BP業および整備業経営者の思想を切る
筆者は、この40数年間、BP業および整備業と触れ合い、親しみつつも、いささか僭越ではあるがあえて云えば今後の成り行きを強く懸念している一人として自覚している。
このことは、今自動車と云う機械が、2つの方向性の中で大きく替わろうとしている渦中に入っており、それに関わるBP業や整備業も好むと好まないに関わらず、翻弄されざるをえないことが感じられるからである。
この2つの方向性とは、①EV化であり、②が自動運転への方向性のことだ。この2つの方向性の結果が、何を導くのかと云うことだが、必ずしもすべてが見通せる訳ではないが、少なくとも以下の方向を促すだろうことだけは確実であり、すでにその予兆は現れつつある。
①事故の減少
これは入庫台数もしくは主に全損などを理由として直さない件数として確実に増えつつある。
②保有台数の減少
保有台数は8千200万台をピークとして反転減少の傾向を見せているのだが、この理由には高齢化とか国民平均所得の減少など様々な要因があるのだろうが、自動運転レベルがレベル2当りまで普及した時代を予想すると一気に減少することが予測できる。これは、個人で所有すると云う意欲の減少を招き、レンタル、シェアリング、サブスクなどの、使用権を得て、必用最小限使うと云う思考になることが予想されるからだ。
ここで若干補足しておくが、何故自動運転化レベルが進化すると所有意欲が薄れるかだが、究極の自動運転レベル5であれば、もはや事業者でない限り、呼べばタクシーより速く到着し、目的地に到着すれば自動的に帰って行く自動車を買って維持して乗り続けようという人間は少なくなることに異論はないだろう。ところが、レベル3や2であっても、自動運転で走れると云うことになると、メーカー自身も運転して楽しい車を目指さなくなるし、運転者もなるべく自動運転で対応できる走行環境では自動運転を使用するだろう。そうなると、運転して楽しいとか以前に、操作がし難いとか、走行安定性能が良いとかいう要求レベルは必然として下がることが予想できる。そうなると、このクルマの、走行安定性が魅力で乗っているとかいう、云ってみれば趣味性の問題から所有していた層は所有欲を失うだろう。ただし、自動車とは単なる移動のための機械に留まらず、人の持つ愛着だとかの趣味性の他に、地位とか権力を示すべきアイテムとしての意味まで持つことから、いわゆる富裕層は所有し続けることになるのだが、現在日本では国家の政策のまずさもあって国民の窮乏化が著しく、貧しい者は限界まで古いクルマにしがみ付いて乗り続けるだろうが、それも何時までも続くことはあり得ず、所有しない(できない)で最小限借りるということになるのだろう。
③修理知識および設備機器の高次化
高次化と記したが、EV車などは一概に高次でなく、構造としては簡易になる可能性を持つが、今までの経験とか知識が生かせない新しい知識を要求するということがあり、あえて高次化と記した。また、設備機器については、自動運転レベル2の現在である運転補助機能でさえ、特定認証整備に関わる機器として、ターゲットとか対応スキャンテスターなどで100万程度の機器を要求されて来ている。これが、レベル3以上になった時、何処までの設備機器が要求されるのか、明確な予想はできないところであるが、方向性としては高次の検査機器が要求される可能性も高いし、整備担当者のスキルも、従来とは違った新しい機器に対応できる拡張出来る能力が求められるのだろう。
ここでも若干補足しておきたいが、こういう時代の変わり目だとか法制度の変わり目という中で、あたかもそれを補佐する名目で、利益を取らない財団法人とか一般社団法人という業務形態で、お助けしましょう的な事業を立ち上げ、利ザヤを稼ぐと云う者が何処の世界にもあるものだ。これは、筆者の知る限り既に2社ほど不審を感じる事業者が現れている。それでなくとも、コンビニなどのフランチャイズの業務形態は自動車関係にも幾つかあるが、これも気を付けないと、フランチャイス本部を太らせる収奪されるばかりのものとなってしまう可能性を内在していることを意識する必用があるだろう。
さて、前置きが長くなったが、各論に入りたいが、今回は前にも何度か当ブログ記事として話題に上げた産業廃棄物処理費用を保険会社が認めないと云う問題について、若干修理業者側を非難する言葉となるがあえて記さざるを得ないこととして触れたい。
従前、静岡県沼津市において、あるBP業が車両ユーザーより産業廃棄物支払い同意書(別添)を取り付けて、つまり、ユーザーに産業廃棄物の発生とその処理費の負担についての同意を得るという説明と同意行為を行い、結果として保険会社は産業廃棄物処理費を支払う(対ユーザー)になったのだが、どうもその後他の工場での同様類似の事態に進展が見られない様なのだ。その理由を探って見ると、他のBP工場では、産業処理費に負担に喘ぐ気持ちはまったく同様に持つのだが、対ユーザーに説明することの努力を言って見ればめんどくさいと投げていると云うのが実態だと判る。そのくせ、誰かこの産廃処理費の損保不払いという不条理をぶち抜いてくれることを期待すると云う情けない姿が垣間見えるのだ。
偉そうに云うつもりはないが、修理工場には依頼されたユーザーに修理費請求権はあるが、保険会社への直接請求権はない。つまり、修理費について、修理工場は保険会社に対し債権者ではなく、保険会社から見て債務者でもない。保険会社の債務者は保険契約者であるのだ。だから、どんなにめんどくさろうが、契約者の同意を取り付けることが大前提となるのだ。そして、請求を受けた契約者は、何で保険で出ないんだと疑問を感じてくれたらしめたものなのだ。この繰り返しによって、保険会社は従来の対応を変更せざるを得なくなるのは時間の問題なのだが、それには修理工場側も、めんどくさいとかユーザーの反発を怖れて黙することは、自身をますます窮地に追い込んでいることを自覚すべきと思う次第だ。
しかし、本問題を通して見えてくる問題に、90年のバブル崩壊後、約30年余りに渡りレバーレート(=対応単価)がほとんど値上げされなかったことも、まったく同根の理由によると思える。保険会社が認めないと云うのなら、直接請求権のあるユーザー(保険契約者)に対して、自社のレバーレート算出に関わる原価計算をしっかり行い、理解を得る必用がまずはあるだろう。その上で、保険会社にも自社のレバーレート算出に関わる原価計算根拠を明示して折衝に尽くしていれば、30年間据え置きみたいな自体は起こり様もなかったと信じるのだ。
筆者は、この40数年間、BP業および整備業と触れ合い、親しみつつも、いささか僭越ではあるがあえて云えば今後の成り行きを強く懸念している一人として自覚している。
このことは、今自動車と云う機械が、2つの方向性の中で大きく替わろうとしている渦中に入っており、それに関わるBP業や整備業も好むと好まないに関わらず、翻弄されざるをえないことが感じられるからである。
この2つの方向性とは、①EV化であり、②が自動運転への方向性のことだ。この2つの方向性の結果が、何を導くのかと云うことだが、必ずしもすべてが見通せる訳ではないが、少なくとも以下の方向を促すだろうことだけは確実であり、すでにその予兆は現れつつある。
①事故の減少
これは入庫台数もしくは主に全損などを理由として直さない件数として確実に増えつつある。
②保有台数の減少
保有台数は8千200万台をピークとして反転減少の傾向を見せているのだが、この理由には高齢化とか国民平均所得の減少など様々な要因があるのだろうが、自動運転レベルがレベル2当りまで普及した時代を予想すると一気に減少することが予測できる。これは、個人で所有すると云う意欲の減少を招き、レンタル、シェアリング、サブスクなどの、使用権を得て、必用最小限使うと云う思考になることが予想されるからだ。
ここで若干補足しておくが、何故自動運転化レベルが進化すると所有意欲が薄れるかだが、究極の自動運転レベル5であれば、もはや事業者でない限り、呼べばタクシーより速く到着し、目的地に到着すれば自動的に帰って行く自動車を買って維持して乗り続けようという人間は少なくなることに異論はないだろう。ところが、レベル3や2であっても、自動運転で走れると云うことになると、メーカー自身も運転して楽しい車を目指さなくなるし、運転者もなるべく自動運転で対応できる走行環境では自動運転を使用するだろう。そうなると、運転して楽しいとか以前に、操作がし難いとか、走行安定性能が良いとかいう要求レベルは必然として下がることが予想できる。そうなると、このクルマの、走行安定性が魅力で乗っているとかいう、云ってみれば趣味性の問題から所有していた層は所有欲を失うだろう。ただし、自動車とは単なる移動のための機械に留まらず、人の持つ愛着だとかの趣味性の他に、地位とか権力を示すべきアイテムとしての意味まで持つことから、いわゆる富裕層は所有し続けることになるのだが、現在日本では国家の政策のまずさもあって国民の窮乏化が著しく、貧しい者は限界まで古いクルマにしがみ付いて乗り続けるだろうが、それも何時までも続くことはあり得ず、所有しない(できない)で最小限借りるということになるのだろう。
③修理知識および設備機器の高次化
高次化と記したが、EV車などは一概に高次でなく、構造としては簡易になる可能性を持つが、今までの経験とか知識が生かせない新しい知識を要求するということがあり、あえて高次化と記した。また、設備機器については、自動運転レベル2の現在である運転補助機能でさえ、特定認証整備に関わる機器として、ターゲットとか対応スキャンテスターなどで100万程度の機器を要求されて来ている。これが、レベル3以上になった時、何処までの設備機器が要求されるのか、明確な予想はできないところであるが、方向性としては高次の検査機器が要求される可能性も高いし、整備担当者のスキルも、従来とは違った新しい機器に対応できる拡張出来る能力が求められるのだろう。
ここでも若干補足しておきたいが、こういう時代の変わり目だとか法制度の変わり目という中で、あたかもそれを補佐する名目で、利益を取らない財団法人とか一般社団法人という業務形態で、お助けしましょう的な事業を立ち上げ、利ザヤを稼ぐと云う者が何処の世界にもあるものだ。これは、筆者の知る限り既に2社ほど不審を感じる事業者が現れている。それでなくとも、コンビニなどのフランチャイズの業務形態は自動車関係にも幾つかあるが、これも気を付けないと、フランチャイス本部を太らせる収奪されるばかりのものとなってしまう可能性を内在していることを意識する必用があるだろう。
さて、前置きが長くなったが、各論に入りたいが、今回は前にも何度か当ブログ記事として話題に上げた産業廃棄物処理費用を保険会社が認めないと云う問題について、若干修理業者側を非難する言葉となるがあえて記さざるを得ないこととして触れたい。
従前、静岡県沼津市において、あるBP業が車両ユーザーより産業廃棄物支払い同意書(別添)を取り付けて、つまり、ユーザーに産業廃棄物の発生とその処理費の負担についての同意を得るという説明と同意行為を行い、結果として保険会社は産業廃棄物処理費を支払う(対ユーザー)になったのだが、どうもその後他の工場での同様類似の事態に進展が見られない様なのだ。その理由を探って見ると、他のBP工場では、産業処理費に負担に喘ぐ気持ちはまったく同様に持つのだが、対ユーザーに説明することの努力を言って見ればめんどくさいと投げていると云うのが実態だと判る。そのくせ、誰かこの産廃処理費の損保不払いという不条理をぶち抜いてくれることを期待すると云う情けない姿が垣間見えるのだ。
偉そうに云うつもりはないが、修理工場には依頼されたユーザーに修理費請求権はあるが、保険会社への直接請求権はない。つまり、修理費について、修理工場は保険会社に対し債権者ではなく、保険会社から見て債務者でもない。保険会社の債務者は保険契約者であるのだ。だから、どんなにめんどくさろうが、契約者の同意を取り付けることが大前提となるのだ。そして、請求を受けた契約者は、何で保険で出ないんだと疑問を感じてくれたらしめたものなのだ。この繰り返しによって、保険会社は従来の対応を変更せざるを得なくなるのは時間の問題なのだが、それには修理工場側も、めんどくさいとかユーザーの反発を怖れて黙することは、自身をますます窮地に追い込んでいることを自覚すべきと思う次第だ。
しかし、本問題を通して見えてくる問題に、90年のバブル崩壊後、約30年余りに渡りレバーレート(=対応単価)がほとんど値上げされなかったことも、まったく同根の理由によると思える。保険会社が認めないと云うのなら、直接請求権のあるユーザー(保険契約者)に対して、自社のレバーレート算出に関わる原価計算をしっかり行い、理解を得る必用がまずはあるだろう。その上で、保険会社にも自社のレバーレート算出に関わる原価計算根拠を明示して折衝に尽くしていれば、30年間据え置きみたいな自体は起こり様もなかったと信じるのだ。