私の思いと技術的覚え書き

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現在の業にみる堕落

2022-12-09 | コラム
現在の業にみる堕落
 私現在65になるが、この失われた30年を振り返るとき、30年前以前と現在では、国民の気質に大きな変化をもたらしたと意識する。
 それは、どういうことかと云えば、確かに見かけ上の安全だとか、個人情報保護だとかはあたかも向上した様に説明されている。が、しかし、世の自殺者は、一時期ほどの3万人推移は10年続いたが、現在は2万人推移と減少したが、それでも多いという事実。

 それと、世にパワハラまがいの報は絶えることない時代になったが、このことは、その前兆として表に現れない予兆としての、暴言、苛烈、暴力というものが増えていると思えること。

 さらに、大きなものから比較的小さなものまで、企業もしくは機関や組織体の不祥事が増えているのだが、これは何を示すのだろうか。

 もう一つ、材料を上げると、世にコンプライアンスという言葉が言われだしたのが、20年ほど前からだろうか。このテーゼがどこから生み出されたのか明確ではないのだが、おそらく官僚サイドだろう。そのくせ、このテーゼは、官僚が企業や組織体もしくは国民に下達するもので、官僚自身の不正は、相も変わらず続いている。

 以上述べた諸情勢を、何らか世に同時に進行してきた減少として、何らかの相関性を内在するという前提に立ち思考してみると、どいうことがいえるのだろうか。

 ここで、私は社会学者でもないし、世の指導層といわれる、いわゆるところのゼネラリストというより、ある業におけるスペシャリスト(専門家)であるので、その業における端緒から意見を述べるのだが、以下の様な事例が発見できる。

 この業とは、損保における一番事故発生の多い種目である、自動車保険の物損事故(対物もしくは車両保険事故)だが、この調査に関わる調査員(アジャスターと呼ばれる)の修理工場や対する利害関係者に対する否定する抗弁が生じるのだが、そこには端的に変化が感じられるのだ。

現代損保調査員の否定抗弁の言葉例
 これは上(会社)が認めない、家の会社としては認められない、上司が認めない

 このことを聞くと、およそ40年前に損保調査員を業として、20数年間その業で過ごした私としては、こういう抗弁を信じがたい思いとして聞くのだ。つまり、私の行ってきた業というのは、その親会社のための業ではあるというものの、保険という制度は本来一つの保険会社のためにある制度ではなく、多くの保険会社が全体となって世のある意味公共的な側面を持つ制度であると認識してきた。このことは、各種損害認定に関わって、それは会社が認めないのではなく、一般社会通念上として認められない問題だという思考になるのだ。従って、先の現代の抗弁を私がいうなら、以下の様に発言してきた。
 今回の損害は、一般社会通念として認められない問題ですよ。これは、私の会社が認めないという話でなく、他の会社でも同じです、もし疑問があったら問い合わせて見てください、上が認めないんじゃないんです、保険という制度が認めない約束となっているのです

 というような、ことになるのだが、一体全体、現在保険調査員に対し、コンプラとかであれを気をつけろ、これは規則違反だと、小言を繰り返していると思うが、肝心かなめの保険会社の社会的使命というべきことを研修や日頃の訓示などでどこまで行っているのだろうか。もしかすると、損保の管理職および本社の参謀本部すらも、その大前提のことを忘れ去り、見掛けの利益獲得に狂奔しているだけかもしれない。


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