【書評】車の軽い接触事故で通院の相手と裁判で戦ってみました
このやたら冗長に長い書名の本(以下軽微事故で裁判したと記す)だが、つい先日図書館を訪れた際、新刊本コーナーにあるのを認知し、さっそく借り出して斜め読みした本だ。
よくこの様な多くの購読者が見込めない様な本を出版したなとも思えるが、奥付を見ると初版23年3月15日と至近であり、著者は鹿島廣幸氏という作家ではなく、電気工事士自営業で1946年生まれとあるので、現在77才と結構高齢だが、未だ仕事もしている様に感じる。
さて、この本「軽微事故で裁判した」だが、自己体験としてある地方の河川堤防土の道路(幅員5m程でおそらくセンターラインもない)では、低速で走る前車を追い抜いたところ、相手と接触事故が生じたとするものだ。この事故の双方の損傷キズは、相手車が左ドアミラーの外端下部に僅かな接触痕が、自車はこれは後刻認知したのだが、左リヤフェンダー側面上部(サイドウインドガラス)より数センチ下にやや後ろ下がりの横一文字のキズ(というか本では相手車ドアミラーの塗色痕)が20センチ程度付着しており、ボデーの凹みはないというものだ。それぞれ写真を本から切り出したものを添付しておく。ちなみに後ろ下がり約0.5度の角度は、相手者の軽度なブレーキによる制動姿勢を示していると想定できる。
ここまで読んで、こんな軽度な接触事故で、相手が負傷して通院する人身事故になったという訳だが、俄には信じがたい訳だが、案外この手の事象は結構存在している。警察も診断書を出すと、渋々ながらも人身事故として取り扱うことが多いし、保険会社でも多少の疑念は感じつつも、止むないかと人身事故として対応しているのが実態であろう。ところが、この本の著者は、結構ガンコな親父というか、ある種の正義感が強く、この相手の(不当利得を得ようとする)対応を「許せない」と、多少は自己費用の負担があったとしても、戦って不正を幾らかでも正してやろうじゃないかと決意したと序文で記している。
そもそも、事故発生時の状況としては、著者は低速相手車を追い越した際に、簡単に追い越せると見極め追越を開始したが、証拠はないが相手車は加速した様で見込みより簡単に追い越しできず、加速しつつ前方カーブも迫る中で追い越しを完了したと記している。その中で、著者としては相手と接触したとの自覚はまったくなかったのだが、追い越し後に相手車がホーンを鳴らして停止を要求する様子を認知して停止し、憤然としつつ相手車運転手と話すことになったことを記している。ところが、著者は停止し降車して、同じく停止しいている相手車に近寄り声を掛けようとすると、相手車は携帯電話で警察への事故報告をしていたという。その後、近くの交番の警察官が臨場した訳だが、双方の言い分を聴取したのみで事故届は完了した。
その後数日して、警察から相手者が警察に病院の診断書を提出したとして本件事故は人身事故扱いとなると聞き、憤然としたと云う。事故に一定詳しい方なら判ると思うが、単なる物損事故だと警察は、双方の車両とか事情聴取を行う程度のことで物損事故としての受理をするが、人身事故となると、事故現場の実況見分を含め、さらに明細な状況を調査して、その届けを受理し、場合により検察に送検するかどうかの判断を行う。という訳で、この事故も、改めて後日、当事者および双方車両と警察官が現場で立会することで、再調査がなされたという訳だ。
この本を読んで元損保調査員として思うのだが、本来この様な疑わしい人身事故など、損保がもっと積極的に活動しなければならないと思うのだが、現実はなかなかそうは動かないというのが現状としてある。と云うのは、特に軽微な人身事故では、負傷120万円までという制限はあるものの、自賠責保険(強制保険)で支払われることもあり、損保は何も腹痛たまないこともあり、警察が人身事故を受理しているなら、平々凡々と治療費を払い、示談の慰謝料などを払うというのが通例となっているのだ。
ところが、このガンコ親父たる著者は、「許せない」と、ちょうど自車に付保していた任意保険の弁護士特約のことも知り、通院治療費はともかく、慰謝料は認められないとする訴えを弁護士を介して、簡易裁判所、地方裁判所、そして納得できないとして上告し高等裁判所までの訴訟を行ったのであった。
この本を読みつつ、もしこのガンコ親父が私だったらどうしただろうと思うのだが、当然のこともっと強くあれやこれやと自己ことなので客観的な意見書は記載できなくても、自己の経歴を前提として上申書なりを付しつつ、場合によっては弁護士に頼らず、本人訴訟として、最大限の主張を行っただろうと思う。まあ、この親父も「許せない」と思ってここまでやったのだが、その思いは私には痛い程理解できるし、このガンコ親父よりさらに私の許せないは倍増して許さないという覚悟を持って臨んだであろう。
ここで、弁護士特約を有効利用できたのは良かったと思うが、正直云えば弁護士という職種は、その品質に月とスッポンというくらいの差異があり、しかもその以来に品質見極めが極めて難しいという問題がある。それと、損保の弁護士特約は支払い費用などに制限を持つこともあり、そもそも損保からの依頼を断る弁護士の話しも聞かれる。従って、私が当事者だったら、ある意味弁護士に依存することを抑制しつつ、手続き上の話しのみ弁護士に任せ、訴訟の主張や指揮は私が自己主張しつつ挑むだろう。
実際、この本でも、一審の地裁担当の弁護士は、明確には非難していないが、相当に意欲の欠けた弁護士であったという感が伝わって来る。また、二審(高裁)での担当弁護士についても、依頼人への説明不足を若干ではあるが非難している。
ところで、訴訟の中で相手は28才であるが、本件事故前にも2件の人身事故扱いの事故経験があることが露見している。つまり、免許を18で取得したとして10年の間に3件の人身事故を起こしているとなると、直ちには証拠付けられないものの、常習性があるやという疑念が強まるのだ。
また、訴訟の全期間(地裁から高裁まで)は約4年を要した。相手の慰謝料差し止めは果たせなかったが一定の減額は果たした。また、双方の物損損害は、相殺されたと記されているが、判決書における裁判費用の判決負担割合だと、相手が60%、著者が40%となっているので、これが過失割合に相当するのだろう。相手は、相殺した残金の数千円を契約者に支払った。つまり、結局相手は、替えなくても良いドアミラー交換の費用(おそらく4万程)を自己負担した。なお、著者(ガンコ親父)は、相手の治療費や慰謝料は自賠責保険で支払われ、弁護士費用特約は任意保険付帯だが、使用しても翌年の保険料増額とはならずに済んだ。
このやたら冗長に長い書名の本(以下軽微事故で裁判したと記す)だが、つい先日図書館を訪れた際、新刊本コーナーにあるのを認知し、さっそく借り出して斜め読みした本だ。
よくこの様な多くの購読者が見込めない様な本を出版したなとも思えるが、奥付を見ると初版23年3月15日と至近であり、著者は鹿島廣幸氏という作家ではなく、電気工事士自営業で1946年生まれとあるので、現在77才と結構高齢だが、未だ仕事もしている様に感じる。
さて、この本「軽微事故で裁判した」だが、自己体験としてある地方の河川堤防土の道路(幅員5m程でおそらくセンターラインもない)では、低速で走る前車を追い抜いたところ、相手と接触事故が生じたとするものだ。この事故の双方の損傷キズは、相手車が左ドアミラーの外端下部に僅かな接触痕が、自車はこれは後刻認知したのだが、左リヤフェンダー側面上部(サイドウインドガラス)より数センチ下にやや後ろ下がりの横一文字のキズ(というか本では相手車ドアミラーの塗色痕)が20センチ程度付着しており、ボデーの凹みはないというものだ。それぞれ写真を本から切り出したものを添付しておく。ちなみに後ろ下がり約0.5度の角度は、相手者の軽度なブレーキによる制動姿勢を示していると想定できる。
ここまで読んで、こんな軽度な接触事故で、相手が負傷して通院する人身事故になったという訳だが、俄には信じがたい訳だが、案外この手の事象は結構存在している。警察も診断書を出すと、渋々ながらも人身事故として取り扱うことが多いし、保険会社でも多少の疑念は感じつつも、止むないかと人身事故として対応しているのが実態であろう。ところが、この本の著者は、結構ガンコな親父というか、ある種の正義感が強く、この相手の(不当利得を得ようとする)対応を「許せない」と、多少は自己費用の負担があったとしても、戦って不正を幾らかでも正してやろうじゃないかと決意したと序文で記している。
そもそも、事故発生時の状況としては、著者は低速相手車を追い越した際に、簡単に追い越せると見極め追越を開始したが、証拠はないが相手車は加速した様で見込みより簡単に追い越しできず、加速しつつ前方カーブも迫る中で追い越しを完了したと記している。その中で、著者としては相手と接触したとの自覚はまったくなかったのだが、追い越し後に相手車がホーンを鳴らして停止を要求する様子を認知して停止し、憤然としつつ相手車運転手と話すことになったことを記している。ところが、著者は停止し降車して、同じく停止しいている相手車に近寄り声を掛けようとすると、相手車は携帯電話で警察への事故報告をしていたという。その後、近くの交番の警察官が臨場した訳だが、双方の言い分を聴取したのみで事故届は完了した。
その後数日して、警察から相手者が警察に病院の診断書を提出したとして本件事故は人身事故扱いとなると聞き、憤然としたと云う。事故に一定詳しい方なら判ると思うが、単なる物損事故だと警察は、双方の車両とか事情聴取を行う程度のことで物損事故としての受理をするが、人身事故となると、事故現場の実況見分を含め、さらに明細な状況を調査して、その届けを受理し、場合により検察に送検するかどうかの判断を行う。という訳で、この事故も、改めて後日、当事者および双方車両と警察官が現場で立会することで、再調査がなされたという訳だ。
この本を読んで元損保調査員として思うのだが、本来この様な疑わしい人身事故など、損保がもっと積極的に活動しなければならないと思うのだが、現実はなかなかそうは動かないというのが現状としてある。と云うのは、特に軽微な人身事故では、負傷120万円までという制限はあるものの、自賠責保険(強制保険)で支払われることもあり、損保は何も腹痛たまないこともあり、警察が人身事故を受理しているなら、平々凡々と治療費を払い、示談の慰謝料などを払うというのが通例となっているのだ。
ところが、このガンコ親父たる著者は、「許せない」と、ちょうど自車に付保していた任意保険の弁護士特約のことも知り、通院治療費はともかく、慰謝料は認められないとする訴えを弁護士を介して、簡易裁判所、地方裁判所、そして納得できないとして上告し高等裁判所までの訴訟を行ったのであった。
この本を読みつつ、もしこのガンコ親父が私だったらどうしただろうと思うのだが、当然のこともっと強くあれやこれやと自己ことなので客観的な意見書は記載できなくても、自己の経歴を前提として上申書なりを付しつつ、場合によっては弁護士に頼らず、本人訴訟として、最大限の主張を行っただろうと思う。まあ、この親父も「許せない」と思ってここまでやったのだが、その思いは私には痛い程理解できるし、このガンコ親父よりさらに私の許せないは倍増して許さないという覚悟を持って臨んだであろう。
ここで、弁護士特約を有効利用できたのは良かったと思うが、正直云えば弁護士という職種は、その品質に月とスッポンというくらいの差異があり、しかもその以来に品質見極めが極めて難しいという問題がある。それと、損保の弁護士特約は支払い費用などに制限を持つこともあり、そもそも損保からの依頼を断る弁護士の話しも聞かれる。従って、私が当事者だったら、ある意味弁護士に依存することを抑制しつつ、手続き上の話しのみ弁護士に任せ、訴訟の主張や指揮は私が自己主張しつつ挑むだろう。
実際、この本でも、一審の地裁担当の弁護士は、明確には非難していないが、相当に意欲の欠けた弁護士であったという感が伝わって来る。また、二審(高裁)での担当弁護士についても、依頼人への説明不足を若干ではあるが非難している。
ところで、訴訟の中で相手は28才であるが、本件事故前にも2件の人身事故扱いの事故経験があることが露見している。つまり、免許を18で取得したとして10年の間に3件の人身事故を起こしているとなると、直ちには証拠付けられないものの、常習性があるやという疑念が強まるのだ。
また、訴訟の全期間(地裁から高裁まで)は約4年を要した。相手の慰謝料差し止めは果たせなかったが一定の減額は果たした。また、双方の物損損害は、相殺されたと記されているが、判決書における裁判費用の判決負担割合だと、相手が60%、著者が40%となっているので、これが過失割合に相当するのだろう。相手は、相殺した残金の数千円を契約者に支払った。つまり、結局相手は、替えなくても良いドアミラー交換の費用(おそらく4万程)を自己負担した。なお、著者(ガンコ親父)は、相手の治療費や慰謝料は自賠責保険で支払われ、弁護士費用特約は任意保険付帯だが、使用しても翌年の保険料増額とはならずに済んだ。