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資本主義がクルマの作り方を変えた! その2 プラットフォーム共通SUVをでっち上げ世界的潮流へ

2019-08-08 | 車両修理関連
 まったくの私見だが、SUVとかクロスオーバーというモデルが嫌いだなのだ! 
 何故?と問われれば、色々と云いたいことはあるのだが、次の2つくらいに集約できる。
・プラットフォームを基本のセダンモデルと共有化した、安直なトールボーイスタイルだから。
・この手のクルマは、最大安定傾斜角が35度以上の保安基準には通っていても、ひっくり返る(横転)事故が多い。

 雨の日の高速道路を走っていて、単独事故などで横転しているクルマは、ランクルとかいわゆるジープスタイルのクルマやこの手のSUVが多いと様だ。もっと重心位置が高いトラックとかバスも横転するケースはもちろんあるが、これは統計的に確かめた訳でないが、この手の乗用系の背高車は横転する事例を多く見て来たと実感している。この理由だが、一つは一般的なセダンより全高が高く、従って重心位置も高くなるからだろう。そして、トラックなどでは、サスペンションが硬いこともあるが、有効ストロークの短さを要因とした限界ロール角が飽和してしまい、後はタイヤがドリフトするしかないのだが、この乗用車ベースのSUVは乗用車同様の有効ストロークを持ち、ドリフト→当て舵の遅延と過大→そして反対方向へのドリフトの誘発を繰り返し、ロールオーバーしている事例が多いのではないだろうか。
 そもそも、ムービングバリヤを対象車に当てるサイドインパクトテスト評価では、この手のクルマの多くが、ひっくり返っているのだ。その挙動は、サイドインパクトを受けた直後は、衝突を受けた側が沈み込むが、押し出されつつ沈み込んだサスペンションのリバウンドの勢いが加味され、横転するという現象だろうと見受けている。

 そんな私見とは真反対に、今や世界中にSUVとかクロスオーバーと呼ばれるクルマが、セダンを駆逐するかの如く増えた。驚くのは、ランボルギーニとかロールスロイスまでSUVを作り出すのだから、流行とは呆れる程に凄いものだ。

 この乗用車然としたSUVを世界で初めて世に出したのは、我が国(というより今や世界No1メーカー)のトヨタハリヤーだ。それ以前にもSUVと呼ばれるクルマは、ジープチェロキーなどあったが、如何にもジープ然とした無骨さで、一部のマニア以外には一般大衆に受け入れられなかったのだが、ハリヤーの乗用車然とした背高スタイルは、少なくとも愚人を除いた多くの世間には強く歓迎されたということなのだろう。

 しかし、この潮流を生み出したトヨタにしてみれば、してやったりと笑いが止まらぬことだろう。ハリヤーの場合は、カムリのプラットフォームと多くのメカニカルユニットを共有するから、まったく新規の新車開発に比べれば開発コストもリードタイムも格段に少なくて済む。また、共通プラットフォーム故に、同一ラインを流す、いわゆる混流生産も可能になる訳だ。そんな、コスト低減があった上で、付加価値向上から高いプライスタグでも売れるとウハウハだったろう。そんな儲け話を他メーカーが黙って見ているハズもなく、急激にSUVブームは過熱し、著しくこの手のクルマの市場は拡大した。そうは云っても、クルマの全体の市場は頭打ちだから、セダンからSUVもしくは1BOXへの占有比率の変化というところであろうが、セダンベースだから実態の原価は低いのだが、商品性で高いプライスタグが付けられるという魅力には勝てず、乱立する様に増えたのだろうと冷ややかに眺めるのだ。

 私の敬愛する西部邁翁は「資本主義とは情報の格差の上に存在するのだ」と述べている。だから、冒頭に記した様な欠点だとか比較的低コストで開発できたなんてことをメーカーはお首にも云わぬし記さない。そして、作られたブームという雰囲気は、そんな情報格差を餌食にして、資本主義の原理通りにメーカーを嬉しがらせる訳だが、全SUVが売れ行き好調な訳ではない。やはり商品性とかコンセプトで、売れ行きに差を生じる訳だが、1997年に初代ハリヤーを出し世界にインパクトを与えた大トヨタの戦略眼(騙しのテクだが)には頭が下がる。

追記
 ついでに、西部邁翁の言葉でもう一つ引きたい。「世に新しもの好きとか、新しがり屋の者がいるが、これね、ある意味で軽度な蔑視を表している」というのだが、愚人の年にしても、およそ今より世が貧しかった幼少の頃、類似の発言を聞いた思い出が蘇るのだ。但し、そんな愚人だが、古いモノ総てが良いなんてことは思ってもいない。しかし、本質を見つめるスキルがあったとすれば、古いモノの中に本物があるんであって、新しい多くの偽物に欺されないぞと、意気込みだけはあるのだが・・・。
 しかし、古来日本は良いモノを長く使うが美徳だったハズだが・・・。グリーン化税制なるものをでっち上げ、排ガスと燃費が良い新車に替えれば税金安くなり、古いクルマは重課だと抜かして澄ましている創作者(官僚共)と、それを法律として容認している政治屋には憤然とする。さらに、そんな税制を食い物にする金ある者に利を与え、貧しい弱者に重課を強いるという、モラル無視をただ呪うだけだ。

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