本の題名は省略しますが、精神病理学者が著した本で、男性のクルマ好き心理を解説した内容を読む機会がありました。なかなか面白い部分もあり、その文意を紹介してみます。
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男性でクルマ好きは多く、それは男性であることとパラレルな関係といってさえよい。それは何故か。ありそうな答えは、クルマを女性と同一視しているというものである。しかし、何故女性そのものでなく、クルマというモノに愛着を持つのか。それは精神病理学の視点からは、男性のクルマ好きは紛れもなくフェチシズム(以下フェチ)として機能しているのである。クルマ好きが、お気に入りのクルマのハンドルを握ったとき、体験するあの絶妙な快感は、まさにフェチ者が味わう享楽と同一のものである。
男性フェチ者の場合、そこで働いている作用は、男性同性愛と類似なものであるが、フェチ者が同性愛者にならない理由は、具体的なフェチ対象(それは一種の道楽と云っても良いのであろう)を確保しているからである。
クルマフェチが、対象としてのクルマを愛する時、それは創造的同一化と同時に象徴的同一化の対象であることを意味する。想像的とは、視覚的、全体的な「投射」であり、象徴的とは言語的、部分的な「取り込み」である。これは具体的には、前者はクルマの性能を含めたスタイリングであり、後者はポルシェとかフェラーリと云った名のことであり、このどちらも欠かすことはできない。
ところで、日本人のクルマ好きは、新車はもちろん中古でも、商品が無傷であることを求める者が多い。また、一旦自らのクルマが他人から傷付けられようでもすれば、まるで自分自身が傷付いたかの様に思い、他者攻撃にまで発展する場合もある。これは。想像的自我にとって、その同一化となるクルマが自分自身として体験され、ナルシシック(自己愛)な自我にとって堪え難いことだからである。さらに、クルマを駆る男の心に生じる攻撃的な競争心こそ、その様なナルシシックな心理に支配された、幼児的な欲望の現れであることを知っておかねばならない。
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以上が、本の内容の文意ですが、クルマ好きの一人としては、精神病理学としては、その様な分析となるのかと驚きます。しかし、永年自らも、そして多くの他人のクルマの故障や事故という現象を通して触れ合って来た中、思い当たる点も多く含まれる内容ではあると感じられます。
最後に、私自身はあまり感じたことはないのですが、外車に乗ってる奴(男)は、うるさいとか変わってるという声を時々聞きます。これもフェチ度が高い故に、その様に感じさせる場合が多いのだと想像できます。
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男性でクルマ好きは多く、それは男性であることとパラレルな関係といってさえよい。それは何故か。ありそうな答えは、クルマを女性と同一視しているというものである。しかし、何故女性そのものでなく、クルマというモノに愛着を持つのか。それは精神病理学の視点からは、男性のクルマ好きは紛れもなくフェチシズム(以下フェチ)として機能しているのである。クルマ好きが、お気に入りのクルマのハンドルを握ったとき、体験するあの絶妙な快感は、まさにフェチ者が味わう享楽と同一のものである。
男性フェチ者の場合、そこで働いている作用は、男性同性愛と類似なものであるが、フェチ者が同性愛者にならない理由は、具体的なフェチ対象(それは一種の道楽と云っても良いのであろう)を確保しているからである。
クルマフェチが、対象としてのクルマを愛する時、それは創造的同一化と同時に象徴的同一化の対象であることを意味する。想像的とは、視覚的、全体的な「投射」であり、象徴的とは言語的、部分的な「取り込み」である。これは具体的には、前者はクルマの性能を含めたスタイリングであり、後者はポルシェとかフェラーリと云った名のことであり、このどちらも欠かすことはできない。
ところで、日本人のクルマ好きは、新車はもちろん中古でも、商品が無傷であることを求める者が多い。また、一旦自らのクルマが他人から傷付けられようでもすれば、まるで自分自身が傷付いたかの様に思い、他者攻撃にまで発展する場合もある。これは。想像的自我にとって、その同一化となるクルマが自分自身として体験され、ナルシシック(自己愛)な自我にとって堪え難いことだからである。さらに、クルマを駆る男の心に生じる攻撃的な競争心こそ、その様なナルシシックな心理に支配された、幼児的な欲望の現れであることを知っておかねばならない。
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以上が、本の内容の文意ですが、クルマ好きの一人としては、精神病理学としては、その様な分析となるのかと驚きます。しかし、永年自らも、そして多くの他人のクルマの故障や事故という現象を通して触れ合って来た中、思い当たる点も多く含まれる内容ではあると感じられます。
最後に、私自身はあまり感じたことはないのですが、外車に乗ってる奴(男)は、うるさいとか変わってるという声を時々聞きます。これもフェチ度が高い故に、その様に感じさせる場合が多いのだと想像できます。