私の思いと技術的覚え書き

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藍沢・この名前に記憶ある特に自動車板金関係者は多いと思う

2023-02-10 | 問題提起
藍沢・この名前に記憶ある特に自動車板金関係者は多いと思う
 もう既に20年ほど以前だろうか、Netに藍沢一矢という名前(おそらく本名でなくHN)だろうの記述を見始めた。
 曰わく、修理費が30%、50%儲かる。保険会社は出し惜しみ不当に価格を下げているという趣旨の記述が目立つ。

 記述を見ていて思うのは、保険金が適正に払われておらず、契約者とか被害者が正当な賠償を受けられていないとしつつも、その訴求相手は契約者とか被害者ではなく、どうやら自動車工場(主に板金塗装)ということが読み取れる。

 そのことは、こういう交渉術とか、主張をすれば、同じことをやっていっても、利益が倍増するとかいう内容が主だ。一例を引いて見れば、走行可能の場合、保険会社はレッカー費用を認めようとしないが、物理的に走行可能であっても、ランプレンズが割れているとか、車体の部品が脱落しそうに想定されるということになれば、それは整備不良車であり、道交法違反だから保険会社は認めざるを得ないという言い回しができるなどだ。

 しかし、程度問題もあろうが、レンズが割れていて例え整備不良の状態で、警察に職質されたとしても、今事故があり、その整備のために工場へ向かっていると云えば、それをあえて検挙する警察があるのだろうか。

 この藍沢なる人物だが、会費を5万とか8万とか入会金と取得し、そういう交渉術を伝授したり、整備工場経営者を集めて、その手の講習会を繰り返して来たらしい。

 一体全体、全国で総数としてどの程度の板金工場などが、この藍沢なる人物に金支払ったり、講習会に参加したのだろうか?

 実のところ、私の身近のある板金工場主が、この藍沢の主催する講習会に参加した際のことを聞いたことがある。講習途上で、名刺交換するという際に、当該板金工場主は当然日頃使用の実名を出したのだが、相手の藍沢なる人物は、藍沢一矢という名刺を出したので、板金工場主曰わく「あんたこれHN(ハンドルネーム)だろう。何故、こういう金払う正式な商品売り買いにおいて実名を名のらないのだ!」と憤然と抗議したと云う。

 それ以来、その工場主は藍沢なる者との接触は一切断ったという。これは板金工場でなくても、何らかの商売を自営しているなら、集客に努めるとか技術力を上げて顧客満足度とか信用を上げるとか、親切な対応に努めるとか、商売の王道を歩むことを自覚するのは当然だ。ところが、板金工場とは、一説には平均すると工場売上の70%程度は、保険での支払いに依存しているという宿命があり、そこのエンドユーザーの利益という美名を前投句として加えるが、横道たる努力を欠いて、高額料金の主張に走る工場心理が生まれるのだろう。つまり、零細な板金工場が、さらにその上前を切り取るというのが、この藍沢某なる人物のビジネスモデルなのだろう。

 世には、一般社団法人とか名乗り、よくよく思考したり仲間で考えれば、そんな工具買わなくても、そんな技術ノウハウの如き説明は受けなくても、自ら生み出せるにも関わらず、価値ない工具とか情報を売り付ける業者が目に付く。

 なお、最後に断っておきたいが、私のブログを見てくれている方は、元損保に所属する調査員であった私が、損保のやって来たもしくはやっていることがすべて正しいとは思っていない。そのことは過去のブログでも、さまざまな矛盾とか、非合理を非難して来たところだ。

 そんな中思うのは、決して板金工場だけでなく、日本人そのものに内在する、依存心をから騙されることは避けて欲しいと思うし、会社に努め企業の命令にただただ隷従するのは、独立した人間ではないと思う。確かに今の時代、職を失う恐怖は理解するところだが、正義の心を見失い隷従してしまうのは、ある意味奴隷だし、正義に反する悪に加担する共犯者だと認識して欲しい。


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