私の思いと技術的覚え書き

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88才まで板金業実務をなした親父さんの訃報を知る

2019-11-25 | 車両修理関連
 昨日(11/22)のことなのだが、業務の買い物がてら、愚人の知る限り、この静岡県東部でも最古に創業した自動車板金業の近くまで出掛けたこともあり、そのついでに2年ぶりくらいで訪ねたのだった。そこで、対応に出た娘さんに、昨年10月に件の親父さんは88才で亡くなっていたことを知ったのだった。

 思い出して見れば、愚人が件の板金業を知り付き合いだしたのは、約30年前のことであり、その件の創業者たる親父さんの話しから、およそこの地域でもトップクラスの歴史を持つ板金工場だったと知るのだった。もっとも、もっと沼津や三島などの中核都市にも、もっと古い創業年を持つ板金業も存在したのであろうが、愚人が板金業と付き合い出す頃には、既に廃業なりしており、知る限り最古の板金業だったと意識して来たものなのだ。

 ところで、愚人がこの当地区で最古創業の板金屋さんとの付き合いを、必ずしも頻繁ではないが継続して来たのはどの様な理由からであったのかを説明したいと思います。それは、およそ自動車板金というものを評価する業に関わる者として、その発祥の頃を伝える実話に直接触れたかったということなのです。また、創業が古いだけに、ここから育って行った(もしくは通過して行った)街の板金業主も多く、彼らの修業時代の素の様子を聞くことも、現在を評価する大前提として欠かせないことだと意識したからなのだ。

 しかし、今回亡くなったことを知る親父さんと最後に会って話しをしたのは、およそ2年を経ない頃だった(つまり当人86才時)と思うが、まったくボケを感じることなく、時々は板金の実作業までを行っていたのだから驚いたものだ。しかも、この親父さん、発言内容としての元使用人の人物評価が、まあ端的というか、一切の虚飾を排した悪口であって、もちろん総てを真に受け聞いた訳ではないが、感心深く聞いたものだった。

 そして、もう一つの感心は、この親父と共に、連れ沿う奥さんの親父に対する悪口を面白おかしく聞いたことが思い出される。一昨日訪ねた際に、娘さんと初めて顔を合わせたのだが、この娘の話しも予て聞いていたので即座に理解し、奥さんのこを質したのだった。その返答は、奥さんは未だ健在なのだが、親父が亡くなってからめっきりと元気がなくなり、何処かの老人ホームに入り、週一度家に帰る生活をしているとのことであった。人前では、親父を貶しつつ、それが奥さんの生き甲斐でもあり、そんな風に貶されてもそれが生きるバネとなっていた、他人には一見仲が悪い夫婦だったが、愚人の見込み通りの実は仲良い老夫婦だったということが判る話しなのだ。 


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