫暗号])は解読済みだったということだ。しかも、この本を読むまでは、単冠湾出航から真珠湾奇襲まで、日本は位置補足などを怖れ、全無線の封止をしていたと、既出の本で読み認識していたが、連合艦隊司令・山本と南雲の間では、繰り返し無線通信が行われていたという。この無線通信は、短波と長波の2種で、同時発信されていたという。

 しかし、米諜報部は、この情報を何故か、ハワイ艦隊司令のキンメル大将に伝えられることはなかったと云う。キンメル大将は真珠湾奇襲後、間もなく司令を解任、少将に降格され、その後予備役として軍を去ることになったという。

 この新しい知識を得て、日本軍もノー天気だが、米国の参戦したいがため(それも対ドイツ軍参戦が主で日本は従)の冷酷ぶりには驚嘆する他ない。こういう冷酷さが、ソ連を牽制するためなら、原爆2発を落とせるというものと共通するのではないか。

 この戦争、GNP10倍の国と戦争やって勝てる訳なかったという論が一般的だが、日本軍部だってアホじゃない。当初から1年を超える長期戦となれば、勝算なきことは承知していたこととさまざまな書籍で表されている。だが、そもそも論だが、インテリジェンスも不足していたし、カウンターインテリジェンス(防諜)の意識は欠落していたということが決定的だったと思うしかない。

 テクノロジーが進歩し、デジタル技術でおよそ暗号解析は困難と云われる時代になったと云われるが、ある程度の経過を経れば解析されてしまうのは必然と思える。そもそも暗号化(スクランブル)されたデータは、復号化(デコード)により通信できる訳だが、デコーダーそのものや原理をヒューミント(人を介する諜報)で、盗まれるリスクは時と共に増すのは必然だ。このことは、DVD、ブルーレイとか地デジは、暗号化と共にデータ圧縮も行っており、登場年と共に暗号強度は強化されているが、それなりのコピーソフトで暗号化なしの状態としてコピーできてしまう。旧日本軍も、セキュア意識がもっと高く、ある程度の期間ごとに暗号が漏れていないかという意識強化(例えば欺瞞情報に対する敵の動静変化を見計らう)や、暗号をバーションアップして行くしかないのだろう。このことは今に至るも、インテリジェンスに掛ける情熱は、とても米国には敵わないままだろうと思える。


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