かつて、ゴーン以前の日産自動車のCMで「変わらなきゃ」(イチローだったか?)と云うのがあったかと思いますが結局変われずルノーなんていう自らよりも小規模メーカーの救済を受け、傘下に入らざるを得なかったことが思い出されます。この事例例でなくとも、企業にとって絶えざる周辺環境の変化に柔軟に対応して行く変われる力がなければ、例えどんなに巨大な企業であろうとも、かつての恐竜と同様に滅びるのが必然のことなのだと思います。
さて、私のサラリーマン時代に触れ合い良く知る農業系民間企業での話をします。20数年の中で、たぶん4~5名の代表取締役社長なる方を見て来ましたが、正直云ってこれら方々の名前もほとんど記憶していません。それだけ、私に取って、これら方々の印象が薄かったと云うことだろうと思います。ところで、社長本人の名前は思い出しもしませんが、その方々が行って来た経営者としての姿勢を示す出来事は、幾らかは呆れた記憶として微かに残っています。ということで、その呆れた記憶の一端を紹介してみましょう。
何時頃でしたか、ある社長交代が行われ、新社長は挨拶文(だったか?)の中で、「強烈な個性化」と記していました。これを読んで「強烈」という随分極端な形容詞の使用に違和感を感じると共に、「へー何処まで個性化できるんだ。お手並み拝見」と思って、数年様子を眺めていましたが、何も強烈なことはなかった(笑)ことを覚えております。これなどは、単に言葉が走っただけという、極めて下らない悪事例と思います。
それと、これはどの社長も共通の「変革して行く」とぶち上げますが、どの社長でも「なんら変革なんかはできなかった」というのが実態だったと感じています。確かにバブル崩壊以降の企業組織においては、時代が要求した変化というのがあり、それなりには変化はして来たと思います。しかし、これはパッシブ・チェンジ(受動的変化=戦略なし)であり、自らが時代を読み戦略的に持てるリソース(資源)を積極的に重点配置するというアクティブ・チェンジ(能動的変化=戦略あり)とは大違いなのだろうと思います。
では何故、企業は変化できないのでしょう。冒頭の日産自動車とまったく同じ構造だと思うのですが、社長が言ってるだけじゃ駄目ということで、例え形容詞をどんなに付け足して言葉だけ強固にしても無駄なことだいうことでしょう。まず、本当に変化させたいと思うなら、その社長自身が変わり、自らが実績して変化を周辺に見せつけて行かなければならないのが極めて当然なことだと思うのです。こんな当たり前のこともできない経営者が如何に多いのかを示す出来事であったと思い出されます。