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工藤会トップの死刑判決から思う国家暴力のガバナンス

2021-09-05 | 事故と事件
工藤会トップの死刑判決から思う国家暴力のガバナンス
 過去、自衛隊は国家の暴力装置だと評して非難を浴びた件があるが、自衛隊を否定する思いは皆無だが、やはりそのガバナンスを失うと、国家破綻までの招く暴力装置になることは間違いない。このことは、先の大戦の切っ掛けだとか、敗戦に至るまで数々の特攻作戦を継続させたことで、証明されていると思う。

 さて、国家の暴力装置は自衛隊だけの問題かと云えば、司法機関(警察、検察、裁判所)もやはり暴力装置と云えるだろう。つまり法に基づき、逮捕、拘留、果ては国家による死の結論までを合法的に為うるからだ。

 当然において、自衛隊と同じく、国家の治安を維持し、公平な世を継続させるためのは、その抑止機関として、否定するつもりはまったくない。ただし、その暴力に相当する権限は、相当に抑圧的なガバナンスにより統制されていなければならない。つまり、あまりに時の政権が悪退治による美しい国なんて美名で、ガバナンスを緩め続けると、無実のもの、もしくは本来罪は幾らかあっても、法令上はもっと軽微な罪だが、過剰な罪として断罪(もしくは弾圧)されるということになるし、冤罪事件も後を絶たなくなる訳だ

 このところ、労働組合運動に関わり、関西生コン支部とか、今回表題に上げた工藤会という指定暴力団がある意味弾圧もしくは断罪と云うべき判決があったのだが、どうも法の精神を越えるガバナンスとしての制御が狂って来ていると感じられるところがある様に思える。

 関西生コン事件の件では、別のブログ記事でも記し続けるので割愛はするが、これはあくまで労働組合活動として行った行動を弾圧するものだろう。一方工藤会トップ達の死刑や無期懲役刑の断罪は、約1年半を掛け、多くの証人尋問なども行われた様だが、直接証拠はなく、判決文としては、繰り返される「推認される」という積み重ねの上に、死刑という極刑が言い渡されているのだ。

 私は、暴力団を憎むし、この様な組織はなくなってもらいたいと願う。しかし、だからと云えども、直接証拠もなしに、推認されるという論理付けの中で、極刑までを言い渡していいのかとなると、疑わしきは罰せずという法の精神とはかけ離れた暴力装置の本性がむき出しになってしまうことを憂慮せざるを得ない。

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工藤会トップ、死刑判決の裁判長に「生涯後悔するぞ」…ナンバー2は「東京の裁判官になって良かったね」
2021/08/25 読売オンライン
 特定危険指定暴力団工藤会(本部・北九州市)総裁の野村悟被告(74)に死刑判決が言い渡された。午前10時に福岡地裁で始まった判決公判は、主文の言い渡しが後回しとなり、判決理由から述べられた。野村被告は認定事実が読み上げられる間、ときおり首をかしげ、隣にいた田上被告は苦笑いを浮かべるなどしていた。

 ところが、午後4時頃に主文が言い渡されると、両被告の態度は一変。野村被告は足立勉裁判長に向かって「公正な判断をお願いしたのに全然公正じゃない」「生涯後悔するぞ」などと大きな声を上げ、無期懲役が言い渡されたナンバー2の会長の田上不美夫被告(65)も「ひどいな、あんた。足立さん」「東京の裁判官になって良かったね」などと、威圧ともとれる発言を残して退廷した。

 足立裁判長は2019年の初公判から今年3月の結審まで計62回の公判を担当。4月に東京高裁に異動したが、この日は出張して判決を読み上げていた。

 閉廷後、両被告の弁護団は取材に対し、「直接的な証拠もなしに極刑を選択したひどい判決だ」と述べ、福岡地検は「検察官の主張がおおむね認められたものと理解している」などとするコメントを出した。


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