おじさん叩きの時代と云うが・・・
以下の下らないなと思う記事を見て、私見を書き留める。
そもそも、ここで云うオジサンとは、年長者のことだが、企業では上位職だとか、中には窓際で、部下もいないで日頃何の企業活動をしているかも判らない者を大まかに指すのだろうと思える。その前提で、オジサンが何故、バカにされるのか、もっと云えば価値ない存在として見られるのか?ということを考えてみたい。
私が遙か数十年前に3、40代の頃、上司はオジサンと云える者達で占められていた。今もその傾向は残っているのだが、当時を振り返って、これらオジサンを十把一絡げにバカにすると云うことはなかった。中には、永年総務の帳簿係をして来たとか、京大卒業でエリートコースを歩み始めたのだろうが、見事に飛ばされて子会社へ転籍させられたという方もおり、細かい伝票のことを指摘されたり、京大卒というが、何ら自分の思いというか意志が感じられないとなると、これは問題外という思いで、当時も冷ややかに眺めてきた。しかし、概ね当時の上司たるオジサンには、私が短絡的な思考で判断しているのを、もっと大きく俯瞰した考え方を教わったという思いがある。
つまり、概ね当時のオジサンたる年長者は、それなりに人生の苦楽を過ごして来た経験とか、教養というものを感じさせ、私をなだめるに際し、ただ上位職として下達するのではなく、その原理とか理由を添え聞く私に理解納得させる力量を持つ者であったと思う。
しかるに、この下らない記事のオジサンという者が増加しているとするとすれば、そういう聞く者を唸らせるもしくは素直に納得しうる指導力が欠落している時代になっているのかもしれない。つまるところ、これはリーダー論に行き着く話しだろう。
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おじさん構文、働かないおじさん…「おじさんは叩いていい風潮」の危険性。社会学者が指摘する中年男性のイメージと現実のズレとは
集英社オンライン 4/20(木) 11:01配信
おじさん構文、働かないおじさん……中高年男性は最近なんだか叩かれがちだ。「おじさんは叩いていい」ものだという風潮が加速していないだろうか? 社会学者の田中俊之さんが“おじさん叩き”が起こる社会構造とその風潮が及ぼす影響、危険性を語る。
おじさんはバカにしてもいい?
「おじさん」はよく叩かれる。
高給取りなわりに仕事の手を抜く「働かないおじさん」、LINEのメッセージで絵文字を多用する「おじさん構文」、インスタグラムで高級な食事や時計、車などの写真を載せて自慢ばかりする「おじさん投稿」……「臭い」とか「キモい」とか言われがちでもある。
しかしながら、一連の“おじさん叩き”によって見落とされていることもあるのではないか?
SNSによって“おじさん批判”ばかりが加速し、「おじさんはバカにしてもいい」という風潮になっていないだろうか?
まさにおじさんである筆者(42歳)が、大妻女子大学社会学専攻准教授で男性学をテーマに研究をする田中俊之さんに話を聞いてみた。
「おじさん叩きにおいて、昨今、行き過ぎだと感じるのは容姿への中傷です。例えば、腹が出ている。ハゲていてもダメ、逆に毛深くてもキモい。あと臭い。
消臭剤のCMでも、特に中年以上の男性が忌み嫌われる匂いの発生源として描かれるケースがあります。これが女性だったとしたら大炎上ですよね?」(田中さん、以下同)
「おじさん叩き」が加速するカラクリ
なぜおじさん叩きは起こるのか?
「社会が不安定になると、不満のはけ口として何かを叩くというのは昔から繰り返されています。例えば、2000年代はニート、もっと最近では生活保護受給者がその対象になっていました。
働かずに親のすねをかじるとはなにごとだ!とか、税金で生きるなんて許せないない!といった批判が過熱し、目の敵のように攻撃する人たちがいましたね。一連の批判の対象が、今はおじさんになっているということではないでしょうか」
おじさんへのネガティブなイメージが広まった一因として、情報収集の仕方が劇的に変わってきていることが挙げられるという。
「今、特に若い世代ではツイッター、インスタグラム、ティックトックなどでの情報収集が主流となっています。短くてインパクトのある言葉、写真が繰り返し閲覧されます。
消臭剤のCMのような情報が次々に発信され、拡散するわけです。すると、おじさん、女子高生、高齢者といった属性によるイメージが知らず知らずのうちに刷り込まれていってしまいます」
以下の下らないなと思う記事を見て、私見を書き留める。
そもそも、ここで云うオジサンとは、年長者のことだが、企業では上位職だとか、中には窓際で、部下もいないで日頃何の企業活動をしているかも判らない者を大まかに指すのだろうと思える。その前提で、オジサンが何故、バカにされるのか、もっと云えば価値ない存在として見られるのか?ということを考えてみたい。
私が遙か数十年前に3、40代の頃、上司はオジサンと云える者達で占められていた。今もその傾向は残っているのだが、当時を振り返って、これらオジサンを十把一絡げにバカにすると云うことはなかった。中には、永年総務の帳簿係をして来たとか、京大卒業でエリートコースを歩み始めたのだろうが、見事に飛ばされて子会社へ転籍させられたという方もおり、細かい伝票のことを指摘されたり、京大卒というが、何ら自分の思いというか意志が感じられないとなると、これは問題外という思いで、当時も冷ややかに眺めてきた。しかし、概ね当時の上司たるオジサンには、私が短絡的な思考で判断しているのを、もっと大きく俯瞰した考え方を教わったという思いがある。
つまり、概ね当時のオジサンたる年長者は、それなりに人生の苦楽を過ごして来た経験とか、教養というものを感じさせ、私をなだめるに際し、ただ上位職として下達するのではなく、その原理とか理由を添え聞く私に理解納得させる力量を持つ者であったと思う。
しかるに、この下らない記事のオジサンという者が増加しているとするとすれば、そういう聞く者を唸らせるもしくは素直に納得しうる指導力が欠落している時代になっているのかもしれない。つまるところ、これはリーダー論に行き着く話しだろう。
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おじさん構文、働かないおじさん…「おじさんは叩いていい風潮」の危険性。社会学者が指摘する中年男性のイメージと現実のズレとは
集英社オンライン 4/20(木) 11:01配信
おじさん構文、働かないおじさん……中高年男性は最近なんだか叩かれがちだ。「おじさんは叩いていい」ものだという風潮が加速していないだろうか? 社会学者の田中俊之さんが“おじさん叩き”が起こる社会構造とその風潮が及ぼす影響、危険性を語る。
おじさんはバカにしてもいい?
「おじさん」はよく叩かれる。
高給取りなわりに仕事の手を抜く「働かないおじさん」、LINEのメッセージで絵文字を多用する「おじさん構文」、インスタグラムで高級な食事や時計、車などの写真を載せて自慢ばかりする「おじさん投稿」……「臭い」とか「キモい」とか言われがちでもある。
しかしながら、一連の“おじさん叩き”によって見落とされていることもあるのではないか?
SNSによって“おじさん批判”ばかりが加速し、「おじさんはバカにしてもいい」という風潮になっていないだろうか?
まさにおじさんである筆者(42歳)が、大妻女子大学社会学専攻准教授で男性学をテーマに研究をする田中俊之さんに話を聞いてみた。
「おじさん叩きにおいて、昨今、行き過ぎだと感じるのは容姿への中傷です。例えば、腹が出ている。ハゲていてもダメ、逆に毛深くてもキモい。あと臭い。
消臭剤のCMでも、特に中年以上の男性が忌み嫌われる匂いの発生源として描かれるケースがあります。これが女性だったとしたら大炎上ですよね?」(田中さん、以下同)
「おじさん叩き」が加速するカラクリ
なぜおじさん叩きは起こるのか?
「社会が不安定になると、不満のはけ口として何かを叩くというのは昔から繰り返されています。例えば、2000年代はニート、もっと最近では生活保護受給者がその対象になっていました。
働かずに親のすねをかじるとはなにごとだ!とか、税金で生きるなんて許せないない!といった批判が過熱し、目の敵のように攻撃する人たちがいましたね。一連の批判の対象が、今はおじさんになっているということではないでしょうか」
おじさんへのネガティブなイメージが広まった一因として、情報収集の仕方が劇的に変わってきていることが挙げられるという。
「今、特に若い世代ではツイッター、インスタグラム、ティックトックなどでの情報収集が主流となっています。短くてインパクトのある言葉、写真が繰り返し閲覧されます。
消臭剤のCMのような情報が次々に発信され、拡散するわけです。すると、おじさん、女子高生、高齢者といった属性によるイメージが知らず知らずのうちに刷り込まれていってしまいます」