さて、今回は極めて偏見たる独断話を書き留めてみたい。
世の職業について、どんな職業であっても見下げたり、軽んじたりという偏見はないつもりなのだが・・・。そうは記しても、以下の職種に就く者は、体験上、プロ意識だとか相手を見下した者が多くて要注意であり、人物次第だと勝手に思い込んでいるのだ。
①医者
②弁護士
③政治家
④経済評論家と称する者
⑤自動車評論家と称する者
それでは、表記した順に愚人が何故に要注意な職業と感じているのかを書き留めてみたい。
①医者
そもそも、愚人も何らかの体調不良だとか疾病で医者と触れあう機会は時々ある。その際に驚くのが、いったいこの医者は患者を人間だという意識が欠如しているんじゃないのかと感じることがある。つまり、患者を単なる業における商品、つまり物との視点で対応を始めるのだ。具体的に云えば、問診などもそこそこに、何か患者が発言し始めると、「そんなことは判っている」とも感じる様に遮り、了解もなく何らかの診断を始める訳だ。これは、比較的爺さんの医者に多いのだが、あまりにも酷い接遇に「あなたは私を物と思ってるだろう!」と一喝し、直ちに診療を打ち切り辞去したケースもある。
それと、今度は若く如何にも有能そうに見受けられる医者だが、あまりにも患者を見下ろした発言で、何か問おうものなら「あんた見たいな素人に話して理解できないだろう」とまでは云わぬまでも、それを感じさせる発言を行う者は多い。こういうある意味自信過剰な医者に限って、勝手な診断で軽信し診断を誤ったり、医療ミスをしでかす医者は多いのだろう。
愚人は現在は自動車整備のプロではないが、そこらのプロと称する者を遙かに超えたスキルと総合判断力を保持しているとある意味で自信過剰と責められるだろう自意識を持っている。一般的な社会的地位としては、医者と自動車整備士を比べれば、大方の者が医者の方が余程高度な勉強の上になれるのであって、医者のレベルがとんでもなく上位にあると思うものがほとんどだろう。しかし、愚人に云わせれば、医者と自動車整備士は、まったく同レベルであり、単なる修理しかできないとう宿命を持つ業という意味で同レベルなのだと意識している。
②弁護士
医者と同じく一般に社会的地位が如何にも高そうなイメージを持つ方が多い訳だが、その実態はとんでもなく上下のある職業と云えるだろう。だいたいにおいて、世に無罪なのに有罪になってしまうという誤審という問題があるが、この要因には警察および検察と、それに尾を振る裁判官というシステム欠陥がある訳だが、質すべき正義感を持たない弁護士がそのことを容認しているという側面も欠かせないだろう。
それと、比較的有能な弁護士にあることだが、正義感が欠如し金のためだけに、黒を白と言い換えるだけの屁理屈作りだけが巧い弁護士が存在する。これの代表例が、現立憲民主党首の元弁護士の枝野だろう。こ奴は、2011年3月11日の東電福島原発の水素爆発が生じている最中「直ちに危険はない!」を連呼した幹事長だった非国民なのだが、何ら贖罪をしていないのだ。
③政治家
憲法では国民に主権があることになっているのだが、現実としてはその主権たるや有権者数で除した僅かなものというのが実態だろう。しかも選挙を行えば、その投票率は50%を下回る投票率しかないのが実態となっていることはご存じのところだろう。つまりそれだけ、国民の政治的関心は低いということだろう。その低い投票率を益として、固有の組織票を構築した者(主に政治家一家)ばかりが政治家になっているという実態では、時代の流れに則した適切な立法なんかできっこない訳だ。だから、既存政治家のほとんどは、得票率を高め様なんて、これっぽちも思っちゃいないだろう。
④経済評論家と称する者
この自称経済評論家と称する者ほど、世の偽善者はいないだろう。だいたい経済評論家の多くは、行政官僚だとか経済業務の実務を業としていたのが、何らかの理由でスピンアウト(官僚などでは出世競争に敗れた者)した者共だが、自らの実務者時代のことを自慢するが、それなら実務者時代に何で問題を指摘しなかったのだと問いたい。つまり自分の身可愛さに黙っておいて、評論家になったら自ら居た業を批判するという精神の非倫理というかご都合主義が見え見えで、到底信用できない連中だと感じざるを得ない。具体的に記せば、チャンネル桜というグループがあるが、ここの代表者も含め、あらかたの経済論者の多くが、誠に信用ならない連中の代表だろう。
⑤自動車評論家と称する者
なまじ愚人が、クルマについて一定のスキルを持つが故に、この自動車評論家と称する者共の記している嘘が見え見えで、呆れることが多過ぎる。先にあげつらった者共もそうだが、いったいこの自動車評論は誰を見て発言しているのだろうか。文章の表現はクルマのユーザーと訴求しているが、それより強く車両メーカーの意向に配慮する様子が垣間見えるというのが実態ではないだろうか。
⑥その他
その他全般としてのことなのだが、どんな業に就く者でも、自らの業を軽んじ貶す者を見るとき、嫌悪の念が噴き出して来るのを止めることはできない。その様な軽はずみは発言を行う者ほど、その業におけるレベルとしては決して高い者ではないことを知るが故に、その様な結論となるのだ。誰が考えても、客観的にその業のハイエンドに存在する者が、自らの業を軽んじる者が存在せぬことを知るだろう。
世の職業について、どんな職業であっても見下げたり、軽んじたりという偏見はないつもりなのだが・・・。そうは記しても、以下の職種に就く者は、体験上、プロ意識だとか相手を見下した者が多くて要注意であり、人物次第だと勝手に思い込んでいるのだ。
①医者
②弁護士
③政治家
④経済評論家と称する者
⑤自動車評論家と称する者
それでは、表記した順に愚人が何故に要注意な職業と感じているのかを書き留めてみたい。
①医者
そもそも、愚人も何らかの体調不良だとか疾病で医者と触れあう機会は時々ある。その際に驚くのが、いったいこの医者は患者を人間だという意識が欠如しているんじゃないのかと感じることがある。つまり、患者を単なる業における商品、つまり物との視点で対応を始めるのだ。具体的に云えば、問診などもそこそこに、何か患者が発言し始めると、「そんなことは判っている」とも感じる様に遮り、了解もなく何らかの診断を始める訳だ。これは、比較的爺さんの医者に多いのだが、あまりにも酷い接遇に「あなたは私を物と思ってるだろう!」と一喝し、直ちに診療を打ち切り辞去したケースもある。
それと、今度は若く如何にも有能そうに見受けられる医者だが、あまりにも患者を見下ろした発言で、何か問おうものなら「あんた見たいな素人に話して理解できないだろう」とまでは云わぬまでも、それを感じさせる発言を行う者は多い。こういうある意味自信過剰な医者に限って、勝手な診断で軽信し診断を誤ったり、医療ミスをしでかす医者は多いのだろう。
愚人は現在は自動車整備のプロではないが、そこらのプロと称する者を遙かに超えたスキルと総合判断力を保持しているとある意味で自信過剰と責められるだろう自意識を持っている。一般的な社会的地位としては、医者と自動車整備士を比べれば、大方の者が医者の方が余程高度な勉強の上になれるのであって、医者のレベルがとんでもなく上位にあると思うものがほとんどだろう。しかし、愚人に云わせれば、医者と自動車整備士は、まったく同レベルであり、単なる修理しかできないとう宿命を持つ業という意味で同レベルなのだと意識している。
②弁護士
医者と同じく一般に社会的地位が如何にも高そうなイメージを持つ方が多い訳だが、その実態はとんでもなく上下のある職業と云えるだろう。だいたいにおいて、世に無罪なのに有罪になってしまうという誤審という問題があるが、この要因には警察および検察と、それに尾を振る裁判官というシステム欠陥がある訳だが、質すべき正義感を持たない弁護士がそのことを容認しているという側面も欠かせないだろう。
それと、比較的有能な弁護士にあることだが、正義感が欠如し金のためだけに、黒を白と言い換えるだけの屁理屈作りだけが巧い弁護士が存在する。これの代表例が、現立憲民主党首の元弁護士の枝野だろう。こ奴は、2011年3月11日の東電福島原発の水素爆発が生じている最中「直ちに危険はない!」を連呼した幹事長だった非国民なのだが、何ら贖罪をしていないのだ。
③政治家
憲法では国民に主権があることになっているのだが、現実としてはその主権たるや有権者数で除した僅かなものというのが実態だろう。しかも選挙を行えば、その投票率は50%を下回る投票率しかないのが実態となっていることはご存じのところだろう。つまりそれだけ、国民の政治的関心は低いということだろう。その低い投票率を益として、固有の組織票を構築した者(主に政治家一家)ばかりが政治家になっているという実態では、時代の流れに則した適切な立法なんかできっこない訳だ。だから、既存政治家のほとんどは、得票率を高め様なんて、これっぽちも思っちゃいないだろう。
④経済評論家と称する者
この自称経済評論家と称する者ほど、世の偽善者はいないだろう。だいたい経済評論家の多くは、行政官僚だとか経済業務の実務を業としていたのが、何らかの理由でスピンアウト(官僚などでは出世競争に敗れた者)した者共だが、自らの実務者時代のことを自慢するが、それなら実務者時代に何で問題を指摘しなかったのだと問いたい。つまり自分の身可愛さに黙っておいて、評論家になったら自ら居た業を批判するという精神の非倫理というかご都合主義が見え見えで、到底信用できない連中だと感じざるを得ない。具体的に記せば、チャンネル桜というグループがあるが、ここの代表者も含め、あらかたの経済論者の多くが、誠に信用ならない連中の代表だろう。
⑤自動車評論家と称する者
なまじ愚人が、クルマについて一定のスキルを持つが故に、この自動車評論家と称する者共の記している嘘が見え見えで、呆れることが多過ぎる。先にあげつらった者共もそうだが、いったいこの自動車評論は誰を見て発言しているのだろうか。文章の表現はクルマのユーザーと訴求しているが、それより強く車両メーカーの意向に配慮する様子が垣間見えるというのが実態ではないだろうか。
⑥その他
その他全般としてのことなのだが、どんな業に就く者でも、自らの業を軽んじ貶す者を見るとき、嫌悪の念が噴き出して来るのを止めることはできない。その様な軽はずみは発言を行う者ほど、その業におけるレベルとしては決して高い者ではないことを知るが故に、その様な結論となるのだ。誰が考えても、客観的にその業のハイエンドに存在する者が、自らの業を軽んじる者が存在せぬことを知るだろう。